日本と韓国で「国際化の時代」に向けて、大切なこと ②



前回の記事での「日本精神」という言葉が、ちょっと気になった。
最初に、この言葉の意味について、少し触れたい。

 

 この「日本精神」という言葉は、軍国主義的な意味での「日本精神」ではない。

 

 軍国主義的な意味での「日本精神」とは、ルース・ベネディクト(アメリカの文化人類学者)の言葉を借りれば、次のようなものになる。
 以下、著書「菊と刀 現代教養文庫500」から引用にした。

 

 日本は必ず精神力で物質力に勝つ、と叫んでいた

 

まだ日本が勝っていた時でさえ、日本の政治家も、大本営も、軍人も、くり返しくり返し、この戦争は軍備と軍備の戦いではない、アメリカ人の物に対する信仰と、日本人の精神に対する信仰との戦いだ、と言っていた

 


日本と西欧諸国との相違は、日本は物資的軍備に無関心であった、ということではなかった。しかしながら、軍艦や大砲は不滅の『日本精神』の単なる外面的あらわれにすぎなかった

 


彼らの言によれ
ば、精神が一切であり、永久不滅のものであった。物質的な事物もむろん必要ではあるが、それらは二の次のもので永続きはしない

 

 日本軍の「物質的な不利を精神力でカバーする」という無謀な考えが、インパールでどれほど悲惨な結果につながったかのは、以前の記事で触れた。

 「インドでガンディーって尊敬されてるよね?」「チャンドラ・ボースだな」「え?日本と一緒に戦ったあのインド人?」

 

前回の記事で使った「日本精神」というのは、こうした戦時中の「日本精神」ではない。


「おもてなし」や「ゆずり合い」という他人への配慮や神にも仏にも手を合わせて祈る宗教観といったもの。
現代の日本人を特徴づける心(精神)のことを、簡単に「日本人らしさ」と表現した。

 

 日本で生まれ育ってしまうと、日本の価値観や常識は自分にとっては当然のこととになってしまう。

だから、自分の考え方や行動の「何が日本人らしいのか」ということに気づくことが、ほとんどない。
ましてや、そうしたことを外国人に説明することはとても難しい、といったことを前回の記事で書いてきた。

 

 それに対して、坂口安吾は、日本人が「日本」や「日本的なもの」を説明する必要はないという。
 「例え、京都の寺や奈良の仏像が全滅しても、日本精神があればいい」とさえ述べている。

 

 でも、坂口安吾がそう言ったのは、携帯電話も新幹線もなかった昭和前半の時代のこと。
平成の今、日本の社会はそのときからは想像もできないほど変わっている。

 

 特に、日本を訪れる外国人の数は飛躍的に増加している。
15年前に比べても、ボクが浜松で見かける外国人の数は明らかに増えている。
現在、日本の小中高校には、外国人の英語教師が配置され、去年は日本を訪れる外国人が約2000万人と過去最高を記録した。

 

 日本も本格的な国際化の時代を迎えることになる。
訪日する外国人はこれからも増え続ける傾向にあり、今後は、日本人が外国人に「日本」を説明する機会も増えてくる。

 

 もう、日本人が、「日本や日本人らしさを説明するまでもない」で、済ましてしまえるような時代ではないと思う。

 

 国際化の時代では、「自分が生まれ育った国のことを外国人に説明することが大事になる」ということは日本だけに限らない。
 お隣りの韓国も同じようだ。

韓国の歴史教科書「躍動する韓国の歴史 (明石書店)」には、「本当の世界人となるためには」という章で、韓国人が「本当の世界人」になるために必要なことを、次のように書いている。

なお、韓国の教科書にある「世界人」とは、日本でいえば「国際人」や「地球人」、「国史」とは「日本の歴史」に当たる。

 

 これまで世界化、国際化の波に押しのけられて国史をきちんと学ばなかったため、本当にわたしたちもわたしたちの歴史をきちんと理解できない場合も多い。今、景福宮(キョンボックン)を訪ねる外国人を案内できる人も多くないのがわたしたちの現状である「躍動する韓国の歴史 (明石書店)

 

 この辺は、日本人も同じようなものだろう。
伊勢神宮を外国人に案内できる日本人は多くはないと思う。

 

本当の世界化とは何だろうか。わたしたちの先祖の立派な伝統を豊かな土台として、堂々とわたしたちを紹介し、外国と肩を並べることではないだろうか。そうであるならば、少しでもわたしたちの歴史と文化を簡単に紹介する程度の知識と自負心を持たなければならず、国史はだから重要なのである。
「躍動する韓国の歴史 (明石書店)」

 


日本と韓国とでは、歴史の認識をめぐって対立する
部分があるけれど、韓国のこの考え方にはボクも基本的に賛成する。
 特に、この二つのことは国際化を迎える日本にも大切なことだと思う。

 

 「わたしたちの先祖の立派な伝統を豊かな土台として、堂々とわたしたちを紹介し」

 

 「少しでもわたしたちの歴史と文化を簡単に紹介する程度の知識と自負心を持たなければならず、国史はだから重要なのである」

 

 こうしたことが、これからの時代に求められると思う。
日本でも、日本人が日本の歴史や文化を学んで、それを外国人に説明することが国際化の時代なのだろう。

 

 とはいうものの、すべての日本人が外国人に「日本の歴史や文化」を伝える必要はないと思う。
 そうしたいと思わない人はしなくてもいい。
あくまで、外国人にそうしたことを伝えたいと思う人やそうする必要がある人がすればいい。

 その意味では、これからは、「そのままでいい日本人」と「そのままではいけない日本人」とに分かれることになる。

 

 ただ、1億3千万人の日本人をはっきりとこの2種類に分けることは難しく、これはかなり大ざっぱな分け方になるけどね。
 それと、この2つの違いに「上下」や「優劣」という差はまったくない。


あるとすれば、外国人との交流に興味があるか、そうしたことには興味がないか、という個人の好みや価値観の違いだけ。

 

続く
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