ヨーロッパ人を苦しめる日本の「酷暑」
最近の日本の夏の暑さは尋常ではなく、ついに新しい次元に達した。
これまでの「夏日」(25℃以上の日)、「真夏日」(30℃以上)、「猛暑日」(35℃以上)に加えて、今年から気温が40℃以上となる日を「酷暑日」と呼ぶようにもなった。
知り合いのヨーロッパ人も漏れなくこの直撃を受けている。
静岡に住んでいるハンガリー人、リトアニア人、ドイツ人、ポーランド人に会って話を聞いたら、もう毎日がサバイバルという状態だ。
夏の平均最高気温を見ると東京が31℃であるのに対して、この4カ国は23〜27℃と全体的に涼しい。
彼らの感覚では、日本の夏は湿度がめちゃくちゃ高いから、不快感はマシマシになって体力が奪われる。
生活しているだけで、エナジードレイン(生命力を吸収される)攻撃を受けているようなものだと思われる。
エアコンを「敵視」する日本人
以前、静岡に住んでいた知人のイギリス人女性も、湿度と気温の攻撃を受けて弱音を吐いていた。
そんな彼女が心の底から驚いたことがある。
夏祭りの準備中、近所に住む日本人男性(おそらく60代以上)と話していると、彼は「エアコンは使っていない」と言ったのだ。
そのイギリス人は日本の「熱耐性」にビックリしたと話していたが、きっと正解は違う。
お年寄りの中には、エアコンに対して「体に悪い」「電気代がかかる」といった負のイメージを持っている人がいる。
何と戦っているのかは不明だが、彼らは「エアコンを使ったら負け」のように考えて、文明の利器を拒否する。
熱中症で搬送された人の中で、「エアコンがあるのに使っていなかった」というケースは珍しくない。
電気代はエアコンを1カ月使っても数千円だが、熱中症で入院すれば10万円以上かかることもあるというのに。
それに、これは最悪のケースだが、葬式代はそれよりもずっと高い。
五感で涼をとる日本の伝統的な暑さ対策
「では、どうやってこの過酷な夏を乗り切るのか?」
イギリス人女性がそう尋ねると、その男性は次のような方法を紹介した。
・うなぎを食べてエネルギーをつける。
・かき氷やそうめん、スイカなど冷たいものを食べ、こまめに麦茶を飲む。
・風通しのいい場所に風鈴をつるす。
・庭に打ち水をする。
・窓に「すだれ」をかける。
・うちわや扇風機を使う。
エアコンのように直接部屋の気温を下げるのではなく、五感を刺激して「涼」を感じようとする。
基本的には江戸時代からありそうな、日本の伝統的な納涼の発想だ。
ちなみに風鈴の音色を聞いて、涼しさを感じるのは日本人だけらしい。

夏を満喫するイギリス人
「それじゃ、イギリス人はどうやって夏の暑さを乗り切っているのか?」
それを知人に聞くと、イギリス人は根本的に発想が違って、夏の暑さから逃げるのではなく、それをできるだけ満喫しようと考えているらしい。
日本と比べると、イギリスの夏は気温も湿度も低く、不快さよりも心地よさが上回る。
さらに夏の期間が短いため、公園やビーチに寝そべって「貴重な太陽の光を全身で浴びる」という発想になるのだという。
もちろん、アイスクリームやレモネードといった冷たいものを口に入れることはある。
しかし、そもそも夏の「種類」が違うから、日本人のように暑さを避けるのではなく、短い貴重な夏を全力で楽しもうとする。
イギリスには「納涼文化」というより、「短い夏を満喫する文化」があるようだ。
※ここ数年は温暖化の影響で、ヨーロッパの夏はかつてないほど暑苦しくなっているから、イギリスでも夏に対する考え方は変わってきていると思う。
ヨーロッパ人が開発した日本の「避暑地」
「夏の太陽から逃げないで、正面から受け止める」というのはヨーロッパならいいかもしれないが、その考え方はアジアでは通じない。
先ほどのイギリス人女性は、日本の夏の暑さと戦う覚悟は1ミリもなく、夏はできるだけ長野県に長く滞在して涼んでくると話していた。
高原などの涼しい「避暑地」へ移動するというのは、イギリス人に限らず、ヨーロッパ人らしい発想だ。
今の日本には各地に避暑地があるが、もともと日本にそんな文化はなかった。
明治時代にやってきた欧米人が夏の暑さをしのぐために、日本国内に避暑地をつくったのが始まりだ。
たとえば、軽井沢はカナダ人の宣教師が「発見」し、日本を代表する避暑地として発展した(避暑地)。
また、栃木県の中禅寺湖周辺には多くの外国大使館の別荘があり、夏になると外交官が暑さをしのぐために滞在していた。
中禅寺湖で日本の国際外交が展開されたこともあったため、「夏は外務省が日光に移る」と言われることもあった。
中禅寺湖周辺や六甲山(神戸)を避暑地として最初に見出したのも、アーネスト・サトウなどのイギリス人だ。
江戸時代の日本人には、涼しい気候を求めて街や村を避暑地として開発し、夏の間はそこへ移動するという発想がなかったのだろう。
ちなみに、韓国人に聞くとあちらも事情は同じだったらしい。
朝鮮時代には夏になると、貴族たちが風通しが良く涼しい場所に、壁のない「東屋」を作り、そこで涼をとっていた。
一時的に滞在していただけで、西洋人のように、冷涼な場所へ移り住むことはなかったという。
イギリス人が開発したインドの「避暑地」
以前、インドを旅行したとき、シムラーやダージリンなどの避暑地も同じように、イギリス人によって開発されたと聞いた。
植民地時代、イギリス人が過酷な暑さから逃れるために高地へ移動したという。
高温多湿なアジアにいても、夏でもヨーロッパのように快適に過ごせる場所をつくり出したのだ。
確かにインドの暑さはぶっ飛んでいるから、イギリス人なら、そこにいるだけで体力を奪われて病気になりそうだ。

暑さを避けるために「引っ越し」をする発想は、イギリスでは昔からあった。
イギリス王室は「夏の離宮」としてスコットランドにバルモラル城を所有しており、今でも夏になると王室一家がそこで1か月以上滞在している。
その場を変える日本人、自分が動くイギリス人
日本人は同じ場所にとどまって、身の回りの食べ物や飾りを変えることで夏の暑さをしのいできた。
一方、イギリス人は暑さを避けるために、わざわざ別の土地へ移動した。
この違いは農耕民族と狩猟民族という、ご先祖のDNAが影響しているのかも。
環境をガラリと変えてしまうイギリス人の発想はダイナミックだ。
日本人にはそんな大胆な考え方がなかったから、風鈴の音に涼を感じたり、打ち水でわずかな涼しさを楽しんだりする、独特で繊細な「納涼文化」が発達したのだ。

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