支配した側/された側 イギリス人とインド人の歴史認識の違い

目次

デリーの博物館での気まずい会話

最近、あるイギリス人の旅行ブロガーの動画が世界的に話題を集めた。

彼がインド人らしき人物と一緒にデリーのインド国立博物館を見学し、二人で話をしながら館内を歩く様子を撮影したものだ。

その際、イギリス人は国内最大規模の博物館にしては収蔵物が少ないと感じたらしく、「どうしてこんなに展示品が少ないのか?」と質問した。
すると、隣のインド人は短くこう答えた。

「全部ロンドンにあるからじゃないか?」

それを聞いたイギリス人は気まずそうに「ああ、そういえばそうだったか」とうなずいた。

「植民地健忘症」とは?

以前、歴史にくわしいアメリカ人と話をしていたとき、「コロニアル・アムネジア(Colonial amnesia)」という言葉を知った。
日本語では「植民地健忘症」や「帝国主義的健忘症」とも呼ばれる。

植民地支配していた国の人間が、その歴史を記憶から消したり、植民地化された人々を消し去るような形で記憶したりする現象をさす。
植民地時代の過去を美化することも、植民地健忘症のひとつだ。

the phenomenon of forgetting colonial history or remembering it in certain ways that erase the history of the colonized people.

Colonial amnesia

かつて支配した側は、自国が他国から何を奪い、何をしたのかという負の歴史を忘れがちになる。
このイギリス人に悪気はなかったはずだが、うっかり「植民地健忘症」という地雷に触れてしまい、思わぬブーメランが返ってきた。

SNSで共感を呼んだ「奪われた側」の記憶

100年以上前の帝国主義の時代、欧米列強はアフリカやアジアの国々を植民地支配し、貴重なお宝を略奪した。

そんなつらい歴史の記憶を持つ国は世界中にあるため、この動画はSNSで大きな反響を呼び、広く拡散された。

寄せられたコメントの多くは、文化財を奪われた側が奪った側を非難するもので、支配していた側は「そういえばそうだった」と気まずい気分になったと思われる。

忘れられない植民地時代の傷跡

インドは1947年に独立するまで、イギリス領インド帝国として支配を受けていた。
これまで多くのインド人にこの時代についてどう思うか聞いてきたが、現在のイギリス人を恨んでいる人には会ったことがない。

しかし、植民地時代は別だ。
当時のイギリスに対して、好意的に考えているインド人にも会ったことがない。

「特にひどかったことは何か?」と質問すると、さまざまな答えが返ってきた。

たとえば、ウッタル・プラデーシュ州出身のインド人が指摘したのは、1857年の「インド独立戦争」だ。

※日本の歴史教育では、「インド大反乱(セポイの乱)」と教えることが多い。しかし、これはイギリス側の見方で、インド人にとっては自由を取り戻そうした「大義のある戦い」になる。

当時、アワド藩王国(現ウッタル・プラデーシュ州の東部)はこの戦いで街が破壊され、多くの人々が虐殺されるなど、特に大きな被害を受けた。
10万人の民間人を含む、15万人が殺害されたという説もある。

あわせて読みたい
英国紳士のウラの顔 1857年のインド大反乱でイギリス軍がした蛮行 日本ではイギリスに「紳士の国」という上品なイメージがある一方で、インターネット界隈では「ブリカス」という悪口が使われることがある。 これはおもに、大英帝国時代...

 

また、南部出身のインド人が指摘したのは「飢饉」だった。
イギリス植民地時代、インドでは何度も飢餓が発生し、多くの死者を出していた。

1943年のベンガル飢饉だけでも、80万~380万人が飢餓やマラリアなどで死亡している。
直接的には自然災害が原因であっても、現地の人たちの命を軽視したイギリスの責任も大きい。

あわせて読みたい
日本よ、これが植民地支配だ 豊かなインドで起きた“人工的な飢餓” 先月、アマゾンのジャングルに小型飛行機が墜落して、残念ながら全員死亡かと思われたところ、1歳から13歳までの4人の子供が密林を40日間ほど生き抜いて、コロンビア...

 

以下、イギリス時代に飢餓で苦しむ、または死亡したインド人

 

 

しかし、飢餓であれ虐殺であれ、話を聞いたほとんどのインド人は、過去に起きた不幸な出来事を歴史の教訓としてとらえていた。

現在、彼らがイギリスに望んでいるのは、植民地時代に奪われた文化財の返還だった。
その代表的なものが「世界最大のダイヤモンド」と呼ばれたこともあるコ・イ・ヌールだ。

ムガル帝国の皇帝や王たちがこのインドの至宝を所有していたが、最終的にはヴィクトリア女王のものとなり、現在はロンドン塔で展示されている。

インドは何度も返還を求めているが、イギリスは応じていない。

イギリス人の歴史認識は?

