キリスト教の信仰の違い⑨ プロテスタントの教会に聖像はいりませんから!


 

「日本の風光は美しい。日本の自然を洗っている光はことのほか美しい」
「日本では、自然と人間は、一体化しているように見えます」
(アインシュタイン 大正時代)「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」

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今回の内容

・キリストの像も仏像も禁止!
・キリスト教での、神と人とのつながり方
・カトリックとプロテスタントの教会の違い

 

今のほとんどの日本人にとって、キリスト教の教会に、イエス・キリストやその母であるマリア像がにあっても、何の違和感も覚えないはず。
でも、キリスト教では、はるか昔、こういったキリストの像をつくって、礼拝することは禁止されていた。

 

七世紀末から九世紀中葉にかけて画像論争というのがあった。神の像を彫んでそれを礼拝することは偶像崇拝としてユダヤ教、キリスト教で伝統的に禁じられてきた(キリスト教の歴史 小田垣雅也)

 

仏教でも、仏像がつくられるようになる前までは、仏の形をした像をつくってそれに礼拝することはなかった。

 

仏像

仏陀などの像。祭式中心主義のバラモン教の影響や、シャカ自身の命によって、インドでは具体的な像は作られなかった。(世界史用語集 山川出版)

 

仏像が作られるようになったのは、1世紀以降とされている。
一説には、アレクサンドロス大王がインドとヨーロッパを結んで、インド人がギリシアの影響を受けたことで、仏像作りが始まったという。

 

でも、キリスト教でキリストの像がつくられなかったのは、仏教の場合とは理由が違うはず。
キリスト教では、神が人間をつくったことが大前提になっている。
神が創造主(つくった存在)で、人間は被造物(つくられたもの)になる。
神の被造物である人間が、神をかたどった像をつくるということは、「人間が神をつくる」ということにつながってしまう。
しかも、その像に祈るということは、キリスト教の本来の考え方からしたら、ダメなんだろう。

 

でも、カトリックでは、キリストをかたどった像をつくることは認めていた。
文字が読めない人たちへキリスト教を布教することに役立つことから。

 

「画像とか象徴は文盲の人々に対して有用であるわけで(キリスト教の歴史 小田垣雅也)」

 

カトリックは、キリスト教の布教だけじゃなくて、すでにキリスト教徒になった信者の信仰心の向上のためにも、この聖像を使っていた。
日本のお寺に仏像がなかったら、信仰心がわきにくいんじゃない?
見た目の分かりやすさは大事!

 

・キリスト教での、神と人とのつながり方

でも、宗教改革を起こしたプロテスタント(新教)のルターは、キリストの像をつくることを認めなかった。
この理由には、カトリックとプロテスタントでは、信仰に対する考え方が違うことがある。下の「宗教改革派」というのは、プロテスタントのこと。

 

カトリック教会は、一般信徒は神と直接にコンタクトをもつことができず、両者の間を聖職者と教会が仲介すると考えたが、宗教改革派は、一般信徒にも神との直接的な対話が可能ととらえた「宗教改革の真実 永田諒一」

 

カトリックでは、「神ーカトリック教会(ローマ教皇や神父)ーカトリック教徒」とつながっていた。
カトリック教徒が神とコンタクトをもつ(つながる)ためには、絶対にカトリック教会をとおさないとダメ、とされていた。
これに対して、ルター(プロテスタント)は、「神ープロテスタント教徒」と、信者が直接神とつながることができると考えた。というか、それを悟った。

 

これを友だちの会社で例えると、多分、こんな感じ。
平社員は、社長と直接仕事の連絡をすることができない。
課長や部長などの上司をとおして、社長とやり取りをすることができる。
これが、カトリックの考え方になる。
「平社員(一般のカトリック教徒)は、必ず上司(カトリック教会・神父)をとおさないと、社長(神)とコンタクトをとれない」という具合。
「カトリック信者ーカトリック教会ー神」のように、「平社員ー上司ー社長」とつながる。

 

プロテスタントの考えでは、平社員が上司をとおさずに、直接社長とコンタクトをとることができる。
「神ープロテスタント教徒」のように、「平社員ー社長」とつながることができる。

 

こうなると、平社員が社長とコンタクトをとることができるから、上司はいらなくなる。
プロテスタントの考え方も同じで、信者が自分で神と直接やり取りができるから、カトリック教会(ローマ教皇や神父)は必要ない。

 

・カトリックとプロテスタントの教会の違い

前に、プロテスタントのアメリカ人に何で、プロテスタントでは、キリストやマリアの像が必要ないのか聞いたことがある。
そのときの答えが、これ。
「自分が直接神とやり取りできるのに、何でマリアやキリストの像が必要あるのか?いらないでしょ」
というもの。
まあ、細かい理由は、たくさんあるかもしれないけど、そこまでは、一般のプロテスタントも知らないと思う。

 

というわけで、プロテスタントの教会には、聖像や神父はいらないし、教会内部を豪華にする飾りも必要もないという。
だから、プロテスタントの教会は、カトリックの教会より、すっきりシンプルな感じになっている。
そのプロテスタントのアメリカ人にとっては、教会は神聖な場所ではなく、身近な存在で、スターバックスとほとんど変わらないらしい。
ちなみに、アメリカ人とこの話をしていたとき、スタバにいた。

 

以前の記事で書いたけど、カトリックとプロテスタントの見た目の違いは、大ざっぱに言えば、「派手か地味か」というもの。
カトリックは「派手」で、プロテスタントは「地味」。
神父(カトリックの聖職者)の服は、白地に金の飾りがあったりして、「おおっ」と、目を引く豪華な感じ。
牧師(プロテスタントの聖職者)の服は派手さはなく、落ち着いた感じ。

 

いろいろときれいな祭服を着ているのが、神父さまで、牧師はどちらかというと黒のそっけない服、という見分け方もあります。(キリスト教がわかる。AERA MOOK)

 

教会の内部も違う。
カトリックの教会は、マリアやキリストの像があったりして、装飾が豪華で派手なものが多い。
写真の取りがいがある。って言ったら怒られるかな。

 

プロテスタントの教会は、内部もそっけない。
マリア像やキリスト教の像もないし、装飾もあまりなくて、すっきりしていて、落ち着きがある。
あんまり、写真の撮りごたえはないかもしれない。これも、怒られるな。

 

もちろん、カトリックとプロテスタントのすべての教会がそうなっているわけではない。あくまでも、そんなイメージ。
この違いにも、プロテスタントとカトリックの信仰の仕方の違いが影響していると思う。
ボクが本で読んだり、プロテスタントの友だちから聞いたりした限りでは、プロテスタントはいつでもどこからでも直接神とコンタクトすることができる。

 

これに対して、カトリックの信者は、教会で神父をとおしてじゃないと神とつながることができない。
だから、カトリックの教会は、信者にとって「特別な場所」と感じられるように、「神聖な雰囲気」が生まれるように、聖職者の服や内装が豪華になるんだろうと思う。
カトリックでは、プロテスタントよりたくさんの儀式をするから、その意味でも、それなりの立派な荘厳な雰囲気の教会がふさわしいんじゃないかな?

 

良かったら、こちらもどうぞ。

「ヨーロッパ」カテゴリー 目次 ① 

「ヨーロッパ」カテゴリー 目次 ②


日本人とキリスト教徒(アメリカ人)との宗教観の違いについては、こちらをどうぞ。

アメリカ人と京都旅行 ~日本人とキリスト教徒の宗教観の違い~ 1~5

アメリカ人と京都旅行 日本人とキリスト教徒の宗教観の違い 6~11

 

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