死は、後ろからやって来る ~ポル・ポト政権下のカンボジア人③


 

「写真を撮ってください」


カンボジア人の日本語ガイドと一緒に、ツールスレン虐殺博物館を歩いているときに何回か言葉をかけられた。

 ツースルレンは、歩いているだけで、息が苦しくなる。
ここで起きたことは、遠い過去ではない。
ほんの40年前のことだ。
今も、館内にはその痕跡が生々しく残っている。

拷問が行われていた部屋に入ると、床にはそのときの血痕がはっきり残っていて、背筋が寒くなる。
校舎の中には、レンガで区切られた小さな空間がいくつもある。
囚人が閉じ込められていたスペースだ。囚人たちは、ここでどんなことをされていたのか、何を思って生きていたのか、どういったことを想像すると胸が締め付けられる。

 

 「ここは、ボクのような観光客が自由に写真を撮ってもいい所なのだろうか?」と、カメラを手にしたまま、何度もためらってしまった。
そうすると、ガイドは「大丈夫です。写真を撮ってください」と、ボクに言っていた。

 

彼自身、ここで起きたことを、世界の多くの人に知ってもらいたいという。
そして、今後、こうした悲劇が世界のどこにも起きないように願っていた。
カンボジアの学校でも、カンボジアの負の遺産を忘れないために、ここに多くの生徒を連れて来ているという。

 

「囚人にされた足かせ」

 

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「水責めと逆さづりの拷問が行われていた これは、元は体育で使う鉄棒だったという」

 

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ツールスレンで命を奪われた人たち
この写真をのせるか迷いましたが、ここで起きたことを伝えることが大切であると思い、のしました。

 

 ここに来た外国人は、みな一様にショックで言葉を失う。
ガイドは、あるフランス人女性のことを話してくれた。
そのフランス人観光客は、泣きながらカンボジア人の彼に謝罪したというのだ。ここで殺された人たちの顔写真や拷問を受けた部屋を見ているうちに、たまらなくなったという。

 

「何でフランス人が?」
と思ったら、ポル・ポトがフランスで共産主義を学んだからだという。
彼女は、フランスがポル・ポトに共産主義を教えてしまったことが、この虐殺につながったことに責任を感じ、いたたまれなくなって、彼に謝罪したのだ。

 そのフランス人に対しては、こう話していた。

 

 「彼女もポル・ポトの被害者ですし、今は、私たちの友人です。それに、ポル・ポト時代は終わりました。もう過去のことです。現在のフランス人が責任を感じたり、謝罪したりする必要はありません。そんなことをカンボジア人は求めていません。カンボジアに来てくれて、楽しんでくれたら、それでいいのです。それに、共産主義は、それ自体は悪い考えではなかったと思います。ポル・ポトがつくり出した共産主義が悪かったのです」

 

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ツールスレンから生きて解放された人たち 「幸運」というもの以上の何かをもっていたのだろう。

 

 そして、ポルポト時代に青年期を過ごした彼は、当時を振り返って、こうも言っていた。


「私は、ポル・ポト時代、同じ年齢の男たちと集団で生活していました。そのときは、ある人が組織の人間に声をかけられ、どこかに連れて行かれて、それきり帰って来なかったことがありました。きっと、森の中で、殺されたんですね。私の横で寝ていた人が、次の日の朝には、いなくなっていたこともありました。こんな風に、いきなり、殺されることがありました。殺していた組織の人間が殺されることもありました」

 

 「死は、急にやってきた」


ガイドのそんな言葉を聞いて、ふと、「徒然草」の言葉を思い出した。
兼好法師(吉田兼好)は、徒然草の中で「死は、前からではなく、後ろからやって来る」と書いている。