オランダの移民問題④極右政党党首の殺害と反イスラムへの変化


 

アムステルダムの面積は219.3 km²。
これはさいたま市や石垣島とたいだい同じ大きさ。

このアムステルダムのなかに、どれだけの国籍の人がいるか知ってる?

 

その数はなんと200ヵ国という。
在日オランダ大使館のホームページに、そのことが書いてある。

オランダの首都、アムステルダムの住民の国籍は200カ国に上ります。

オランダの社会

 

これだけいろいろな人びとが住んでいると、当然複雑な問題も生まれる。
今のオランダの深刻な問題は、外国から来た移民についてのもの。

あたり前のことだけど、外国人である移民にとってオランダでの生活は難しい。

しかし、融和への道は平坦ではありません。たとえば、トルコやモロッコ出身の人々が失業する可能性は、オランダ出身のオランダ人の5倍と言われています。

オランダの社会

 

外国から来た移民がスムーズに社会に適応できるように、オランダ政府は職業訓練を行ったり社会保障制度でサポートしたりしている。

でも、そのためにかかる費用は国民の税金からまかなっている。
いくら寛容の精神があるオランダ人といっても、税金の使い方には文句もつけたくなる。

オランダの社会保障制度は世界の模範となる素晴らしい制度と見なされており、政府は制度の維持に努めていますが、費用がかかり過ぎるという声もあります。

オランダの社会

 

多文化共生には良いこともあるけど、どうしてもお金はかかってしまう。

 

 

オランダでは最近、外国人への風当たりが厳しい。

外国人といっても、主にムスリム(イスラーム教徒)に対してだけどね。

オランダ社会の特徴であった「来る者拒まず」という寛容の精神に対して、疑問をもつようになる人たちが増えてきた。

治安の悪化、失業率の上昇、社会保障の費用の増大などから、「オランダは本当にこのままでいいのだろうか?」という不安が広がってきた。
それは2000年ごろだという。

 

「オランダを知るための60章」では、オランダの社会の雰囲気が変化したターニングポイントとして、2002年のピム・フォルタインの殺害事件と2004年のテオ・ファン・ゴッホの殺害事件をあげている。

この二人の殺害によって、この国は四〇〇年かけて創り上げてきた「寛容性」というオランダ文化をのアイデンティティを大きく問われることになった。

人々は、この国が歴史的に培ってきた寛容性と民主性の文化はすでに幻想にすぎないのではないかと震撼とさせられ、パニックに陥った。

「オランダを知るための60章」

 

この2人の殺害事件が大きなきっかけとなって、オランダ社会の寛容性に変化が起きる。
外国人移民に対して冷たい視線を送る人たちが増えてきた。
特にイスラーム系の移民に対して。

今回と次回で、オランダ社会を大きく変えるきっかけとなったこの事件について書いていきます。
今回は、2002年のピム・フォルタインの事件について。

 

 

フォルタインは、「ピム・フォルタイン党」という政党の党首をしていた。

フォルタインの考え方は排外的で、イスラーム教徒を攻撃するような発言を連発していた。
イスラーム教を「遅れた文化」と言ったり、イスラーム系移民のオランダ入国を禁止すべきだと主張したり。

 

でもフォルタインは、人種差別からこう主張していたのではない。

イスラームの価値観はヨーロッパの価値観とは合わないから共に生活することは難しい。
ヨーロッパの価値観を守るために、イスラーム教を否定していたという。

フォルタインは、イスラムを「時代遅れの(achterlijk)」宗教と呼んで憚らず、「イスラムは西欧社会とは共存不可能な宗教」であるという認識を示したが、人種差別・民族差別的な主張にもとづいてイスラムを排撃したのではなかった。

彼は、あくまでヨーロッパ的な啓蒙主義の伝統に由来する「普遍的な価値」を援用して「遅れた」イスラムを批判するのである。

 

「人種差別主義者ではなかった」という点で、フランスのルペンとは違う。

ジャン・マリ ルペン

’97年ホロコーストは歴史の細部にすぎないと発言し、人種差別禁止法に違反するとして有罪判決を受ける。

現代外国人名録2012の解説

 

フォルタインは人種の問題ではなくて価値観や考え方の違いから、「ムスリム(イスラーム教徒)との共生は困難だ」と言っていた。

 

話はそれるけど、日本だって外国人の受け入れを続けていけば、いずれ同じ問題が起こるはず。
日本の伝統的な価値観と外国人の価値観がぶつかるときがくる。
そのときは、どうするのだろう?

てなことを書いたけど、ボクは多文化共生に基本的には賛成している。
いろいろな外国人と話をするのが好きだから。
でも、日本人の価値観や常識、社会のルールを守るといった条件は必要だと思っている。

 

アラビア語のポカリスエット(ドーハ)

 

ムスリムを敵視するようなフォルタインの発言は、当然多くのムスリムを怒らせた。
オランダ社会で物議を醸(かも)すことになる。

と同時に、オランダの人びとの注目はフォルタイン党に集まることにもなった。

「あいつの言っていることはひどい!間違っている」と感じたとしても、相手がその意見を言う権利は認めないといけない。
もちろん、それが法律に反していない限りでね。

 

それが表現の自由を守るということなんだから。

フランスの啓蒙思想家のヴォルテールはこういっている。

君の意見に賛成できないが、君が意見を述べる権利は死んでも守る。

これが表現の自由の基本的な考え方。

 

 

アイツが言っていることは気に入らない!

と思ったからといって、その発言を止めさせてはいけない。
言論には言論で対抗しないとダメ。

寛容性と多様性が重要視されていたオランダでは、言論や表現の自由も尊重されていた。

 

だから、フォルタインが射殺されたというニュースを知ったオランダ人は大きな衝撃を受けることになる。
前々から移民に対して差別的なことを言っていたから、フォルタインには敵も多かった。

でも「殺すことによって意見を封じる」となると、これは政治的なテロ事件だ。

「オランダを知るための60章」には、オランダでの政治的な暗殺事件は、1548年のウィレム1世暗殺事件と、17世紀後半のデ・ウィット兄弟暗殺事件以来のことだと書いてある。

今まで約300年間起きていなかった事件が起きたことになる。
「オランダが悪い方向に向かっている」と多くのオランダの人々に思わせることになった。

 

でも 犯人は移民やイスラーム教徒ではなくて、動物愛護団体に所属する青年だという。
フォルタイン殺害の理由や目的もよくわからない。
調べてみたけど、ハッキリと書いているものがなかった。

 

でも、フォルタインがイスラーム教徒を怒らせるようなことを言っていたことは事実。
だから、そのことによって殺害されたと考えるオランダ人は多かった。

日本でも、政治家がその主義や考え方が理由となって殺害されたとしたら、社会は大騒ぎになる。
人びとの考え方にも大きな影響を与えるはず。

オランダでは、この事件によって「オランダの表現の自由が危険な状態にある」と受け止めた人はたくさんいた。
そして、外国人、特にイスラーム系の移民に対する見方も変わっていった。
視線が冷たくなっていった。

 

 

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