【ヒンドゥー教徒と牛肉】インド、牛が死ぬと人も死ぬ国

 

むかしむかし、といっても16世紀後半、九州に行った豊臣秀吉はあることを知ってとても驚いた。

なんと長崎がローマ教皇のものになっていたのだ。
というのは、このとき日本にいたキリスト教の宣教師が、長崎をローマ教皇領にしてしまったから。

責任者であったポルトガル人宣教師ガスパール・コエリョに、「何やってんだよ、お前らは!」と秀吉が怒る。
このとき秀吉は、宣教師の日本でのふるまいについて5つの質問をしている。
そのなかのひとつが「なんでお前たちは牛肉を食べるのか?」というもの。
秀吉が日本とヨーロッパの食文化の違いに腹を立てていたのは、いまから見ると面白い。

でも、牛肉を食べる理由を説明しろと言われても困る。
だからコエリョはこう言った。

もし秀吉がこれを喜ばないならば、以後「牛肉を食べるのをやめる」と答えている。

「日本人とは何か。山本七平(PHP文庫)」

 

でも秀吉やその側近にとっては、牛肉よりも重要なことがあった。
キリスト教の宣教師が日本人を奴隷にして海外で売っていたのだ。
秀吉たちはこれに激怒する。
いまの日本人でも、この怒りは理解できるはず。

 

現代の世界で「牛肉禁止の人々」といえば、なんといってもヒンドゥー教徒だ。
ヒンドゥー教徒は牛を神聖視している。
だから牛肉を口にすることはできない。

ちなみに戦国時代の日本人が牛肉を食べなかったのは、牛を耕作に使っていたから。
ヒンドゥー教のような宗教的な理由じゃない。
イスラーム教徒も宗教の教えで豚肉を食べることができないけど、ヒンドゥー教とは理由が逆。イスラーム教徒にとって豚は汚れた生き物だから、食べることができないのだ。

誰が何を食べるかは、その人が決めればいい。
戦国時代じゃないから、牛肉を食べて怒り出す日本人はいない。
でも、インドでときどき起こる「牛肉殺人」には、日本人だったらきっとドン引きだ。
去年(2017年)インドでは、「アイツは牛肉を売った」とか「牛肉を食べた」といった疑いをかけられた市民が襲われて死亡する事件がよくあった。

それでモディ首相は「誰も牛の名のもとに人を殺してはいけない」と演説で訴えている。
この言葉だけを聞くと、意味がわからない。
でもこういうことを、本気で国民に訴えないといけないのがインドという国。

 

首相がこう言ってから一年後、今年もまた牛の死をめぐって人が亡くなった。
インド北部にあるウッタルプラデシュ州で、牛の死骸が見つかった。
それだけなら日本でもギリありそうだけど、インドではここから民衆暴動に発展してしまう。

AFPの記事(2018年12月5日 )

隣接する3つの村の住民約400人が投石や放火を行い、警察は警棒を使用したり威嚇発砲を行ったりして事態の収拾を図ったという。車十数台に火が付けられたという。

「聖なる」牛の死めぐり400人が暴動、2人死亡 インド

 

「なんでお前たちは牛肉を食べるのか?」というのは、豊臣秀吉がヨーロッパ人にした質問。
「なんで牛が死ぬと、警官や市民が死なないといけないのか?」といまのボクは思う。
モディ首相もそう考えたから、「誰も牛の名のもとに人を殺してはいけない」と言ったのだろう。

「以後、牛を殺すのもその肉を食べるのをやめる」となればいいけど、イスラーム教はそれを禁止していない。
インドでは食文化の違いが宗教対立につながって、暴動が発生してしまう。
でも、これは誰にもどうしようもない。
それがいまのインドなのだから。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。