法隆寺の金堂壁画は韓国人(曇徴)が描いた→「そんな事実はない」

 

はじめの一言

「日本人は一般に野外に出て楽しむことを好むが、これもわれわれ中国人の及ばないところである。(中略)祇園の夜桜都踊りともなれば、人の心をとろかして、浮き立つ春のホコリさえ払い落して跡かもたもない。秋の紅葉時期にも、春におとらぬにぎわい(郁達夫 昭和)」

「日本絶賛語録 小学館」

 

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韓国の土地神

 

前回、こんなことを書いた。

紙をつくる方法は中国で生まれた。
それが日本に伝わったのは、飛鳥時代(610年)のころ。
その製紙法を日本に伝えたのが、高句麗(こうくり)のお坊さんである「曇徴(どんちょう)」という人。

でも最近では、この曇徴さんが日本に製紙法を伝えたというのは、かなりアヤシイと考えられている。

それが事実だと確認できる根拠がないから。
今回も、その曇徴さんと韓国の日本への見方についての話。

この曇徴(どんちょう)というお坊さんは、製紙法だけではなくて「奈良の法隆寺の金堂壁画を描いた人物」としても有名だ。

正確にいうと、「有名だった」。

 

ボクが韓国を旅行していたときに、韓国人からその話を聞いたことがある。
そのときは、新羅(シンラ)の都だった慶州(キョンジュ)に行ったときのこと。

この慶州という都市は、韓国人にとっての京都のような古都。
そして新羅は、韓国人にとっては特別な国でもある。
韓国の歴史上、初めて統一王朝だから。

わが民族がなし遂げた最初の統一であり、新しい民族文化をつくり上げる重要なきっかけとなった

(韓国の中学校歴史教科書 明石書店)

ソウルの市場

 

その慶州の博物館に行ったとき、韓国人の学芸員さんから話を聞くことができた。

予約なしでぶらりと博物館に行って、無料で学芸員の専門知識を聞くことができるなんてすばらしい。
こんなサービスが日本でもあればいいのに。

学芸員さんが新羅や古代の韓国と日本のことを話しているなかで、先ほどの話がでてきた。

「古代の韓国人は、日本にいろいろな文化を伝えていたんですよ。曇徴という高句麗の僧は、法隆寺の金堂壁画を描きました」

 

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和田英作(洋画家)による5号壁の模写(未完)「ウィキペディア」

 

「古代の韓国人が、日本に優れた文化を伝えた」と考えられていたことが、「そういう事実は確認されていない」に変わることがたまにある。

それは前回にも書いた。

昔は、「曇徴が飛鳥時代の日本に、紙のつくり方を教えた」と考えられてきた。
でも、それが事実なのかは確認できない。
だから、今では「そういう説もあるね」ということになっている。

 

この法隆寺の金堂壁画についても同様。
これも、曇徴が描いたという明確な根拠がない。
それが事実だったという確認ができないのだ。

しかし、それを支持する史料は一切なく(また現在の法隆寺は7世紀後半に再建されたものである)、俗説の域を出るものではない。

(ウィキペディア)

推古天皇18年(610年)に来朝した高句麗(こうくり)の仏僧。
生没年不詳。儒教の五経,絵画の彩色の法,紙・墨の製法,農具まで伝えたとされるが,確証はない。

(百科事典マイペディアの解説)

つまり現時点では、「曇徴が、法隆寺の金堂壁画を描いた」という説は確証がなく、ただの俗説にすぎない。

 

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では、曇徴ではないとしたら、法隆寺の金堂壁画を描いたのは誰か?
それは、誰にもわからない。
法隆寺の「謎」なのだ。

ところで、金堂壁画にはもうひとつの謎が今もついてまわります。それは、壁画を描いたのは誰かという謎です。この問題は長く議論され、平安時代の文献『七大寺日記』の記述をもとに、飛鳥時代に活躍した仏師によるものというのが定説となってきました。

しかし、壁画が描かれたのは7世紀後半という説が有力で、飛鳥時代の仏師が描くのは不可能。壁画の絵師は、いまも謎につつまれたままです。

法隆寺のことが全てわかる!

はっきり分かっていないから、「それは曇徴だ」という可能性はなくはない。
でも韓国では、その可能性が「歴史的な事実」となってしまう。

一方、近年韓国では、法隆寺金堂壁画は曇徴の手によるものと主張されることがあり、国定の歴史教科書にも記述されている。

(ウィキペディア)

ボクが話を聞いた韓国人の学芸員さんも、「~と言われている」という言い方ではなくて「法隆寺の金堂壁画は曇徴が描いた」と言い切っていた。

 

でも実際には、これも前回の製紙法と同じ。
「曇徴が、法隆寺の金堂壁画を描いた」という説には確証がなく、ただの俗説にすぎないと考えた方がいい。
真実は誰も分からないのだから。

 

韓国の歴史教科書(小学校)では、この曇徴(どんちょう)についてこう書いてある。

高句麗の文化を日本に伝えてあげた曇徴

「わかりやすい韓国の歴史 明石書店」

でも残念ながら、製紙法にしろ法隆寺の壁画にしろ、そんな事実は確認されていない。

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こういうことがよくある。

韓国が「こういうことがあった」と伝えられたことが、日本側から「そんな事実はない」と否定されるようなこと。

具体的には、「韓国 そんな事は言っていない」で検索してほしい。
たっくさんあるから。
これを「韓国の完成された様式美」という人もいる。

 

なんで、韓国ではこんなことがあるのか?

その理由の1つは、韓国人は自分の希望的観測でものごとを考える傾向が大きいから。
2016年9月11の朝鮮日報の記事で、そんな韓国人に注意を与える記事がある。

本当に深刻な問題は、国際社会と周辺国に対する韓国人の独特な理解の仕方が完全に固まっており、簡単には変わらないという点にある。
国際情勢に対する客観的理解や分析は後回しにして、われわれの希望や期待を前面に出すものの見方に完全にはまり切る傾向が非常に強いのだ。

(日本はいくら侮辱し続けても韓国の友好国であり続けるのか)

「客観的な理解」よりも「希望や期待を全面に」出してしまう。
これでは、正確に事態を把握できない。
だから、あとになって「そんな事実はない」「そういうことは言っていない」と否定されてしまう。

 

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。