イギリスの歴史②「スコットランドの反乱からのイギリス革命」を簡単に説明

 

今回の内容

・スコットランドが人類に与えた影響
・イギリス革命へ
・イギリス革命の意義は、権利章典にアリ

 

・スコットランドが人類に与えた影響

スコットランド人が、どれだけイギリスや人類に貢献しているのか?
それをイングランド人に、冗談っぽく伝えるこんな話があるそうだ。

下の文の黒文字の物や人は、すべてスコットランドが関係している。

「あるイングランド人が朝食にトーストとマーマレードを食べている。彼はレインコートを手に取り、自転車に乗って駅に向かう。タイヤタールマック舗装の道路を駆け抜ける。

彼は蒸気エンジンを使った列車に乗って、イギリス中央銀行であるイングランド銀行へ仕事に行く。オフィスに届いた郵便を開けるとき、彼は糊つき切手をちらりと見て、たばこを一服する。

仕事が終わりに近づくと、彼は夫人に電話をかける。夫人は彼に、今日の夕食は彼の好きなローストビーフだと伝える。

仕事を終えて家に帰ると、娘がテレビを見ている。番組はアメリカ海軍の話。息子は「宝島」を読んでいる。聖書を開くと、最初に出てくる名前のスコットランド人のものだ。

このイングランド人は、スコットランド人が生み出したものから抜け出せない。気分を変えようと思ってウイスキーを手にするが、ここでも最高のものはスコットランド人が作っている。

あらゆることから逃げ出したくなったら、彼はガスオーブンに頭を突っ込んでもいいと。あるいは後装式ライフルで頭をぶち抜くこともできる。うまくいかなかったら、ペニシリンを注射しても麻薬薬を投与してもらってもいい

(驚きの英国史 コリン・ジョイス)」

これを読むとイングランド人の生活には、スコットランド産の物やスコットランド人の発明品が欠かせないことがよ~く分かる。

今回は、そんなスコットランドとイングランドの歴史の話。

中学校の歴史で習った「イギリス革命」について、簡単にご説明。

 

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チョイと前回のおさらい。

 

イングランドの国王チャールズ1世は、スコットランドに「イギリス国教会」という宗教を押しつけた。

彼がスコットランド人にイギリス国教会の「祈禱書」を強制すると、彼らは反乱に立ち上がり、イングランドに攻め込んだ。

(ヨーロッパの歴史 欧州共通教科書 東京書籍)

イギリス国教会とは、今のイギリスでもっとも信仰されているイギリスのキリスト教のこと。

「祈禱書(きとうしょ)に書いてあるように祈りをしろ!」とチャールズ1世はスコットランド人に命令をした。

 

けれど、スコットランド人はそれに激しく反発する。
自分が信じたい宗教を信じることは、人としての大事な権利だから。
そして、1639年に「スコットランドの反乱」がおきた。

 

チャールズ1世は、この反乱を力でおさえこもうとした。

「うるせえヤツラだ、武力で黙らせてやろう」と。
でも、戦いをするにはお金がかかる。
武器も食料も必要。
チャールズ1世は、そのための費用を出すために税金を上げようとした。

 

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チャールズ1世は、「ドケチ」な人間。
画家にこの絵を描かせたけど、半分の金額しか払わなかった。

真の王者にふさわしい気品に満ちた肖像画である。しかし学芸の庇護者の名声に似あわず、この君主は画家の請求額を半分に値切った。

(ヨーロッパの歴史 欧州共通教科書 東京書籍)

 

・イギリス革命へ

「そんなことで増税すんな!」と、今度はイングランドの議会がチャールズ1世にブチ切れる。
そして国王と議会の対立が、「イギリス革命(ピューリタン革命)」に発展してしまった。

イギリス革命

1640~60
イギリス絶対王政を崩壊させた市民革命。ピューリタン革命とも言う。チャールズ1世はの強権政治に対する不満から、1642年には武装闘争に発展した。

(世界史用語集 山川出版)

だからスコットランドの反乱で大事なことは、「この乱がイギリス革命につながった」ということ。

 

結果、スコットランドの反乱を鎮圧するために増税しようとしたチャールズ1世は、クロムウェルらによって捕まってしまう。

そして、公開処刑されてしまった。
多くのイギリス人が見守るなかで、国王チャールズ1世は斧で首を切断されてしまったのだ。

 

after Unknown artist,print,circa 1649

チャールズ1世の処刑(ウィキペディア)

あ、あの、首のない頭部から鮮血がほとばしってるんですけど・・・。

 

かつてインドは、イギリスの植民地でなあ。by 牛

 

・イギリス革命の意義は、権利章典にアリ

イギリス革命の意義は、権利章典という文書にある。

けんり‐しょうてん【権利章典】

《Bill of Rights》1689年12月、英国王ウィリアム3世とメアリー2世が発布した「臣民の権利および自由を宣言し、王位継承を定める法律」の通称。議会の提出した権利宣言を成文化したもので、英国の立憲政治の基礎となった。

(デジタル大辞泉の解説)

それまでは、国内では王がNo.1。
王をこえる存在はなかった。

 

でもこの権利章典によって、「法は王をこえた存在である」、「王も法に従わなければならない」ということが確認された。
これは、ヨーロッパの歴史で決定的な意義がある。

ヨーロッパ史上決定的な意義を持つこの文書には、こう明記されている。すなわち「法の力は王権に優越する」。請願の権利が認められ、あまりにも残虐な刑罰が廃され、課税は議会の承認にしたがうものとされた。ここに自由の時代が始まったのである。

(ヨーロッパの歴史 欧州共通教科書 東京書籍)

「ここに自由の時代が始まったのである」
なんか、カッコいい。

 

イギリス革命で大事なことは「王を倒した」ということよりも、そのことによってイギリスに立憲君主制が確立したということ。
実際、今のイギリスにはエリザベス女王がいる。
イギリスは、王政を放棄したわけではない。

 

イギリス革命の後、「やっぱり、イギリスには王が必要だ!」ということに気づいてまた王を戻している。

でも、「法の力は王権に優越する」という立憲君主制の原則は、今のイギリスでもまったく変わっていない。

 

 

今回の復習

・スコットランドの反乱をきっかけにおこった出来事は?
・それによって処刑されたイギリス国王はだれ?
・その出来事によって出された、ヨーロッパの歴史で決定的な意義をもつ文書はなに?

 

答え

・イギリス革命
・チャールズ1世
・権利章典

 

 

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。