アイルランドと英国の歴史②ジャガイモ飢饉とアメリカ移民


 

いきなりだけど、江戸時代クイズ!

江戸時代の三大飢饉(ききん)ってなんだ?

 

 

 

答え。

「享保(きょうほう)の飢饉」
「天明の飢饉」
「天保の飢饉」

この三つが江戸時代の三大飢饉と呼ばれている。

このなかの天明の飢饉は、18世紀後半におきている。
ヨーロッパでフランス革命がおきたときとほぼ同じとき。

このときは雨が降らなかったのではなくて、雨が降りすぎてしまった。
さらに浅間山の大噴火や冷害などによって、全国的な大飢饉となる。

被害が特にひどかったのが東北地方で、餓死者は仙台藩だけで30万人にもなったといわれる。

このときの東北は、文字通り地獄絵図。

被害は東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定約2万人)が餓死したと杉田玄白は『後見草』で伝えているが、死んだ人間の肉を食い、人肉に草木の葉を混ぜ犬肉と騙して売るほどの惨状で、ある藩の記録には「在町浦々、道路死人山のごとく、目も当てられない風情にて」と記されている

(ウィキペディア)

この天明の飢饉によって、老中だった田沼意次の失脚が早まった。

 

今回書くアイルランドのジャガイモ飢饉でも、同じように人が人肉を食べるというような地獄がうまれたという。

ジャガイモ飢饉

1840年代半ばに、ジャガイモの疫病による凶作で発生したアイルランドの飢饉。100万人以上が餓死する一方、ほぼ同数の人がイギリスやアメリカに移住した。

「世界史用語集 山川出版」

 

 

アイルランドでジャガイモの栽培がさかんにおこなわれていたのは、ジャガイモは寒くて荒れた大地でも育ちやすく、他の作物に比べれば育てるのも楽だったから。

大ざっぱに言ったら、「ほっといても自然に育ってくれる」という感じ。

ほとんど手入れなしでも一ヘクタールの畑で十七トンものイモが生産されるため、ときにはジャガイモ畑は「怠け者のベッド」と呼ばれたほどだ。

「ジャガイモの世界史 伊藤章治」

 

また、アダムスミスは著書の国富論で「ジャガイモは小麦の3倍の生産量がある」と書いている。
あまり手入れをしなくても育ってくれて、しかも収穫量が多い。
まさに最高の作物。

ジャガイモ畑が「怠け者のベッド」と呼ばれていたように、ジャガイモも「貧者のパン」と呼ばれることがある。
ジャガイモには、「貧乏な人の食べ物」というイメージがあった。

 

日本でジャガイモといえば、北海道が有名。
ジャガイモは寒いところでも育つし、長く保存することもできる。
北海道でジャガイモをつくるようになった理由には、そのことがある。

アイルランドと北海道は、面積・人口・ジャガイモの3点でよく似ている。
面積は北海道とほぼ同じ。
人口は、アイルランドが約476万人(2016年アイルランド国勢調査)に対して、北海道は約550万人。

くわしくはこの記事を↓

アイルランドの基本情報と日本との関係(日の丸・怪談・銀座)

 

 

1845年から4年間にわたって、ヨーロッパ全土で「ジャガイモ疫病」が大流行した。
これによって、ヨーロッパのジャガイモ栽培は壊滅的な打撃を受ける。

このジャガイモ飢饉は、14世紀の黒死病以来の大惨事ともいわれている。

 

このジャガイモ疫病の直撃を受けたのがアイルランドだった。
このときジャガイモ飢饉がおきて、先ほどの天明の飢饉のような「人が人の肉を食べる」という地獄絵図があらわれる。

収穫が皆無となるなか、働き手はこぞって米国などに海外移民、残された者たちはペットを食べ、さらには人肉までも口にしたという話が伝わるほどの地獄絵図が現出した。

「ジャガイモの世界史 伊藤章治」

 

ジャガイモ飢饉で多くの人が亡くなったのは、ジャガイモ疫病の流行だけが原因ではない。
イギリス人にもその責任がある。

このときにイギリス人がとった政策が誤ったことで、被害を拡大させてしまった。

この不作を飢饉に変えた要因は、その後の政策にあるといわれている。

ヨーロッパの他の地域では在地の貴族や地主が救済活動を行ったが、アイルランドのアイルランド貴族や地主はほとんどがブリテン島に在住しているイングランド人やスコットランド人であり、自らの地代収入を心配するあまりアイルランドの食料輸出禁止に反対するなどして、餓死者が出ているにもかかわらず食料がアイルランドから輸出されるという状態が続いた。

(ウィキペディア)

 

アイルランドで、人肉までも口にしたという地獄がうまれていた一方で、イギリス人はジャガイモをアイルランド人に配ろうとはしなかった。
それどころかイギリス人は、お金をかせぐためにジャガイモを海外に売っている。

民衆は食べ物なくて飢えて苦しんでいるのに、国の支配者は金もうけのために外国に食べ物を輸出してしまう。

こういうのを「飢餓輸出」という。
この飢餓輸出の例には、20世紀の旧ソ連でおきた飢餓「ホロドモール」がある。

ホロドモール

1932年から1933年にかけてウクライナ人が住んでいた各地域でおきた人工的な大飢饉である。

(ウィキペディア)

 

 

アイルランドのジャガイモ飢饉では、ジャガイモ疫病とイギリスの誤った政策によって多くの餓死者を出してしまった。

この飢饉の犠牲者の数は、正確にはわかっていない。
「ジャガイモの世界史 伊藤章治」では、150万人という数字を紹介している。

これはカンボジアでおこったポルポト派の大虐殺とほぼ同じ人数だ。
時どき、ポルポト派による大虐殺の犠牲者数を「300万人」と書いているブログもあるけど、300万人は盛りすぎ。
実際はそこまでではない。

 

1997年、イギリス政府はジャガイモ飢饉での責任を認めてアイルランドに謝罪している。

1997年、イギリスのトニー・ブレア首相は、アイルランドで開催されていた追悼集会において、1万5千人の群衆を前に飢饉当時のイギリス政府の責任を認め、謝罪の手紙を読み上げた。これはイギリス政府の要人からの初めての謝罪であった。

(ウィキペディア)

 

インド独立を指導したガンディーは、インドを植民地支配していたイギリス人についてこう言っている。

「イギリス人たちは私たちの国にとって死神そのものです」

 

アイルランドの首都ダブリンにあるジャガイモ飢饉の追悼碑(ウィキペディアから)

 

先ほどの世界史用語集でこんな文があった。

「100万人以上が餓死する一方、ほぼ同数の人がイギリスやアメリカに移住した」

ジャガイモ飢饉によって、アイルランドには食べる物がなくなってしまった。
そのため、「もう、アイルランドで生きていくことができない」と考えた多くのアイルランド人はアメリカにわたっていった。

後年、そのアイルランド移民の子孫から、ケネディロナルドレーガンの2人の大統領が生まれている。

ケネディ家のルーツ

ケネディ家のルーツは1848年にジョン・F・ケネディの曽祖父パトリック・ケネディ(1823〜1858)が、まだ英国領であったアイルランドでの差別と飢饉を逃れて新大陸アメリカを目指したことに始まる。

(ウィキペディア)

アイルランドのジャガイモ飢饉がなかったら、アメリカにケネディ大統領は誕生していなかったことになる。

 

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