独善的なキリスト教徒、江戸日本の「四宗教の平和共存」に驚く

 

前々からここで飲んでみたいと思っているのが、「開かれたお寺」を目指して東京・四谷に開山された坊主バー

 

 

いつもは仏教僧だけで接客を行うこのバー、年末は特別に神主を呼んで大祓い(神道のケガレを祓う儀式)をするらしい。
日本生まれで石や木といった自然物から、菅原道真や徳川家康といった人間までが神になる神道と、インド生まれで、中国を経由して日本へ伝わった外来仏教の仏教はまったく別の宗教で、「神 vs 仏」のバトルが始まってもおかしくないのに、日本では昔から仲良く共存している。
この日本独自の信仰を神仏習合という。
坊主が作ったカクテルを神主が飲んで語らうシーンはその象徴だ。

 

お寺の前に鳥居があるのも神仏習合のあらわれ

 

といっても日本でも宗教をめぐる争いはあって、古くは仏教が伝来したときにそれが起きた。
仏教を支持した蘇我氏とそれに反対した物部氏が対立して、6世紀に「丁未の乱(ていびのらん)」といった衝突はあったけど、16世紀のフランスで数千~数万人が殺された「サン・バルテルミの虐殺」や、ドイツ・フランス・スウェーデンなど欧州各国が参加して、30年も戦い続けていた17世紀の「三十年戦争」ような大規模な争いはない。
宗教を原因とするヨーロッパの争いが「天下が破れるなら破れよ。世間は滅びるなら滅びよ」(応仁記)という応仁の乱レベルとするなら、日本の争いはお花畑でハチに刺されたていどのもの。
なんでそこまで多くの人が殺されたかというと、昔のヨーロッパのキリスト教徒は独善的で、自分と違う人間は「悪」と認識していたから。
悪・即・斬で、そういう人間は見つけて殺さないといけないと本気で考えていたからだ。

 

いまから約400年前、日本でいえば関ケ原の戦いが行われた1600年に、イタリア人の哲学者で修道士のジョルダーノ・ブルーノが4日前の2月17日に処刑された。合掌。
彼の犯した決して許されない罪とは、神への冒とく、魔術・占術の信奉、マリアの処女性の否定、輪廻説の支持といったキリスト教に反する言動だった。
そういう人間は、月に代わってお仕置きではなくて、神と正義の名の下に、最高の苦しみや侮辱を与えて殺すことが当時のヨーロッパ社会の常識。
だからブルーノはローマ市内の広場に連行されたあと、体を固定されて生きたまま焼き殺された。
そして遺灰は川へ捨てられ、カトリック教会は遺族に、彼のために葬式をすることや墓を作ることを禁止した。
自分たちが考えるキリスト教の教えと、違うことを言う人間は魂さえも許さない。

 

ジョルダーノ・ブルーノ

 

自分が正しいのではなくて、自分だけが正しい。
自分たちと違う価値観や考え方を持つ「異分子」は、物理的・精神的にこの世から消滅させる。
「サン・バルテルミの虐殺」やジョルダーノ・ブルーノが処刑された背後にあったのは、こんな強烈な排他性だ。
そんなヨーロッパの常識を持ったスペイン人のアビラ・ヒロンが、ブルーノが処刑されたころに日本へやって来ると、彼は天地の違いに驚がくする。

アビラ・ヒロンを驚かしたような家康のキリスト教への寛容政策は「四宗教の平和共存」という当時の世界では考えられないような状態を生み出した。

「日本人とは何か。神話の世界から近代まで、その行動原理を探る  (PHP文庫) 山本 七平」

 

当時の日本では、神道・仏教・儒教それとキリスト教が対立や争いがなく同時に存在していた。
家康もはじめのころはキリスト教の布教を認めていたから、アビラ・ヒロンのこの記述はそのころのものと思われ。
でも、モノには限度が、家康の寛容にも限界がある。
一神教のキリスト教は性質上しかたないのだろうけど、幕府の統治体制に組み込まれることを拒否したため、しだいに禁止されていく。
このころのキリスト教は独善的で妥協を認めないし、「島原の乱」のような争いの原因にもなったから、結局は日本人の価値観とは合わずに排除される。でも、神仏儒の三教には対立も矛盾もなく、治安を乱すこともなかったから、平和に共存することができた。
ヨーロッパなら血で血を洗う修羅場になりそうな状況でも、日本人なら「平常運転」だった。

 

キリスト教(カトリック教会)は間違いをなかなか認めない。
ジョルダーノ・ブルーノに対する判決は正しいものではなく、処刑は不当であったと判断され、彼の名誉が回復されたのは1979年だった。
関ケ原の戦いのときに受けた有罪判決が、ソニーが「ウォークマン」を発売した年に取り消されたというのは日本ではちょっと想像できない。
伝統的に複数の宗教が平和共存して、それが空気のように当たり前になっている日本では、他の国では考えられないようなことがフツウに起こる。
ヨーロッパでキリスト教・ユダヤ教・イスラム教の聖職者が同じテーブルでティーを飲んだら、ネタではなくてガチのニュースになる。

 

 

 

仏教 目次

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イスラーム教 「目次」

ヒンドゥー教・カースト制度 「目次」

日本人の宗教観(神道・仏教)

 

2 件のコメント

  • > 昔のヨーロッパのキリスト教徒は独善的で、自分と違う人間は「悪」と認識していたから。
    昔の? 今でもさほど変わらないと思いますが。

    > キリスト教(カトリック教会)は間違いをなかなか認めない。
    カトリック教会だけですかね? プロテスタントや東方正教会(オーソドックス)は、間違いをすぐに認めるのですか?

  • いまのヨーロッパでは、神を冒とくした罪で火刑に処されることはありません。

    「カトリック教会だけ」とは書いてありません。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。