薩英戦争①「漁夫の利」敵と敵を争わせたら、自分は安心安全

 

始めにクイズ。
次の日本人は誰?

ヒント:戦国時代

 

「その部屋は縦十三畳、横四畳の広さがあり、樹木や鳥が黄金をもって描かれており、関白は奥の上座に坐し、絶大な威厳と貫録を示していた。
(ルイス・フロイス)(日本絶賛語録 小学館)」

 

ヒントその2
「関白」に「黄金」といえば?

 

 

答え

「豊臣秀吉」でした。

 

日本史の重要人物である「フロイス」も知っとこうか。

フロイス

ポルトガルのイエズス会宣教師。東インドに派遣され,ゴアで日本の事情をザビエルから聞いて1563年来日。九州,近畿など各地を伝道,織田信長,豊臣秀吉とも交わり,信長の面前で朝山日乗を論破した。

(百科事典マイペディアの解説)

 

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ルイス・フロイスの署名(ウィキペディア)

 

 

A国、B国、C国の3国があって、天下統一をめざして互いに戦っているとする。

まさに中国の三国志のような状態だ。

 

このとき、A国にとって「一番おいしい」というのは、B国とC国が戦うこと。
どちらが勝っても、その国は疲れ切って弱くなっている。

引き分けたとしも、両方とも弱体化している。

 

弱くなったところにA国が攻め込んで、敵国を倒して自分が天下を統一する。
A国にとっては、これが理想のはず。

 

敵と敵が争って、美味しいところを自分がいただく。

そんなことを、「漁夫の利を得る」という。

 

【読み】 ぎょふのり
【意味】 漁夫の利とは、当事者同士が争っているうちに、第三者が何の苦労もなく利益をさらうことのたとえ。

(故事ことわざ事典)

 

歴史では、こんなことがよくある。
イギリスがインドを植民地にしたときも、漁夫の利を得るようなやり方をしていた。

 

当時のインドは日本の戦国時代のような状態で、国内で多くの国争っていた。

そこでA国とB国とが争って、両者が弱くなったところをイギリスが奪ってしまう。
そんなことをして、インドを支配下においていった。

 

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ネットでよく使われる「争え・・・」のAA。

 

 

漁夫の利に似た言葉に、「夷を以て夷を制す」というものがある。

 

夷(い)を以(もっ)て夷を制す

《「後漢書」鄧禹伝から》外国を利用して他の国を抑え、自国は戦わずに利益を収め、安全を図る。夷を以て夷を攻(せ)む。
以夷制夷(いいせいい)。

(デジタル大辞泉の解説

 

そんなに難しいことではない。

 

学校や職場に自分にとって、イヤ~なAさんとBさんがいたとする。
このとき一番困るのは、AさんとBさんを同時に敵にまわして自分が2人からせめられること。
だから、AさんとBさんがケンカをしていて、自分には注意が向かない状態が一番いい。

この状態を自分が意図的につくり出したら、「夷を以て夷を制す」という状態にちかい。

 

自国のまわりのA国とB国が争っている間は、自分の国には手を出してこないから安心。
この「夷を以て夷を制す」は中国の言葉で、中国の伝統的な外交戦略でもある。
今のパキスタンとインドの争いや韓国と北朝鮮の争いを見ていると、この言葉が思い浮かぶ。

 

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北朝鮮との国境で警戒にあたる韓国軍の兵士。
こんなところまで観光に行くことができる。

 

ところで、「漁夫の利を得る」の反対の意味の言葉が分からない。

本人に責任や関係がないにもかかわず、他人が起こした問題に巻き込まれて、自分が損をしてまうようなこと。

 

たとえば、目の前で他人の車同士がぶつかったとする。
不幸な交通事故だけど、自分には責任も関係もない。

でもなぜか、自分がその事故の処理に必要なお金を払わないといけなくなる。
そんな謎の展開。

 

「とばっちりを受ける」や「ケンカの側杖」といった言葉が、そんな意味になるんだろう。

 

喧嘩(けんか)のそば杖(づえ)

けんかをそばで見ていて、打ち合う杖に当たること。関係のない人がけんかのとばっちりを受けること。

(デジタル大辞泉の解説)

 

前置きがずい分長くなってしまった。
今回と次回の記事で言いたいのは、これ。

 

薩英戦争では江戸幕府が、まさにとばっちりを受けている。
薩摩藩とイギリスの争いで、自分は関係がなかったのに大損してしまったという謎の展開に巻き込まれた。

 

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争いは、同じレベルの者同士でしかおこならない。by カンガルー

 

・薩英戦争の敗者は、江戸幕府

前回、薩英戦争について書いた。

薩英戦争では、薩摩藩もイギリスもダメージを受けて痛み分けに終わる。
両者痛み分け、という感じ。

 

双方ともかなりの被害を受け、講話が成立。薩摩は攘夷の無謀を理解し、講和後に両者は接近した。

(日本史用語集 山川出版)

 

でも、薩英戦争で大事なことは、「どちらが勝ったか?」ということではない。

 

薩摩藩が実際にイギリスと戦ったことで、「外国には勝てない。攘夷はムリだ」と認識を変えたことがとても重要。

つまりこの戦争によって、薩摩藩の考えが「攘夷から開国へ」と変わったということ。

 

敗北して近代化の必要性を痛感した同藩は攘夷(じょうい)論から開国論に転じ、これを機に開国、明治維新の流れができたと言われる。

(朝日新聞掲載「キーワード」の解説)

 

 

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それにしても、「現実を知って認識を改める」ということが中国にもあったらなら、西洋の半植民地という屈辱的な状態にはならなかったんじゃないかな?

 

清はアヘン戦争でイギリスに負けても、「このままじゃヤバい。国を変えなきゃいけない!」と考えることがなかった。
アヘン戦争の敗戦によって、イギリスに香港を取られたにもかかわらず、清は変わろうとしなかった。

 

中国が本気で国を変えようと目覚めたのは、日清戦争で日本に負けた後だった。

でも、時すでにおすし・・・・。いや、遅し。

 

 

話を薩英戦争に戻す。

じつは、この戦争の敗者は江戸幕府だった。

そのことは、次回に。

 

 

今回の復習

・1563年に来日したポルトガルのイエズス会宣教師で、織田信長,豊臣秀吉と
も交わりがあったのはだれ?
・「当事者同士が争っているうちに、第三者が何の苦労もなく利益をさらうことの
たとえ」はなに?
・インドはどこの植民地だった?
・1840年に清とイギリスとの間でおきた戦争はなに?
・その戦争によってイギリスが奪ったところはどこ?

 

答え

・ルイス・フロイス
・漁夫の利
・イギリス
・アヘン戦争
・香港

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。