「カエサルの物はカエサルに インド人の物はインド人に」 ~インド独立~


このエントリーをはてなブックマークに追加 ・愛国者としてのガンディー

 実際のガンディーを知っていくと、ガンディーは、非暴力主義者とか平和主義者とかいう以前に、インドを愛する愛国者だったことが分かる。
著書「真の独立への道 岩波文庫」には、そうしたインドを賞賛する言葉が多くある。

 「インドの力は計り知れません」

 


「私は信じているのですが、インドが示した文明に、世界のどの文明も到達できそうにありません」

 


「愛国心を私は国益と理解しています」

 

 ガンディーにとっては、「インドの独立」が最も大事な目標で、「非暴力・不服従運動」とはそのための「手段」であった。
別に、ガンディーは、世界に「非暴力・不服従」という理念を世界に広めるために運動をしていたわけではない。

 ただ、国を愛していれば、何をやってもいいとは考えてはいない。
ある愛国者のインド人によるイギリス人の暗殺は「狂信的」だと言っていて、非難している。
「愛国無罪」ではなく、あくまでも、インドに利益をもたらす愛国心が重要であるとしている。

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 ・ガンディーだけじゃない

 また、インドを旅していて、出会ったインド人に、「ガンディーがインドを独立に導いた」と言ったところ、そのインド人はこう否定した。


「ガンディーは確かに偉大だが、彼一人でインド独立を成し遂げたわけではない。彼の呼びかけにインド人が応えて、すべてのインド人が独立運動をすることで勝ち取ったんだ。ガンディーは、その中の一人だ」
 そのとおりだと思う。
ボクは、ガンディーばかり注目していて、他のインド人はほとんど見ていなかった。


ひょっとしたら、「ガンディーがインドを独立に導いた」という言葉を一番否定するのは、ガンディー本人かもしれない。

 今では、インがド独立できたのは、彼らだけではないと考えている。
ガンディーが登場する前に、インド独立のために犠牲になった多くのインド人も見逃してはいけないと思う。

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「ガンディーが過ごしていた部屋」

 以前の記事に、1500人もの死傷者を出してアムリットサール事件のことを書いた。
これは、1919年に出された「ローラット法(逮捕状なしでインド人を逮捕、裁判手続きなしで投獄することを可能にした法律)」に抗議をしたインド人を、イギリスが銃の力で黙らせようとした事件だ。

 しかし、結果は、逆だった。その後、インド人はイギリスの弾圧に声を上げなくなったのではなく、怒りに燃えて、インド各地で反英運動を激化させている。

 インド大反乱やアムリットサール事件を武力で鎮圧しても、インド人は抵抗をやめなかった。そうしたことで、イギリスも、もはや武力での支配が困難だと感じていたはずだ。
さらに、第二次世界大戦によって、イギリスも多くの人を失い、国内の立て直しが急務とされていたときだった。

 

 そういたタイミングでガンディーが登場して、「非暴力・不服従運動」を行なったことが成功の要因だと思う。
イギリスは、これまでの経過から、武力でも別の方法でも、もうこれ以上インドを支配することは不可能と判断し て、インドから立ち去ったのだろう。

 ・カエサルの物はカエサルに インド人のものはインド人に

 キリスト教の聖書には、「カエサルの物はカエサルに」という言葉がある。
現在では、「本来の持ち主に返しなさい」という意味で使われる。
この言葉どおり、イギリスは、やっとインドをインド人に返している。

 インド独立は、ガンディーとその時代に生きた人だけではなく、そこにいたるまでに流された多くの血がなかったら、達成できなかったはずだ。そうした多大な犠牲の先に、「非暴力・不服従運動」があるのだと思う。


旧約聖書には、「すべてに時あり」という言葉がある。
ガンディーは、インドのこんな諺(ことわざ)を紹介している。
「あせってはマンゴーは熟さない」

 ガンディー以前の様々な反イギリス運動の時があって初めて、サティヤーグラハ「非暴力・不服従運動」を行なう機が熟していたのだと思う。

 先ほどのインド人の言葉どおりで、 ガンディーだけが偉大であったのではなく、その時代のインド人も偉大であったと思う。