ソ連と徳川幕府。国民を守る国家はどっち?ホロドモールから

 

20世紀のはじめに、ソビエト連邦で起きた「ホロドモール」という飢饉(きが)を知ってますか?

ホロドモール

1932年から1933年にかけてウクライナ人が住んでいた各地域でおきた人工的な大飢饉である。

(ウィキペディア)

この飢餓が変わっているのは、「人工的な飢餓」であること。

ふつうの飢餓であれば、天候不順によって起こる。
長い間雨が降らなかったことで作物が育たなかった。
そのために飢餓状態が起こるというのがふつう。

 

でも、このホロドモールという飢餓は、ソビエト連邦という国家が計画的につくり出している。

当時のソ連は、ウクライナでとれる小麦を外国へ輸出して外貨をかせいでいた。
ウクライナの住民が食べる小麦が足りなくなっても、ソビエト政府は小麦をウクライナの人びとには渡さない。
小麦を輸出にまわしてしまった。

それは、ソビエト政府が外貨をほしかったから。
国民が飢えて死んでいく一方で、政府は金もうけのために小麦を輸出する。

これが、いわゆる「飢餓輸出」というもの。
国民は飢えに苦しみながらも、国は金を稼いでいるという異常な状態。

 

この飢餓は、天災ではなくて完全に人災だ。
このホロドモールによる犠牲者は、400万人から1450万人にのぼるという。

ホロドモール

ウクライナ人たちは強制移住により、家畜や農地を奪われたために400万人から1,450万人が死亡した。また、600万人以上の出生が抑制された。

この大飢饉が当時のソ連の最高指導者ヨシフ・スターリンによる計画的な飢餓ではないかとする議論が長年続いていた。2006年にウクライナ議会は、「ウクライナ人に対するジェノサイド」であると認定した。

また、米英など西側諸国においても同様の見解が示されており、ソビエト連邦による犯罪行為であるとしている。

(ウィキペディア)

001003

 

江戸時代には、「三大飢饉(ききん)」と呼ばれる飢饉があった。

「享保(きょうほう)の飢饉」、「天明の飢饉」、「天保の飢饉」の3つ。

このなかの天明の飢饉のときには、飢えの苦しみから人々は死んだ人間の肉までも食べるようになったという。

天明の飢饉

被害は東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定約2万人)が餓死したと杉田玄白は『後見草』で伝えているが、死んだ人間の肉を食い、人肉に草木の葉を混ぜ犬肉と騙して売るほどの惨状で、ある藩の記録には「在町浦々、道路死人山のごとく、目も当てられない風情にて」と記されている

(ウィキペディア)

まさにこの世の地獄だ。

 

1930年代に起きたホロドモールの惨状さんじょうも、この天明の飢饉に勝るとも劣らない。

食料を没収された農民達はジャガイモで飢えをしのぎ、鳥や犬や猫、ドングリやイラクサまで食べた。遂に人々は病死した馬や人間の死体を掘り起こして食べるに至り、その結果多数の人間が病死しており、赤ん坊を食べた事さえもあった。
通りには死体が転がり、所々に山積みされ、死臭が漂っていた。

(ウィキペディア)

江戸時代の飢餓地獄を20世紀のウクライナで再現したようだ。

 

famine_kharkov_1933

ホロドモールによる餓死者とされる写真。
群集が集まる中、路上に放置されている。(ウィキペディア)

 

golodomorkharkiv

飢餓により街頭に倒れ込んでいる農民と気を払うことなく通り過ぎるようになった人々。(ウィキペディア)

上の写真は、これでも「まだマシ」というもの。
これ以上悲惨な写真はネットで見ることができる。
閲覧注意というものだけど。

 

でも、なんでここまで被害が拡大したのか?

それは当時のソビエト政府の対応がひどすぎたから。
国民が「死体を掘り起こしてその肉を食べる」という極限状態になっても、ソビエト政府は人々を救おうとはしなかった。
小麦を輸出して金を稼いでいた。

 

 

そもそもソビエト政府は飢餓を認めなかった。

ソビエト国内に飢餓があるということは、それは国の政治がうまくいっていないことを意味する。

そうしたらソビエト政府は国家のメンツを失ってしまう。

ソ連としては飢饉を認めるわけにはいかなかった。国際政治の場での名誉失墜は避けねばならなかったのである

(ウィキペディア)

ソ連は数百万のもの国民の命を犠牲にしてまで、国家の名誉を守った。
こうなると、国家とは何のためにあるのだろう?
国民のための国家があるのではなく、国家のための国民がいることになる。

 

ウクライナの惨状は、他の国が知るようになる。
イギリスやスイスなどがソ連に対して、国民を救済するように訴える。

でも、ソ連はこの要請をはねのけてしまう。

ソ連政府は頑として飢饉の存在を認めず、「存在しない飢饉への救済は不要」という一点張りだった。

(ウィキペディア)

 

ソビエト政府は「飢餓を認めたら負け」とでも思っていたのだろうか?

どんな問題があっても、それを認めなかったらそれは存在しないことになる。
こうした政府のもとで生まれてしまった国民は不幸だったというしかない。

 

 

これなら、江戸時代の日本のほうがまだ人道的だ。

徳川幕府は、飢饉があってもその存在を認めないということはなかった。
できる限りの救済もしている。
たとえば、天保の飢饉のときは「御救小屋(おすくいごや)」というものをつくっている。

御救小屋

災害などに際して、被災民救済のために建てられた施設。明暦の大火や天保の飢饉などの時に設置され、食事を給したほか、授産事業も行った。

(日本史用語集 山川出版)

「人命尊重」の点では、20世紀のソビエト政府より江戸時代の日本のほうが進んでいただろう。

 

結局、ソ連がホロドモールという飢餓があったことを認めたのは1980年代になってから。

ソ連政府が一連の飢餓の事実を認めるのは、1980年代まで待たなければならなかった。

(ウィキペディア)

外貨とソ連の国家の名誉のために、400万人から1450万人の国民の命が失われてしまった。

国家とは国民の生命と財産を守るためにあるはず。
だけどソ連にとっては逆で、国家のために国民の生命と財産があったようだ。

 

 

今回の復習

・江戸時代、災害などに際して、被災民救済のために建てられた施設はなに?
・国民が飢えているにもかかわらず、政府はお金を稼ぐために食糧を輸出することをなんという?

 

答え

・御救小屋(おすくいごや)
・飢餓輸出

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカなど27の国・地域に旅をしてきました。以前、中学生に歴史を教えていた経験もあります。 また、日本にいる外国人の友人も多いので、彼らの目から見た日本も知っています。 そうした経験をいかして、日本や世界の歴史・文化・宗教などをテーマに、「読んでタメになる」ブログを目指しています。