旅で人は変わらない。自分は自分で変える。①


 

始めのことば

一人の方はあなたが西北原へお越しになればきっとあなたを殺してお金や何かを取るに違いありません。どうもあなたのような御親切な尊いお方がああいう悪い人のために殺されるかと思うとお気の毒で堪りませんからお話し致します「チベットに旅行記 川口慧海」

ボクが最も尊敬する「バックパッカー」川口慧海

河口慧海

1866~1945 仏教学者・探検家。
1900年、密入国して日本人として初めてチベットのラサに入る。チベット仏教紹介は世界的な業績とされる。「日本史用語集 山川出版」

「バックパッカー」なんて、失礼なレベルの人。

 

 

もう、地球上でボク以外誰も覚えていないだろうけど、このブログは、「インドで人は変わるか?」ということから、始まった。

 

旅に出たら人は変わる?という質問

 

そう疑問を示しつつも、今までそれに答えていなかった。
「今さら・・」といった感もあるけど、自分の中では「そう書いた以上、けじめをつけなきゃ」と、気になってはいた。
だから、今回からは、それに答える形で記事を書いみようかな、と。

 

今までに、東アジア、東南アジア、中東、西アフリカの26の国や地域に旅をしてきた。それなりに、旅について思うところもある。
ひょっとしたら、それが、これから旅する人やこれからも旅を続ける人に役立つかもしれない、という期待もあったりする。

 

はっきり言って、「オレの旅論」なんて、ただの自己満足で恥ずかしい。
でも、旅をする人には、誰でも自分なりの旅の「こだわり」があるんじゃないの?
ボクが旅で出会った人たちとは、「旅で人は変わるか?」なんていうテーマで話したことは何度もある。
ボクは、「変わらない」って、思っているけどね。
「自分は、旅で変わった!」と言う人はいる。
その人の結論だから、否定する気はないけど、でも、それは旅がその人を変えたんじゃなくて、旅によって、自分が自分を変えた結果だと思う。

 

大学時代、友人から面白い話を聞いたことがある。
男と女とでは、浮気をする理由が違うというのだ。
彼が言うには、男は「癒し」を求めて浮気をして、女は「刺激」を求めて浮気をするらしい。
男にとって必要なものは心休まる癒しの時間で、それが家庭になければそれを家の外に求める。

 

女にとっては、毎日が同じことの繰り返しのような退屈な生活には耐えられず、生活の中で何の刺激もなくなってしまうと、それを外に求めるようになる。
彼の説では、女性が記念日のイベントやサプライズが好きな理由も、日々の生活に刺激が欲しいことからくるらしい。

 

こんな話を聞くと、マリーアントワネットが言ったというこんな言葉を思い出す。
「私は退屈することが怖いのです」

 

彼の言っていることがどこまで当たっているかは分からない。
それには関係なく、この話が面白くて印象に残っている。
ボクが海外旅行に行き続けている理由の一つに、これがある。
日本にはない刺激を求めて、外に出ている。

 

一般的に日本では、男性より女性の方に旅行好きが多い。
旅行のガイドブックやテレビの旅行番組は、「女子目線」のものがほとんどで、旅行雑誌の「るるぶ」や「じゃらん」は、その代表格といえる。

 

このことは、「女性が、男性よりも刺激を求める」という友人の説を裏づけるものかもしれない。
「るるぶ」は、「見る・食べる・遊ぶ」の頭文字をとってできた言葉だという。
結婚したボクの友人は、「寝る・食べる・遊ぶ」という、役に立たない「るるぶ」が多い。

 

こういう「るるぶ」は置いといて、雑誌の「るるぶ」は、まさに人間の好奇心を表している。

日本人は、昔から、外国人から見たら好奇心が旺盛だし、知識欲も強いようだ。
例えば、戦国時代に日本に来たフランシスコ・ザビエルは、日本人をこんな人たちだと言っている。

 

しつこく質問しに来る者たちが昼も夜も跡を絶たず、解放されることがほとんどありません。質問はとぎれることなく延々と続きます。「ザビエルが見た日本 講談社学術文庫」

 

また、幕末の日本に開国を迫ったアメリカ人のペリーは、吉田松陰らをこう言っている。

 

知識を増すために生命をさえ賭そうとした二人の教養ある日本人の烈しい知識欲を示すもので、興味深いことであった。
日本人は疑もなく研究好きの人民で、彼等の道徳的並びに知識的能力を増大する機会を喜んで迎えるのが常である。「日本絶賛語録 小学館」

そして、好奇心なら、ボクも日本の女子たちには負けていない。
そもそも、このブログのタイトル「ゆかしき世界」の「ゆかし」とは、好奇心を意味する大和言葉だ。

 

「好奇心がそそられる。見たい、聞きたい、知りたい、欲しいなどの気持ちを表す(大辞泉)」

 

「るるぶ」も「ゆかし」も同じ意味で、共に日本人の好奇心を表している。
まあ、ボク自身は、「食べる」ことにはあまり興味はないけれど。

 

旅は国内であっても面白いよ。
でも、「刺激」という点では、やっぱり、海外には及ばない。
タイに行ったときは、日本の寺とはまるで違う派手でキラキラしたタイ寺院に驚かされたし、中国の万里の長城では、これは本当に人間が築いたものかと圧倒された。

 

ボクが今まで行った国の中で、一番刺激に満ちていていたのがインド。
インディア。天竺。身毒。バーラト。
ここで受けた刺激が強烈だった。
だから、インドをこのブログの始まりにした。

 

20年前にしたボクのインド旅は、大学の友人に言われたこの一言が、きっかけ。「インドに行けば、人生観が変わる」
マジかよ。
海外に行って、日本にはないような物を見たり、自然を楽しんだりすることだけでも十分価値がある。
でも、それだけじゃなくて、「自分を変える旅」という響きに魅かれた。
そのためには、インドという何となくミステリアスな国が最適であるような気がした。
ビートルズも、インドに行って、精神的な影響を受けてるじゃん?

 

そう思って、一か月ほどインドを一人旅した。
感想は、「あれ?」
正直言って、ボクの場合は、ほとんど変わらなかった。

 

インドを旅していたときには、自分の何かが目に見えて変化したということはなかった。
インド旅行で、強烈な体験をしたり何かに衝撃を受けたりして、インド旅の前後で「別人のようになった」ということはまったくない。
そこまでの経験はしなかったけれど、インドでは、あらゆる刺激を受けることができた。
街を歩けば、カレーの匂いがただよい、前からは牛が歩いてきて道を譲らなければならず、インド人に道を聞けば騙される。インドほど五感で「異国」を感じた国はない。

 

でも、インド旅での刺激は、体内に堆積していたらしく、帰国後、少しずつその影響があらわれきた。
今から、振り返ったら、「自分が変わったなあ」って思うけど、旅が自分を変えたというより、インドで受けた刺激をもとに、自分で自分を変えていったと思う。
いろんな考えがあるけど、ボクは、旅が人を変えることはないと思っている。
旅だけじゃないけど、自分を変えるのは、自分しかない。
「自分以外の何かが、自分を変えてくれる」ということは、考えない方がいいよ。

 

 

~続く~

 

おまけ

何で、ぺリーは、吉田松陰と会ったのか?
吉田松陰は、世界に行きたかった。それで、こっそりとペリーの艦船に潜り込み、ペリーと話をした。

世界を旅行し見聞き度いと云う希望を合衆国で充たし度いのだと打ち明けた。彼「日本絶賛語録 小学館」

これが、幕府に見つかり、吉田松陰が処刑される理由となった。
そして、松陰が処刑されこともあり、長州藩は、討幕へと動き出す。