7月14日は「検疫記念日」
7月14日は、1790年にフランスで連盟祭が開催され、国王ルイ16世が憲法への忠誠を誓ったことから、建国記念日(パリ祭)とされている。
一方、我が国で7月14日は「検疫記念日」だ。
1879年のこの日、初めて伝染病予防の法令「海港虎列剌病(コレラ病)伝染予防規則」が公布された。
コレラは、適切な治療をしないと患者は数時間で死亡することもある恐ろしい感染症だ。
日本では明治時代にこの病気が知られるようになり、「虎列剌」という当て字が作られた。
1879年に、伝染病予防の法令が公布されたが、当時の日本には、近代医学についての知識が乏しい人も多かった。
迷信と無知が生んだ悲劇
無知とは罪。
そのため思わぬ悲劇も起きた。
人びとを救うために懸命に尽力したにもかかわらず、その人びとからリンチを受けて殺された人物がいる。
沼野玄昌(ぬまのげんしょう)という医師だ。
幕末、緒方洪庵は種痘(しゅとう)によって、天然痘の苦しみから人びとを解放することができると歓喜したが、庶民の迷信深さが大きな壁となった。
「種痘をすると牛になる」といった荒唐無稽な噂を信じ、これを拒否する人が続出した。

緒方洪庵は「ご褒美」作戦で迷信を打ち破ったが、沼野玄昌が迎えたのはこれ以上ないほどのバッドエンドだった。
鴨川での近代的な防疫対策
1877年(明治10年)、千葉病院で傭医(雇われ医師)として働いていた沼野に、試練が訪れる。
コレラが流行し、沼野は現在の千葉県鴨川市で、感染拡大を防ぐための活動に取り組んだ。
沼野が鴨川でおこなったのは、患者の隔離、石灰を使った徹底的な消毒、死因究明のための解剖、感染源を絶つための火葬など、近代的かつ合理的な防疫対策だった。
デマの恐怖と現代への教訓
沼野は正しい対策をしていたにもかかわらず、当時の鴨川の民衆は近代医学に対して無知で、迷信にとらわれていた。
住民は沼野について「人間から肝を取り出している!」「井戸に毒をまいている!」といった根拠のない噂話を信じ、沼野を襲撃し惨殺してしまった。
現在、千葉県鴨川市には沼野の記念碑が建てられている。
その説明によると、沼野医師は「消毒用薬液」を使っていたにもかかわらず、民衆はそれを「毒薬」だと誤解し、沼野を殺害したという。
どんな噂であれ、沼野は地元民の命を守ろうと懸命に努力していたにもかかわらず、地元民によって命を奪われたという理不尽すぎる事実は変わらない。
無知と恐怖がデマを生み、デマが恐怖心を拡大させ、日本人が同じ日本人を殺してしまうこともある。
SNSが発達している現代では、ある意味デマはコレラよりも恐ろしい。
救おうとしていた人たちに殺された沼野玄昌の最期は、現在の日本人も「教訓」として知っておいていい。
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