満洲国に存在した「建国神廟」
日本人の国民食となった餃子。
「ぎょうざの満洲」という有名な餃子店があるように、その原点は中国東北部、かつて満州と呼ばれた大地にある。

ここは中国の一部だが、現在の日本本土の面積(約 38 万平方キロメートル)の約3倍ととんでもなく広い。
そんな満州には、「建国神廟」という変わった宗教施設があった。

建国神廟
建国神廟|満洲国に作られた「伊勢神宮」
建国神廟とは、1940年に満洲国の首都・新京(現在の長春)に建てられた宗教施設だ。
ここは日本の皇室の祖神とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀るところで、「神廟」と書かれているが、実質的には神社と同じだ。
御神体は、伊勢神宮で修祓(しゅばつ)という祓い清めの儀式をされた「丸い鏡」(白銅製丸鏡)だった。
建国神廟は満洲国における「伊勢神宮」と言うべき施設で、日本と満洲国の精神的・思想的な一体化を決定づける役割を果たす。
建国神廟は日本が満洲国に押し付けて、信仰を強要したわけではない。
満洲国(溥儀)がみずから希望し、日本に認められて建てられたというところがポイントだ。
満洲国に建国神廟が作られた理由/溥儀の思惑
旧満洲にある大連へ行ったとき、満洲国は実は日本の傀儡(かいらい)国家だったという理由で、現地の中国人ガイドは「偽の国」と呼んでいた。
当時の名目上のトップは満洲国皇帝の溥儀(ふぎ)だったが、実際には満鉄(南満洲鉄道)の総裁を務めた日本人のほうが強い権力を持っていたという。
満洲国は日本の関東軍の後押しを受けて成立した国だったから、日本の影響下にあった国家だったことは間違いない。
溥儀はもともと清朝の皇帝で、1911年に起きた辛亥革命によって退位させられた。
彼の波乱の人生を描いた映画『ラストエンペラー』は有名だ。
そんな屈辱的な記憶を持っている溥儀にしてみたら、再び皇帝としての権威を取り戻したいと考えていたはずだ。
しかし現実は彼の思いどおりにはいかない。
政治の実権は満洲国にいた日本の有力者が握っていて、溥儀は彼らに頭が上がらなかった。
そんな軍人や官僚も、昭和天皇の権威にはとてもかなわない。
溥儀は天照大神を祀る施設を国内につくり、日本の皇室(昭和天皇)の威光と直接結びつくことで、国内にいた日本の実力者に対抗しようとしたとされる。
建国神廟と自身を結びつけることで、溥儀はみずからの権威を示し、皇帝として振る舞えると考えたのだろう。
昭和天皇は、満洲国に建国神廟をつくることを嫌がったという。

切手に描かれた建国神廟の社殿(1942年)
満洲国の崩壊、神鏡のその後
満洲国にとって建国神廟がどのような存在だったのか、そして、溥儀はそれをどのように利用したのかは完全には分かっていない。
というのは、その神社はわずか5年しか存続できなかったからだ。
1945年8月9日、ソ連軍が満洲国に侵攻し、溥儀や要人らが逃げると同時に、神鏡も建国神廟から運び出された。
8月18日、溥儀は皇帝を退位し、満洲国は崩壊した。
神鏡は引揚船に載せられ、日本の博多港まで運ばれたことまでは判明しているが、その後、行方不明となった。
建国神廟の主(あるじ)だった神鏡は、日本の歴史と神道文化の集合体だ。
個人的には、いつか『なんでも鑑定団』に出品されて、日本中に衝撃を与える日が来ることを期待している。

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