一方、イギリス側では、大英帝国時代の「ダークサイド」にあまり目を向けていないらしい。
知人のイギリス人は文系の大学を卒業しており、社会全体で見ても、知的レベルはきっと高いゾーンに入っている。

そんな彼女と話をして驚いた。
インドがイギリスの植民地だったことは知っていたが、シンガポールもそうだったとは知らなかったのだ。
彼女は香港がイギリス領だったことは知っていたが、そのきっかけとなったアヘン戦争はまるで知らなかった。

イギリスはインドから大量のアヘンを清に持ち込み、中国人を「アヘン漬け」にした挙句の果てに、1840年に戦争をして清を打ち負かし、不平等条約を結ばせて香港を手に入れた。

インド支配については「きっと悪いことをたくさんやった」という認識で、彼女はインド大反乱やベンガル飢饉など具体的な事例は何も知らなかった。

そもそも、こうした「大英帝国の闇歴史」は学校で習った記憶がないという。

本人の言い分としては、大英帝国は世界中に植民地があり、しかも時代によってその数が増えたり減ったりしたから、いつどこで何があったかいちいち覚えていられないらしい。

イギリスの歴史認識|現状と変化

現代のイギリス人はどれだけ過去の負の歴史を知っているのか?
AIに英語で質問すると、こんな否定的な答えが返ってきた。

「Today, while a significant portion of the British public remains unaware of the specific, darker details of the Empire」
(今日、イギリス国民のかなりの割合が、大英帝国に関する具体的な負の歴史の詳細を知らないままである)

イギリスの教育カリキュラムでは、大英帝国が犯した残虐行為についての学習を義務づけておらず、何を教えるかについては教師が大きな裁量を持っている。

そのため、多くの生徒はテューダー朝、ローマ帝国、ナチス・ドイツについては詳しく知っていても、植民地だったインドやケニアで何をしたのか、ほとんど知らないまま学校を卒業するという。

大英帝国のネガティブな面では、「奴隷貿易」に焦点を当てることが多いというから、そのことなら知っているイギリス人は多いだろう。

「どうしてこんなに展示品が少ないのか?」とインド人に質問したイギリス人は特別ではなく、おそらく平均的な歴史認識をもつイギリス人だ。
インド人にしてみたら、そんな「植民地健忘症」と接するとイラッとさせられる。

しかし、イギリス国内でも「無知が当たり前」という状況は過去のものとなりつつあり、今では大英帝国の「負の歴史」が国民的な議論になることもあるという。

インド人やケニア人など、イギリスの植民地だった人たちと話をするとき、お互いに気まずい思いをしないくらいには、暗い歴史を学んだほうがいいという指摘は、日本人にもある程度は当てはまる。

 

 

インド 目次 ①

インド 目次 ②

インド 目次 ③

外国人から見た不思議の国・日本 「目次」

【イギリスの置き土産】インドの警察官が高圧的で暴力的な理由

日本の夏の”異常な”暑さに、外国人観光客の反応は?アジア人編

イギリスの植民地支配、インド人が話す「闇=光」のワケ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

コメント

コメント一覧 (6件)

  • “暗い 歴史を学んだほうがいいという指摘は、日本人にもある程度は当てはまる。” === この言葉は、日本が帝国主義時代に周辺国に何らかの苦痛を与えたことを認めるものなのでしょうか?
    私は日本が朝鮮に苦痛を与え、抑圧したことは許容される範囲で止まったと思いますが、南京大虐殺のような中国に対して引き起こした苦痛は謝罪が必要だと思います。
    南京大虐殺はほぼホロコースト級の犯罪だと思うのですが、一体なぜ日本はあれほど残酷だったのでしょうか?

  • >日本が帝国主義時代に周辺国に何らかの苦痛を与えたことを認めるものなのでしょうか?

    日本のネットでは「日本は戦争でアジアを解放して、アジア人を喜ばせて今でも日本に感謝している」という書き込みを見ます。
    わたしにはミャンマー人やインドネシア人、ベトナム人の友人がいますが、今までそんなことを言う人と会ったことがありません。彼らは今の日本は好きですが、戦争時の日本は嫌っています。
    日本のネットの声と現地の声にはギャップがあると感じています。

    >南京大虐殺はほぼホロコースト級の犯罪だと思うのですが、一体なぜ日本はあれほど残酷だったのでしょうか?

    「あれ」というのは、どれほど残酷だったのでしょうか?
    日本政府は南京で日本軍による殺害行為があったことは認めていますが、「何人がどのようにして」といった具体的な内容については言及していません。これは諸説あって、どれが真実か判明していません。

    そもそも日本軍はなぜそんな事件を起こしたのか?
    その目的を知ることがとても大切です。

    ホロコーストの場合、ナチスはユダヤ人の絶滅を目的としたので、600万人という大規模なものになりました。
    これまで「日本軍は南京大虐殺をした」という外国人と何人にも会いました。しかし、その目的や動機を知っている人はいませんでした。彼らは、それを考えたことがなかったと話します。
    日本軍の目的を想像して話す人はいましたが、具体的な根拠を示して説明した人はいません。
    歴史は正確に理解することが大事です。

  • では、日本軍はなぜそのような残酷な殺傷、放火、強姦など、人間が行うことができる最も凶悪な行為を行ったのでしょうか?

  • 書いた通りです。 日本のウィキを見ても、
    “日中戦争中の1937年12月上旬、日本軍は中華民国の首都南京市を攻略した。この南京攻略戦の前後に行われた日本軍による一連の虐殺、略奪、暴行、強姦、放火等の不法行為を総称して「南京事件」または「南京大虐殺」と呼ばれている[14]。”と書かれています。

  • その記述の根拠となった「14」をクリックすると、「笠原」と出てきます。
    それは笠原十九司という人物です。
    彼は思想的には左派で、日本を実際以上に「悪者」に描きました。
    たとえば、中国の女性たちが日本軍に陵辱され、輪姦され、銃殺された証拠写真を著書に提示しましたが、それは実際には、日本軍が野良仕事から帰る日本の女性を護衛するものでした。
    わたしは南京事件で日本軍による蛮行はあったと思っていますが、彼の記述のどれが事実かはわかりません。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E5%8D%81%E4%B9%9D%E5%8F%B8

コメントする

目次