西洋社会の“表現の自由” vs イスラム世界の“宗教冒とく”

 

「表現の自由」は民主主義の命でとっても大事なもの。
といっても限界はあって、ネットの誹謗中傷は自由の外側にあるただのゴミ。
これは論外として宗教を取り上げた場合、それは自由か冒とくかで激しい対立になって、これはいま現代的な問題になっている。

1988年にイギリスの作家ラシュディ氏の小説『悪魔の詩』が出版されると、西洋社会とイスラム世界の価値観が正面衝突して血が流れた。
この小説には、

・イスラム教の聖典クルアーン(コーラン)の中には、異教の神の存在を認めるような記述があった。
・作品に出てくる12人の売春婦は、預言者ムハンマドの12人の妻と同じ名前だった。

といった内容があって、『悪魔の詩』はイスラム教を侮辱、冒とくしているとイスラム世界の激しい反発を招き、「いや、これは表現の自由の範囲内にある」と見なすヨーロッパ社会と激しく対立した。
*もちろんこの小説を批判するヨーロッパ人もいた。

ここまでなら、ギリよかった。
出版の翌年、イランの最高指導者ホメイニ師が『悪魔の詩』を「反イスラム」と認定し、著者のラシュディ氏をはじめ本の編集や出版などに関わった人への死刑を宣告し、イスラム教徒に彼らを殺害するようファトワー(宗教令)を出す。
イランの財団は殺害した人には懸賞金(3億7千万円)を出すと言い、イランはイギリスと国交を断絶して世界的な問題となる。
日本では1991年に、日本語訳をした五十嵐一が筑波大学で首を刃物で切られて殺害された。
悪魔の詩訳者殺人事件

困ったことにファトワーは、それを出した人しか撤回することができない。
そしてホメイニ師はそれをしないまま亡くなったから、この“殺害命令”は永久に解除できなくてなってしまった。
ちなみにイランの大統領は1998年に、今後は『悪魔の詩』の件には関与しないし、懸賞金も支持することはないと一線を引く。

それでことし8月、アメリカでラシュディ氏がイスラム教徒の男に刃物で襲われて、一命はとりとめたものの、「命があってよかったね」としか言えない結果になる。

米CNN(2022.10.24)

英作家ラシュディ氏、8月の襲撃で片目失明 手も不自由に

胸と胴体に15カ所ほどの傷があって、片目を失い、腕の神経が切断されたから手は動かなくなったという。

これに日本のネット民の感想は?

・寛容さのない宗教は全て邪教だよ
・言論の自由とかホザく連中への「最終責任のとり方」のベストプラクティスになればいい
・とある預言者が実は異世界帰りだというラノベを誰か書いてほしい
・自分の信仰のために簡単に現地の法律を破って殺人か
・日本ではモスクを建てられるが
サウジアラビアでは神社を建てられない身勝手さw

 

歴史はくり返す。
2015年にも今回と同じように、西洋社会とイスラム世界の価値観が衝突して「シャルリー・エブド襲撃事件」が発生する。
フランスの新聞『シャルリー・エブド』が予言者ムハンマドを揶揄する風刺画(ターバンが爆弾に模された絵など)を載せて世界中のイスラム教徒を激怒させた。
批判に対してシャルリー・エブド側は、これはフランスが大事する「表現の自由」であると相手にしない。
すると2015年1月、パリにあるシャルリー・エブドの本社をイスラム過激派の武装テロリストが襲撃し、編集長や風刺漫画家、警察官など12人を殺害する。

「ムハンマドを侮辱したことへの復讐だ」と過激派が犯行声明を出すと、フランスの自由を守るために国民が立ち上がり、各地で犠牲者の追悼や表現の自由を訴える集会が行われた。
ノートルダム大聖堂は哀悼の鐘を鳴らし、パリ市内のあちこちで半旗が掲げられる。
犠牲者を悼むために行われた「共和国の行進」には、イギリスやドイツの首相などヨーロッパ主要国の首脳も参加した。

 

 

事件後に、初めて発売されたシャルリー・エブド紙の表紙には、「すべては許される」のメッセージと一緒に、預言者ムハンマドが「私はシャルリー」と書かれたカードを持って涙を流す風刺画が掲載された。
こんなシャルリー・エブドには、「アレはやり過ぎだ」と批判する西洋の言論人もいる。
ローマ法王はあらゆる宗教に尊厳はあり、何事にも限度があるとし、「他人の信仰について挑発したり、侮辱したり、嘲笑したりしてはいけない」と述べる。
するとイギリスのキャメロン首相は、「自由な社会では宗教について他人の感情を害する権利がある」と、ローマ法王の意見に反対する。
シャルリー・エブドの編集長も「ムハンマドの漫画を描くたび、預言者の漫画を描くたび、神の漫画を描くたびに、私たちは宗教の自由を擁護しているのです」とあくまでも言論の自由を主張した。
襲撃事件の犠牲者が“殉教者”になってしまい、引くに引けなくなった感もある。

 

2022年のいまから見ると、悪魔の詩やシャルリー・エブド襲撃事件の後、ムハンマドや聖書を小ばかにするような「表現の自由」は西洋社会でも自粛する雰囲気が広がったように思う。
日本人だったらきっと、「他人の信仰心を害する権利」は表現の自由の外側にあるから自粛するし、宗教を批判されてもイスラム世界ほど敏感に反応することはない。
その感覚がちょうどいい気がする。

 

 

【文明の衝突】日本の盆踊りがイスラム教に“反する”理由

日本とモルディブの違い:宗教国でおきる過激派の暴走

イスラム教を知ろう! 「中東・イスラム」カテゴリーの目次①

コーヒーとお茶の共通点:聖職者(イスラム教と仏教)の眠気覚まし

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。