アイルランドとイギリスの歴史①大英帝国とインド植民地

 

始めのニュース

今のイギリスのエリザベス女王はすばらしい記録を持っている。

2015年でこれまでのイギリス国王の中で、もっとも在位期間が長い国王になったのだ。

最近その記録をさらに更新した。

イギリスの情報サイトのニュース(2017年2月7日)から。

エリザベス女王が即位65年―記念の祝砲、肖像写真も

「サファイア・ジュビリー」と称される即位65年に達した英君主は女王が初めて。「新たに刻まれた歴史」(英メディア)を記念し同日昼、ロンドンのバッキンガム宮殿近くなどで祝砲が鳴らされた。

一方、メイ首相は声明を出し「サファイア・ジュビリーは我々の素晴らしい女王が再び打ち立てた新たな金字塔だ。即位65年を迎えた初の君主となったことを特別に祝おうとしないのは、国への無私の献身を示すものだ」と称賛した。

 

ボクはイギリスには行ったことがない。

でもインド旅行をしていたときに、何度も大英帝国(イギリス)を感じたことはある。

ムンバイ(旧ボンベイ)にあるインド門もそのひとつだ。

 

 

イギリス植民地時代、1911年に国王ジョージ5世がインドを訪問するときに記念して建てられた。(1924年に完成)
英国統治のシンボルとして有名だ。

イギリスはインドを植民地支配していた。
インド門はその象徴なのに、インド人はこれを誇りにしている。
日本人のボクには、この感覚がちょっとわからない。

 

太平洋戦争のとき、日本軍がイギリス軍をうち破った戦いがあった。
それがシンガポールの戦い。

「イギリスが負けた」と知ったアイルランド人は大喜びをする。
なぜなら、アイルランドにはイギリスが嫌いな人が多かったから。

なんでアイルランド人はイギリスを嫌うのか?
それはアイルランドの歴史を見ればわかる。

17世紀には、イギリスのクロムウェルがアイルランドを征服して「植民地」にしている。

1652年、護国卿オリバー・クロムウェルによるアイルランド侵略、事実上の植民地化。

(ウィキペディア)

 

そして多くのアイルランド人は英国のために働かされるようになった。

こののち3分の2の土地をイギリス人不在地主が所有し、アイルランド人が貧しい農業労働者として搾取される体制ができあがった。

(世界史用語集 山川出版)

 

そしてイギリス人は、現地のアイルランド人を働かせて自分たちは楽をするというシステムをつくってしまう。

不在地主ということだから、イギリス人はアイルランドに土地を持っているけどそこには住んではいない。

イギリス人はアイルランド人に働かせて、その収穫を手に入れていた。
アイルランド人にしてみたら、イギリス人が楽な生活をするためにこき使われていた状態になる。

 

イギリスは「植民地」にあったアイルランドを自分たちの利益のためだけに利用していた。
これは、大英帝国の植民地だったインドを思い出させる。

ガンディーはイギリスのインド支配をこう言っている。

イギリス人たちがその国を支配するのは、商売のためと知らなければなりません。イギリス人たちの軍隊と艦隊はただ商売を守るためにあるのです

「真の独立への道 岩波文庫」

イギリス人にとっての植民地とは、イギリスの利益を生み出すために徹底的に利用できるところ、といったものだと思う。

 

このとき、アイルランドの農民(小作人)は、農地の70%に小麦を植えていた。
でも、その収穫のほとんどをイギリス人の地主に取られてしまう。
では、アイルランドの人たちは何を食べて生きていたのか?
それは主としてジャガイモ。

多くの農民たちは、農地の30%にジャガイモを植えてそれを食べて生きていた。

 

1801年に、アイルランドはイギリスに併合されてしまう。
アイルランドは完全にイギリスの一部になる。

イギリスによる併合。1800年のイギリス議会における、アイルランド議会の廃止と領土併合を規定した合同法の可決を受けて実施された。

(世界史用語集 山川出版)

 

ここまでの歴史を見ただけでも、アイルランド人がイギリスを憎む理由がわかってくる。

でもイギリスとアイルランドの歴史を見るばあい、ジャガイモ飢饉を避けては通れない。

1801年にアイルランドを併合してから、イギリスはアイルランドを重視していなかった。
経済を発展させて、アイルランドを豊かにしようという考えはなかったから。

ただアイルランド人を働かせて、自分たちは豊かな生活をすることを考えていた。
これは大英帝国とインドの関係のようなもの。

 

だから製造業が発展することもなく、アイルランド人の大半は農業をして生活をしていた。

先ほど書いたように、特にジャガイモの栽培が盛んだった。
ジャガイモは育ちやすいから。

アイルランドでのジャガイモも、この状態に近かった。
大ざっぱに言ったら、「ほっといても自然に育ってくれる」という感じ。

 

バングラデシュの首都ダッカ

 

スリランカを旅行していたとき、現地の日本語ガイドからこんなことを聞いた。

「この国には、飢饉というものがなかったんです」

歴史上、飢饉がまったくなかったかはわからない。
でも日本での飢饉と比べてたら、「ウチの国では、そこまでの飢饉はありませんでした」ということは確実にいえる。

なぜなら、マンゴーやバナナがあったから。
これらの果物は、スリランカではほっといても自然に育つという。
だから何かの食べ物があったから、飢えてたくさんの死者が出るようなことはなかったらしい。

このスリランカ人は、日本でマンゴーを買うのが嫌いだったと言っていた。

「マンゴーの木がウチに庭にあるんです。だから、マンゴーは拾って食べることが当たり前だと思っていました。お金を出してマンゴーを買うのは嫌でしたね」

ということで。
う~ん、うらやましい話だ。

外国に行くと、公衆トイレが有料なところがある。
日本ではトイレはタダだから、お金を出して駅のトイレを使うことにどうしても抵抗を感じてしまう。
彼のマンゴーもそれを同じようなものだろう。

 

そんなアイルランドで、ジャガイモ疫病が発生したことにより「ジャガイモ飢饉」がおこった。
約150万人がこのジャガイモ飢饉で亡くなったという。

でもその責任はイギリスにもあった。
アイルランド人が飢えて死んでいたのに、イギリスはアイルランドのジャガイモを輸出をしていた。

いわゆる飢餓輸出をしていたから。

そのことは次回に。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。