日本と韓国の教育・スポーツ観の違い:勝利か“みんな”か?

 

来週から令和がはじまるし、来年は東京オリンピックが開催される。
ということで、日本卓球界も変わらないといけない。もっと強くならないといけない。
そんなことを水谷隼選手が日刊スポーツの記事(019年4月22日)で話している。

水谷隼が現状に提言「張本以外、強い選手がいない」

水谷選手が考える具体的な改善点は、才能による厳しい取捨選択だ。

「資金をトップ選手に集中させても良いと思う。もうメダルが取れないと分かる選手に見切りを付けるようなことも必要だと思う」

現状はこの反対で、「現在はある程度、幅を持って予算配分をしている印象」という。
つまり、もうメダルを取れないと分かる選手にも予算が使われている。だからそれをストップして、そのぶんを才能と未来のある選手に配分してはどうか、と。
プロスポーツの世界は学校教育とは目的や勝利の重みがちがうから、考え方や方法もちがって当然。
早めに“見切り”をつけて、メダルを取れそうな選手にお金をかけて育てる。

それはそれでアリと思うけど、やっぱり「間引き」のような印象も受けてしまう。
たとえば、畑に密集した状態で大根の苗が30本あったとする。それだと畑の栄養も30本に均等にいきわたるから、小さい大根が30本できることになる。
大きい大根をつくりたいと思えば、20本の苗を引っこ抜いて、残り10本の苗だけに栄養をあたえればいい。
ちなみに「万引き」の語源はこの「間引き」といわれている。

現状を変えようとする意見には、良い面・悪い面がある。
水谷選手も「提言」をしているというから、批判があがることは承知のはずだ。
オリンピックや世界大会でメダルを取ることを考えれば、それが効率的でコスパもいいのだけど、反面、頂点以下を「その他大勢」として切り捨てることにもつながる。
ということでネットを見ても賛否が分かれていて、どちらかというと「否」が多い。

〇批判的な意見

・格差社会だな
・こういう思考は嫌だね
可能性切って一部の人間だけ強化ってないわ
・じゃあ若手の育成に使ったら
・ピラミッドの底辺は広く取らないと高さも生まれない
・何故か知らんが、現役選手のうちはそのような事を云わない方が良いと思うぞ。

 

〇賛成意見

・格差社会?スポーツは全部超格差社会だよ
・ある程度格差つけないと全員共倒れあるわな
・これは致し方ないっとしか言えない。
・強化ってそんなもんじゃね?
人選ミスったら目も当てられないけど
・おそらくレベル差が凄いんだろ。可能性0のどうやっても無理な奴にまで金使ってるんじゃないの?

 

 

このブログでは韓国のことをよく書いているから、韓国のことなら少しは知っているけど、日本と比べるとあの国の格差っぷりはすさまじい。
韓国の受験競争や就職競争の激しさはネットで調べたらすぐにわかる。
現地に住むいろんな日本人がそれに驚いて、「こんなすごい韓国の競争社会」なんてブログに書いているから。
韓国で女性が整形手術を受ける理由にも「競争に勝つため」がある。

それはスポーツも同じ。
勝利絶対主義で“ムダ”をできるだけはぶき、ゴールへの「最短距離」を考える。
だから個人では日本よりすぐれた選手が出ても、全体では日本にかなわないことも多いのだ。

中央日報の記事(2011年07月24日)にそんなことを書いてある。

韓国はエリートと非エリートの格差がとても大きいです。日本は小さい。スポーツだけではありません。楽器を弾こうが、絵を描こうが、韓国は職業としてやる人々の水準は世界最高です。しかしそれを趣味で楽しむ人々の実力は大きく劣ります。

韓日のスポーツ教育格差…スポーツだけに専念する韓国と勉強もする日本

そのぶん勝利への執着心では、日本の選手は韓国選手にはかなわないと思う。
だから韓国は負けたときの抗議もすごいのだけど。

 

日本と韓国の教育観には大きな違いがある。
韓国では幼い時から「勉強する子ども」と「スポーツをする子ども」にはっきり分かれるのに対して、日本は「勉強だけやるのは良くない。元気でなければならないためだ」とする考えがあるという。
韓国の芸能人が不祥事を起こしたときも、「小さいころから歌とダンスの練習ばかりしていて、人間教育がおろそかになっていたから」という意見をよく見た。

韓国では、キム・ヨナさんやソン・フンミン選手みたいに目の覚めるような天才がときどき現れるけど、「次」がなかなか出てこない。
だから個人種目ならともなく、サッカーをみれば日本のほうがまさっている。
この前のW杯やアジア大会での成績ではいずれも日本が韓国の上をいっているし、ヨーロッパで活躍する選手の数を比べてもそれは明らかだ。

でも日本は、全体を強化するとか底上げを考えるから、ずば抜けたエリート選手が育ちにくい。
資金をトップ選手に集中させて、メダルが取れないと分かる選手には見切りを付ける、という言葉はそんな背景から出てきているはず。
これとは別に、指導者が選手の才能を早いうちに見極めて、別の道をすすめることが本人のためになる場合もある。

いずれにしても日本の「みんな平等、みんなが大事」にも、韓国の「勝利こそ至高、だから少数精鋭」にもそれぞれ一長一短あるから、目的や組織に応じてそのバランスをとることが大事なんだろう。

 

才能ある選手にお金を集中的に投資して「メダルを取れるエリート」を育成することはいいけど、そのさいには、選手が納得できる公平性が重要になってくる。
それに失敗するとこうなってしまう。

毎日新聞の記事(2019年4月23日)

マラソン大迫が日本陸連批判ツイート「私物化、やめたほうがいい」 陸連は「誤解」と説明

男子マラソンの日本記録保持者、大迫選手が日本陸連強化委員会の推薦枠で競技(日本選手権1万メートル)への出場を希望したのだけど、断られてしまった。
これに納得いかない大迫選手は「どういう選手が推薦出場に値するのか明記してほしい」「陸連を私物化するのはやめたほうがいい」とツイッターで不満をぶちまける。
日本陸連は当然「それは違う!」と否定したけど、くわしいことは分かりません。

重視するのは勝利でも選手全体でもいいけど、透明性と公平な基準は絶対条件だ。
内輪もめを見させられたら、応援する気がなくなる。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。