トルコの英雄・アタテュルクの政教分離と近代化(ローマ字)

 

はじめの一言

*日本の子どものしつけについて
「彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。
(フレイザー 明治時代)」

「日本絶賛語録 小学館」

 

トルコを旅したのは、もう15年ぐらい前のこと。
トルコに着いてすぐに感じた疑問は、これ。

「なんでトルコはアラビア文字を使ってないの?」

「トルコはイスラーム教の国」というイメージがあったから、てっきりアラビア文字を使っていると思い込んでいた。
でも実際にはローマ字だった。

 

 

 

トルコでは昔からローマ字を使っているのか?
それをトルコに人に聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

「むかしはアラビア文字を使っていたよ。でも、アタテュルクがアラビア文字からローマ字に変えたからね」

そういえば、高校生のころ世界史でそんなことを習った気がするぞ。

ムスタファ=ケマル

1881~1938
オスマン帝国の軍人、トルコ共和国の建国者で初代大統領。
大統領として諸改革を断行、近代国家としての基礎を築いた。

(世界史用語集 山川出版)

19世紀後半に国を近代化した、ということならタイの国王「ラーマ5世」と似ている。

 

このムスタファ=ケマルは、「アタテュルク(父なるトルコ人)」とも呼ばれている。
1934年に、トルコ議会がケマルに尊称としてこの「アタテュルク」を与えたから。

 

高校生で世界史を学んだころは、「ケマル=アタチュルク」で習ったけど、最新の世界史用語集には単に「アタテュルク」とかいてある。
だから、以後はアタテュルクと書くようにする。

 

このアタテュルクがトルコ革命を起こして、オスマン・トルコ帝国を滅ぼした。
そして、1923年にトルコ共和国を建てて今にいたっている。

 

このとき、アタテュルクがおこなったのがトルコの近代化政策。
これはちょうど、江戸幕府を倒して近代化をめざした明治の日本ににている。

このときトルコが参考にした国が、じつは日本なんだな。

トルコでは近代化政策が進められたが、民族資本の育成や国立銀行の設立、法制面の整備などの諸改革は、日本の明治維新を手本にしたものであった。

(ウィキペディア)

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日露戦争の講和条約「ポーツマス条約」

 

トルコを近代国家にするために、絶対にしなくてはならなかったのが、政治と宗教を切り離すこと。
これは明治の日本とは逆になる。
日本は、国家神道として「国教化」していた。

 

イスラーム教の国だったトルコは「政教分離」を宣言している。

政教分離

カリフ制廃止やイスラーム教の非国教化などにより、トルコでは政治と宗教が分離された。

(世界史用語集 山川出版)

この政教分離の例には、「女性解放」がある。

「イスラーム教では、4人の女性と結婚することができる」

こんなことを聞いたことがある人もいると思う。
これは、イスラーム教の聖書(クルアーン)に書いてあるから。

イスラームの婚姻と言えば一夫多妻制、四人の妻との結婚が許されるということが、連想されるかもしれない。実際のところクルアーンにこうある。

汝らがもし孤児に公平にできそうにないなら、良いと思う女性を二人、三人、または四人、娶りなさい。
だが妻を公平に扱えそうにないなら、一人だけにするか、または右手が所有する者(=女奴隷)で我慢しなさい。
これが偏りを避けるために最も適切である (4章3節)

(聖典「クルアーンの思想」 大川玲子)

トルコはこの一夫多妻制を廃止した。

また、宗教と関係の深い服装も禁止される。
具体的には男性のトルコ帽や女性のチャドルなどだ。

 

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チャドル(ウィキペディア)

 

そして、アタテュルクがおこなった政教分離政策のなかに文字改革がある。

文字改革(ローマ字採用)

西欧化を目指し、アラビア文字を廃止、トルコ語表記にラテン文字を採用した。同時にヒジュラ暦にかわりグレゴリウス暦が採用された。

(世界史用語集 山川出版)

ということで、ボクがトルコに来て感じた疑問の答えはこれ。

アタテュルクがおこなった近代化政策の1つ、「文字改革」によるものだった。

この政教分離政策によって、トルコの社会からイスラーム色はかなりなくなっている。
実際今のトルコを旅したら、「街並みは、ヨーロッパとほとんど変わらないぞ」という印象を受けると思う。

 

でも、これが隣のシリアに行くとガラリと変わる。
街にはアラビア文字があふれていて、ニカーブを着た女性がたくさんいる。
「イスラーム教の国だなあ」という印象を強くうける。

 

アタテュルクがおこなった政教分離政策は、トルコの基本的な考え方となった。
○今回の復習

・19世紀後半、トルコとタイを近代化した人は?
・日露戦争の講和条約は?
・イスラーム教の聖書をなんという?

○答え

・アタテュルク(ムスタファ=ケマル)とラーマ五世
・ポーツマス条約
・クルアーン(コーラン)

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。