会話に潜むタブー、「歴史」という地雷
誰と会話をするにしても、触れてはいけない話題、いわゆる「タブー」が存在する。
とくに外国人が相手の場合、日本人とは価値観や考え方が違うから、こちらの何気ない言葉があちらを不快にさせることもある。
以前、日本に住んでいたイタリア系アメリカ人とレストランに行ったとき、日本発祥の「マヨコーンピザ」をすすめたら、彼は嫌そうな顔をして「ふざけんな! ピザとコーンの組み合わせなんてありえない。俺の先祖の血が拒否している」と断られてしまった。
ただし、「地雷としての爆発力」を考えると、文化よりも歴史の話題のほうがはるかに恐ろしい。
この話題は、一瞬にしてその場の空気を凍らせる威力をもっている。
きのう、そんな地雷にふれた事例を紹介した。

イギリスは1947年までインドを植民地支配していて、略奪品を含めて多くの文化財がイギリスへ持ち運ばれた。
その歴史のはるかな延長に、最近こんな出来事があった。
あるイギリス人がインド人と一緒にデリーの国立博物館を見学していて、「どうしてこんなに展示品が少ないのか?」と何気なく質問すると、インド人は短くこう答えた。
「全部ロンドンにあるからじゃないか?」
それを聞いたイギリス人は気まずそうに「ああ、そういえばそうだったか」と言った。
かつて植民地として支配していた国は、その負の記憶にあまり目を向けようとしないため、結果的に「コロニアル・アムネジア(植民地健忘症)」と呼ばれる状態におちいることがある。
植民地支配をした側とされた側では、歴史に対する認識が大きく異なることが多いのだ。
上記のエピソードの「日韓版」を聞いた(見た)ことがある。
ソウルの景福宮で、日本人の背筋が凍った一言
日本は1910年に韓国を併合し、1945年まで統治していた歴史があるため、今でも日韓のあいだにはマリアナ海溝よりも深い「歴史認識の溝」が存在している。
たとえば、その期間を日本のウィキペディアの項目名にあるように「日本統治時代」と呼んでいるが、韓国では「日帝強占期」と呼ばれているのだ。
この表記には、「日本帝国主義(大日本帝国)がわが国を強制的に占領した」といった憎悪や恨みが込められている。
つまり、日本を基準にすれば、韓国の人たちはあの時代に「敏感」で、韓国を基準にしたら、日本人は「鈍感」すぎるのだ。
そんな認識の違いのうえに、さらに歴史知識でもギャップがあると、思わぬ地雷を踏むことにつながってしまう。
以前、SNSでこんな話を見た。
ある日本人が、ソウルにある王宮「景福宮」を韓国人と見学していて、「建物が少ない気がする」と言ったところ、隣の韓国人がこう答えた。
「植民地時代に日本に破壊されたから」
これを聞いて、その日本人の背筋に冷たいものが走ったという。
16世紀の朝鮮出兵の際、日本軍が景福宮を燃やしたという話は「デマ」だ。
しかし日本統治時代に、景福宮にあった建物が「保存するもの」と「しないもの」に分けられ、価値のなかったものが破壊されたことは事実。

景福宮を見学している最中、心に浮かんだことをそのまま口にしたら、「日本に破壊されたから」と言われた。
あまりの温度差に、一瞬、心臓が止まる思いだっただろう。
ボクはその歴史を知っているから、韓国人を相手にそんな失敗をすることはない。しかし、死角がないわけでもない。
思わぬ形で、地雷に「たどり着いてしまった」経験ならある。
思わぬところから踏み抜いた地雷
個人的に、収穫を神に感謝する神嘗祭(かんなめさい)は、日本で最も重要な祭りだと考えている。

韓国人の知人に神嘗祭について説明したあと、「韓国でいちばん重要な祭りってなに?」と聞いてみた。
そんなことを一度も考えたことがなかった彼は、その場でネットで調べて、朝鮮時代に国王が農業の神に豊作を祈願する「先農祭(ソンノンジェ)」があったと教えてくれた。
※現在でもソウルには、その祭りをおこなった「先農壇」という祭壇が残っている。
先農祭が終わると、国王や臣下がみずから農具を使って畑を耕した。
そのあと人びとには、牛のスープにご飯を入れた栄養価の高い料理が振る舞われ、その「先農湯(ソンノンタン)」が後に「ソルロンタン」になったという。
ここまでなら「へ〜」と感心して、ソルロンタンの由来という思わぬ豆知識を得て「良いエピソード」で終わったのだが、そのあと言わなくていいことを言ってしまった。
「その先農祭はいつまで韓国でおこなわれていたの?」と何気なく尋ねたところ、
彼はスマホに目を落としながら、短くこう言った。
「1910年に日本に支配された後、“民族文化抹殺政策”によって廃止されたみたいですね」
韓国人と話をするときは「地雷原」を意識するべし
個人的には「抹殺政策」はかなりのパワーワードで、その言葉に押されて言葉に詰まってしまったが、彼はそうでもなさそうだった。
こっちは気まずい空気にさせてしまったと思ったのだけど、彼は平気そうな顔をしていてとくに気にする様子は見られない。
韓国の人たちにとって「抹殺政策」という言葉は、日本統治の話題ではよく見かけるものだから、慣れてしまっているのかもしれない。
韓国人と話すときは、歴史の話題がそのまま地雷になることは知っていたから、慰安婦・徴用工問題などを話題にすることは基本的にない。
だから、韓国人と話をしても問題はなかったが、久しぶりに「地雷」を踏んだ気分だった。
とはいえ、神嘗祭がまさか「民族文化抹殺政策」につながるとは、1ミリも予想できなかったけれど。
韓国人と話をするときは、どんな形であれ「歴史」に触れたら、頭の片隅にでも「いま自分は地雷原に入った」と自覚し、警戒心を高めたほうがいい。

コメント
コメント一覧 (2件)
韓国の南部、慶州に行くと、新羅時代の巨大な寺院である仏国寺があります。
そして、石窟庵というユネスコの文化遺産があります。この二つの文化財は朝鮮の五百年間放置され、ほぼ廃墟となっていましたが、日韓併合後に日本の朝鮮総督府によって原型に近い形で復元されました。
その過程で石窟庵の元の姿に復元するには当時の日本の技術が不足していたのか、石窟庵内部に湿気がたまり少し腐敗する状況が生まれ、韓国人は日本が故意に新羅の文化財を損傷したと主張しました。
放置されて消える文化財を復元したのに、逆に損傷させたと非難されています。
これを韓国では「賊反荷杖」と言います。
前に韓国メディアの報道で専門家がそのことを嘆いていました。
日本は石窟庵の仏像を修復したのに、韓国では損傷させたと「悪者扱い」している。ものごとは偏見ではなく、冷静に正しく見ないと韓国にとって損失につながる、というものでした。
統治時代の日本の良い面を描くのは今でもむずかしいようです。