インド人が見た日本④幕末の危機感・英語を公用語にしよう!?


 

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おっ、1月16日は小野田さんの命日だったのか。

小野田 寛郎(おのだ ひろお)さんという人は、太平洋戦争が終った後、約30年間もフィリピンのルバング島で戦い続けていたという伝説の日本兵。

日本が敗戦したということを信じないで、ずっとジャングルで生活していた。

 

そんな小野田さんの命日に、中国メディア(今日頭条)は「敵か友かということはさておいて、敬服すると言わざるを得ない」と書いている。
中国メディアが旧日本兵を称賛するなんて、もう奇跡に近い。

サーチナ(2017-01-18)の記事から。

敵も味方も関係なし・・・敬服すべき1人の「日本兵」=中国メディア

記事は、1945年の終戦時、多くの日本兵が「強い日本が負けるはずがない」と敗戦の事実を信じなかったと紹介。そのうちの1人が小野田氏であるとした。

(中略)抗日戦争における日本軍に関する文章で欠かせないのは「日本鬼子」という言葉だが、小野田氏を紹介する記事には「鬼子」の表記が一切見られなかった。まさに「敵か味方か」は差し置いたうえでの、1人の軍人に対する敬意ということなのだろう。

 

でもこの記事には、「中国共産党の言うことは、疑ってはいけない。信じて従うように」なんていう隠れたメッセージがあったりして。

ちなみに、帰国後の小野田さんはこんな感じ。

小野田に対し、日本国政府は見舞金として100万円を贈呈するが、小野田は拒否する。拒否するも見舞金を渡されたので、小野田は見舞金と方々から寄せられた義援金の全てを、靖国神社に寄付している。

昭和天皇との会見も断り(万が一、天皇が謝罪するようなことを避けるため)、小野田は戦闘で亡くなった島田と小塚の墓を参っている。

(ウィキペディア)

 

 

インド人は英語を話せるのに、日本人が話せない理由はなにか?
の続き。

 

それですねえ、日本はインドと違って外国の植民地になった歴史がないから。

「英語を話せるようなる」ということだけに限って見れば、マイナスではある。
でも、独立国でいられたということに比べれば、英語力なんて大したことではない。

なによりも、「日本を外国の植民地にはさせない!」とがんばってくれたご先祖様の努力を否定しちゃいけない。
19世紀末のアジアで、独立を守り続けた国なんて日本とタイぐらいなもんですよ。

ネパールはイギリスの保護国になっていたから、日本やタイのような独立国とはチョイと違います。

ここで、「日本を植民地にさせない!」と、汗を流していた日本人のことを書かせてほしい。

 

1842年、日本に衝撃が走った。
中国(清)がイギリスと戦争をして負けてしまったから(アヘン戦争)。
あの大国の清が!

アヘン戦争での敗戦の結果、清は香港をイギリスにとられてしまった。
「中国は、竜涎香(りゅうせんこう)でマカオを失い、アヘンで香港を失った」といわれるヤツですね。

 

香港が中国に戻ってきたのは、1997年。
それまでは、イギリス領だった。
今の香港人に英語が話せる人が多い理由も、インドと同じ。
長い間、イギリスの統治下にあったから。

 

アヘン戦争の様子(上海の博物館)。
手前が清の船で、向こうがイギリスの軍艦。
これは、勝てませんわ。

 

 

アヘン戦争で清の敗戦を知った日本はというと。

「外国船が来たら、とにかく追い払ってしまえ!」という異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)をやめた。
「困った船がいたら、水ぐらいあげてもいいか」という薪水給与令(しんすいきゅうよれい)に変えている。

アヘン戦争における清朝の敗北による南京条約の締結に驚愕した江戸幕府は、政策を転換し、天保13年(1842年)には遭難した船に限り給与を認める「天保の薪水給与令」を発令した。

(ウィキペディア)

 

*「異国船打払令」は「無二念打払令(むにねん うちはらいれい)」ともいわれている。「無二念」とは「迷うことなく」ということ。
日本に近づいてくる外国船があったら、砲撃して絶対に日本には来させないという強い意思があらわれでもある。
日本は、1808年の「フェートン号事件」でえらい目にあったからね。

 

ヨーロッパの列強がアジアに近づいて来るなか、幕末の日本人にはこんな危機感をもっていた。

日本がヨーロッパに征服されて植民地にされるかもしれないという、この時代の共通した危機意識があった

(「明治」という国家 司馬遼太郎)

 

その時代に生きていて、外国からの圧力を感じていた福沢諭吉はこう言っている。

自分は何とかして禍いを避けるとしても、行く末の永い子供は可愛そうだ、一命に掛けても外国人の奴隷にはしたくない

(福翁自伝 福沢諭吉)

 

「自分の命にかけても、日本の子どもを外国人の奴隷にはさせたくない」という日本人がたくさんいたからこそ、今の日本があるわけですよ。

 

 

「日本には、植民地になった歴史がなかった」ということ以外にも、日本人が英語を話せない理由がある。

明治の日本は、英語を日本の公用語にしようと考えたことがある。
日本は植民地にはならなかったのに、日本人が「英語を公用語にしてしまおう!」なんて思うというのもビミョウですね。

 

「英語の公用語化」を言ったのは、初代文部大臣の森有礼(もり ありもり)という人。

明治時代の初代文部大臣となった森有礼は、日本語だけで近代的な高等教育を行うのは無理であると考え、英語を日本の公用語とする英語国語化論を提唱しました。

(「NHK歴史に好奇心 日中二千年 漢字のつきあい」 加藤徹)

 

さて、どう思う?

もしこのとき、日本が英語を公用語にしていたら、今の日本人はかなり英語が話せるようになっているはず。
インドのように、同じ国内の人間でも英語で話をしているようになっていたかもしれない。

少なくても、今のフィリピン人やシンガポール人と同じぐらいには、英語を話せる国民になっていたと思う。

 

でも明治の日本が英語を公用語にしていたら、日本はどんな社会になっていたのか?

もし彼の主張が実現していたら、英語をマスターできなければ、医者にも、数学者にも、建築家にも、日本史や日本文学の研究者にもなれない、という状況になっていたはずです。

(「NHK歴史に好奇心 日中二千年 漢字のつきあい」 加藤徹)

 

こんな日本を幸せだと思う?
ボクなら、日本語で医者にも日本史の研究者にもなれる今の日本のほうがいい。

でも、世界にはこんな国がたくさんある。

繰り返しになりますが、アジアやアフリカには、そういう国もけっこうあったのです。しかし、幸せか不幸か、日本は英語を公用語にせずに済みました。明治の後期には、日本の大学では、日本人の教授が日本語で大学生に講義する光景が、当たり前になったのです。

(「NHK歴史に好奇心 日中二千年 漢字のつきあい」 加藤徹)

インドでは、大学の授業を英語でする理由はこれだった。

著者の加藤徹氏は、「日本は、日本語だけで文明生活を営める国になった」と言っている。
でもそれがそのまま、日本人が英語を話せない理由にもなっている。

 

前の記事で書いたけど、「日本は、日本語だけで文明生活を営める国になった」ということは、ベトナム人やインド人が「日本は進んだ国で、英語が話せなくても仕事を選ぶことができるから」と言っていたことにつながっている。

日本が植民地になったり英語を公用語にしなかったりしたために、今の日本人が英語が話せないんだったら、それはとても幸せな理由だと思う。

 

 

 

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