西アフリカのマリの歴史①・日本がジャパンと呼ばれる理由

 

はじめの一言

「一般に日本人や極東の人びとは、大西洋の両側のアングロサクソンよりも根底においては民主的である(チェンバレン 江戸時代)

「逝きし日の面影 平凡社」

 

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セネガルのおばあちゃん

 

西アフリカに、「マリ」という国がある。
がんばって見つけて。

このマリという国名は、「カバ」という意味。
動物のカバさん。
これが気に入って、最近マリのことを記事に書いている。

 

今回の記事は、マリの歴史について。
マリの歴史だけじゃ実感がわかないと思うから、強引に日本の歴史にからめてしまう。

まあ、中学校の復習と思って読んでみて

 

・マリの歴史

前回書いたけど、マリは世界最貧国の1つで、経済力は鳥取県のちょっと下ぐらい。
そんなマリだけど、むかしは金がたくさんとれて「黄金のマリ」と呼ばれていた。
それほど豊かな国だったんだな。

800年ごろから始まったマリ帝国は、14世紀マンサ・ムサの時代に最盛期を迎えます。1324年、マンサ・ムサは第一夫人を伴ってメッカに巡礼しました。その時、数千人の側近と軍隊、召使い、そして100頭のラクダと2トン以上の金を運んだとされています。

「黄金のマリ帝国」の名は一躍知られるようになりました。この<黄金伝説>が後ほどのヨーロッパの列強諸国によるアフリカ進出のきっかっけのひとつとなったのです。

黄金のマリ帝国(800年~1550年)

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マンサ・ムサ(ウィキペディア)

 

メッカは、サウジアラビアにあるイスラーム教の最高の聖地。
メッカ巡礼」は、現在のイスラーム教徒にとって義務でもある。

マリ帝国の大王「マンサ・ムサ」がこのメッカに行ったということは、彼はイスラーム教徒だったということ。

 

ちなにみに、友だちにイスラーム教徒のインドネシア人がいる。
彼は新婚旅行で、この「メッカ巡礼」に行っている。
これを聞いて驚いた。
まさか新婚旅行でメッカに行くとは。

 

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全盛期のマリ帝国(1350年頃)

 

マリは1350年ごろ、もっとも強大だったという。

1350年といえば、日本だと後醍醐(ごだいご)天皇がおこなった「建武の新政」のころになる。

鎌倉幕府を倒して、1333年に後醍醐天皇が天皇親政による政権を樹立したアレ。
でも武士の不満をおさえられず、2年ほどでなくなってしまった。

ね?強引に日本の歴史をからめるでしょ。

 

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京都御所の紫宸殿

 

話をマリ帝国に戻す。

先ほど、こんな文があった。

この<黄金伝説>が後ほどのヨーロッパの列強諸国によるアフリカ進出のきっかっけのひとつとなったのです。

「黄金のマリ帝国」として有名になったことが、ヨーロッパの進出を招いたとしたら、皮肉なことだ。
この後アフリカに来たヨーロッパ人は、現地のアフリカ人を奴隷にして売り飛ばしてしていたのだから。

 

奴隷船に奴隷を積みこむ数日前に奴隷は全員、男も女も頭を剃られた。
また、積み荷の所有者のイニシャルか会社のブランドが奴隷の身体に焼き印された。
新世界へ向けて出帆する当日には、城塞や「バラクーン」と呼ばれる小さな檻に閉じ込められていた奴隷たちは、最初で最後となる豪勢な食事を与えられた。

食後奴隷たちは二人一組になって足首に鎖をつけられ、奴隷船に連れていかれた。彼らは全裸で、男女別々の船倉に入れられた。(中略)
たいていの奴隷は、自分の生まれ育った大地から引き離される際に深い悲しみと絶望に陥った。絶望にかられて海に飛び込む者もいた。

(近代世界と奴隷制 人文書院)

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奴隷にするために集められた黒人たちは、こうしたうす暗い場所に入れられていた(ケープコースト城:ガーナ)。
糞尿は垂れ流しだったという。

 

日本もヨーロッパでは「黄金の国ジパング」と呼ばれていた。
だから、この点ではマリに似ている。

クリストファー・コロンブスが航海に出た理由の1つは、「黄金の国ジパング(日本)」を見つけるためだった。
コロンブスは、もちろんアメリカ大陸を「見つけた」イタリア人のコロンブス。

それが1492年のこと。
「いよー、国を見つけたよ」のゴロで覚えた人もいるんじゃないかな?

 

 

でもなんで、日本がヨーロッパで「ジパング」と呼ばれていたのか?

これは13世紀に中国(元)を訪れたマルコ・ポーロが、ヨーロッパに帰ったときにこの言葉で伝えたから。

元の時代には、「日本国」という漢字を中国人が「ジーベングォ」と発音していたらしい。
それを聞いたマルコ・ポーロが「ジパング」としてヨーロッパに紹介したことで、日本が「ジパング」と呼ばれるようになったという。

このジパングが、英語のジャパンになる。

 

ちなみに、コロンブスがアメリカ大陸に到達したころ、日本では1467年に「応仁の乱」が起きている。

細川勝元と山名宗全の対立からはじまって、戦場となった京都は焼け野原になる。
争いは全国に広がり、将軍の権威は地に落ちたってやつ。

 

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マリとセネガルの国境のあたり

 

先ほどのマリ帝国の大王「マンサ・ムサ」は、聖地メッカからマリに戻ってくると、イスラーム教をマリに広げた。

現在、マリでは国民の80%がイスラーム教を信仰している。
マリのイスラーム教は、この時代に広く布教されたのだろう。

 

このマリ帝国は、1645年に滅亡してしまう。
もちろん突然崩壊したわけではなくて、少しずつ力を失っていった。

 

そのことは次回書きます。
日本と今度は中国の歴史をまじえながら。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。