イギリスの歴史①スコットランド王国の誕生と消滅、そのころ日本は?

 

 

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湖のほとりにたたずむ古城

 

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緑豊かな丘陵
スコットランドは、本当に素晴らしい風景の連続だった。
今でも思い出すたびに、心が洗われる。

スコットランドにまで足を運ばなかった人は、イギリスに行ったとは言えない。

 

って、あれ?
オレ、スコットランドにもイギリスにも行ったことなかったわ。
長崎のグラバー邸にも行ったことないや。

上の写真は、このブログから使わせてもらった物だった。

ハリーポッターだけじゃない!!童話の世界を感じるスコットランド旅がスタート。

旅の達人によるワクワクだけど、ほのぼのした冒険ブログ。読んでみ。

 

今回の内容

・ハドリアヌスの長城
・スコットランド王国の誕生と消滅
・スコットランドの反乱

 

・ハドリアヌスの長城

*ハドリアヌスの長城のことを知っている人は、先に進んで。

 

知ってた?
「長城」といえば、中国にある万里の長城だけが有名じゃない。
イギリスにある長城も、世界にその名が知れ渡っている。

それが、ハドリアヌスの長城。

 

ハドリアヌスの壁【ハドリアヌスのかべ】

英国イングランド北部,スコットランドとの国境近くに残るローマ時代の防壁。122年ごろローマ皇帝ハドリアヌスの命令で,北方民族の侵入を防ぐために築かれたもので,ローマ帝国の北限を示す。

(百科事典マイペディアの解説)

 

この巨大な壁の目的は、万里の長城と同じ。
北方民族が、自国の領土に入って来られないようにするため。

 

「ハドリアヌスと」いうのは、2世紀のローマ帝国の皇帝のこと。

 

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はい、地図のイギリスに注目。
イギリスの赤いところがローマ帝国の領土。
灰色のところが「ローマ帝国の外」になる。
だからこの境が、ハドリアヌスの長城ということ。

 

この壁は、単にローマ帝国の内外をしめすだけではない。
ほとんどそのまま、南のイングランドと北のスコットランドを分ける国境にもなった。

 

この長城は文化的境界ではなく、あくまで軍事上の防衛線として建設されたが、スコットランドに対する防御壁として、ローマ帝国の支配が及ばなくなった4世紀後半以後も、17世紀まで使用されていた。

このため、イングランドとスコットランドの国境として半ば固定化し、現在のイングランドとスコットランドの境界線にも大きな影響を与えている。

(ウィキペディア)

 

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ハドリアヌスの長城(ウィキペディア)

 

・スコットランド王国の誕生と消滅

イングランドから見たらハドリアヌスの長城の向こう側で、「スコットランド王国」が生まれた。
それは、1034年のこと。

 

ダンカン1世が1034年に即位して単一のスコットランド王国を樹立した。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

 

 

1034年というと、日本だと平安時代にあたる。

1016年には、藤原道長が摂政となって「摂関(せっかん)政治」がはじまった。
道長のおじさんが元気でバリバリやっていたころに、イギリスではスコットランド王国が誕生した。
1053年には、藤原頼通が平等院鳳凰堂を建てている。

 

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平等院鳳凰堂は、10円玉のウラでもおなじみ。

 

このスコットランド王国は、1707年にイングランドと合同することで消滅した。

下の記述は、外務省のホームページにある「スコットランドとは」から。

 

かつては「スコットランド王国」として独立したひとつの国でしたが,1707年にスコットランド王国とイングランド王国が合併し「グレートブリテン連合王国」が成立。

 

そのころの日本は?

1709年に、新井白石が正徳(しょとく)の治をおこなう。
1716年に、徳川吉宗が「享保(きょうほう)の改革」をおこなう。

享保の改革って覚えてる?
目安箱に公事方御定書なんかがあったヤツ。

徳川吉宗(よしむね)は、昔は米将軍で今は暴れん坊将軍の人。

 

 

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コロンビアのメイド喫茶
特に意味はない。
この記事の内容にも、まったくかすっていない。

 

・スコットランドの反乱

「よいしょ」っと、話をスコットランドに戻すよ。

 

1034年にできたスコットランド王国は、1707年まで約700年続いていたことになる。
とはいえ、スコットランド王国がこの700年間、イングランドと関係がなかったというわけではない。
大いにあった。

 

たとえば、「スコットランドの反乱」がある。
これは、高校の世界史で習う重要なできごと。
覚えておいて損はない。
これが起きたのは、1639年のとき。

 
ちなみに日本では、その2年前の1637年に島原の乱が起きている。
日英の同時代に「乱」が起きていたとは。
なんという偶然。

 

このスコットランドの反乱は、イングランドの国王チャールズ1世が悪い。

チャールズ1世が、スコットランドの人たちの宗教を無理やり変えようとしたから。

 

彼がスコットランド人にイギリス国教会の「祈禱書」を強制すると、彼らは反乱に立ち上がり、イングランドに攻め込んだ。

(ヨーロッパの歴史 欧州共通教科書 東京書籍)

 

祈禱書(きとうしょ)は、キリスト教の祈りのやり方が書いてある書物。
チャールズ1世は、「これまでのおまえたちの祈りの仕方はやめて、この祈禱書に書いてあるようにやりなさい」とスコットランド人に強制した。

 

上の「イギリス国教会」というのは、イギリスのキリスト教のこと。
このイギリス国教会は、常識として知っておいてもいい。

 

イギリス国内の宗教は、こんな感じ。

2011年、キリスト教徒74.7%、イスラム教徒2.3%、ヒンドゥー教徒が1.1%。

(ウィキペディア)

 

このキリスト教のうち、イギリス国教会が62%を占める。
だから今のイギリスで、もっとも信仰されている宗教はイギリス国教会になる。

チャールズ1世は、このイギリス国教会をスコットランド人に強要した。

 

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意外なことに、カレーはイギリスの国民食。
友だちのイギリス人が言うには、パブでカレーを食べてビールを飲むときが最高の瞬間らしい。

 

「改宗を強制する」

これは、政治家が絶対にやっちゃダメなこと。
これをしたことがきっかけになって、ドイツでは三十年戦争が起きた。
政治の力で人びとの宗教を強引に変えようとすると、間違いなく激しい反発を招いてしまう。

 

チャールズ1世は、スコットランドの人たちを無理やりイギリス国教会に変えようとした。
当然、スコットランド人は激怒して行動をおこした。

それが、さっきの「彼らは反乱に立ち上がり、イングランドに攻め込んだ」の部分。

そして、このスコットランドの反乱がイギリス革命につながる。

 

それは次回に。

 

では、今回の復習だ。

・1034年にイギリスで誕生した国はなに?
・徳川吉宗がした改革はなに?
・1639年にイギリスでおきた反乱はなに?
・その2年前、日本でおきた反乱はなに?
・イギリスでもっとも信仰されている宗教は?

 

答え

・スコットランド王国
・享保(きょうほう)の改革
・スコットランドの反乱
・島原の乱
・イギリス国教会

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。