外国人から見た日本と日本人 日本を知る15の言葉 ⑯

 

李登輝(昭和)
「日本の『武士道』は素晴らしいのであり、天下無比のパワーを秘めているのです。このような『不言実行』あるのみの不文律を築き上げてきた民族の血を引く日本人は、もっと自信と誇りを持って、積極的に『国際社会のリーダー』の役割を果たしていくべきではないでしょうか

 

李登輝(昭和)
*新渡戸稲造の著書「武士道」について
「この『大和心』こそ、日本人が最も誇りに思うべき普遍的真理であり、人類社会がいま直面している危機的状況を乗り切っていくために、絶対に必要不可欠な精神的指針なのではないでしょうか」

 

チェンバレン(江戸時代)
「一般に日本人や極東の人びとは、大西洋の両側のアングロサクソンよりも根底においては民主的である」

 

ハリス(江戸時代)
*下田の柿崎について。
「柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりとしていて、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが、少しも見られない。彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている」

 

ベルク(江戸時代)
「彼らは日本語を人類のしゃべる自然な言葉だと思い、それ以外の言葉があるということを考えてもみないらしい」
*ベルクが会った幕末の庶民はそれまで外国人と会ったことがなく、世界中の人間が日本語を話すと思っていた。

 

 

リュードルフ(江戸時代)
*下田を見て
「郊外の豊穣さはあらゆる描写を超越している。山の上まで美事な稲田があり、海の際までことごとく耕作されている。恐らく日本は天恵を受けた国、地上のパラダイスであろう。人間がほしいというものが何でも、この幸せな国に集まっている」

 

カッテンディーケ(江戸時代)
「この国が幸福であることは、一般に見受けられる繁栄が何よりの証拠である。百姓も日傭い労働者も、皆十分な衣服を纏い、下層民の食物とても、少なくとも長崎では申し分のないものを摂っている」

 

オールコック(江戸時代)
「これらのよく耕作された谷間を横切って、非常なゆたかさのなかで所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きのよさそうな住民を見ていると、これが圧制に苦しみ、過酷な税金をとり立てられて窮乏している土地だとはとても信じがたい。むしろ反対に、ヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きのよ農民はいないし、またこれほど温和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象を抱かざるをえなかった」

 

オールコック(江戸時代)
「村民たちは自分たち自身の風習にしたがって、どこから見ても十分に幸福な生活を営んでいる」

 

オールコック(江戸時代)
「平野は肥沃で耕され、山にはすばらしい手入れの行き届いた森林があり、杉が驚くほどの高さにまで伸びている。住民は健康で、裕福で、働き者で元気がよく、そして温和である」

 

 

パンペリー(江戸時代)
「日本の幕府は専横的封建主義の最たるものと呼ぶことができる。しかし同時に、かつて他のどんな国民も日本人ほど、封建的専横的な政府の下で幸福に生活し繁栄したところはないだろう」

 

ミットフォード(江戸時代)
*加賀の国を見て
「行くところはどこでも、金沢での滞在をあれほど楽しくしてくれたのと同じように、思いがけないほど親切にわれわれを受け入れてくれた。驚きの念を禁じえなかったのは、沿道の村や町が豊かに繁栄していたことだ。人口が二千の松任や、二百五十の小松の町を通ったが、加賀侯の寛容な統治下にあって、日本の他の地方では見られないほど幸せな生活を送っているようにみえた」

 

マハティール(昭和)
「日本は非西欧的な価値観をもって、世界の経済のトップにまで上り詰めた国である。自分の価値観を強要することなく、多元的な価値観や文化を受け入れながら成功していった唯一の国である」

 

マハティール(昭和)
「それまでは、ヨーロッパは無敵であり、反抗不可能なものと認識されていた。彼らは途方もなく強く、優秀で、賢かった。われわれは、空に太陽と月と星が存在するかぎりは、イギリス人はマレーシアを支配し続けるだろうと考えていた。しかし、そのイギリスが粗悪品の代表と思われていた日本に負けたのである。この事実はわれわれの認識を百八十度変えた。ヨーロッパも、負けるのである。」

 

マハティール(昭和)
「イギリスやヨーロッパ人が負けることがあるのだ、それも、同じアジアの国が西欧の強国を負かすことができるのだという事実が、衝撃としてわれわれの間に走ったのだった」

 

以上は、下の本からの抜き出し。

「逝きし日の面影 平凡社」
「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」

 

おまけ

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李登輝(ウィキペディア)

台湾の政治家で元総統(1988年 – 2000年)。

京都大,台湾大卒。米コーネル大で農学博士号を取得。1956年台湾大助教授。1972年行政院政務委員として政界に入る。台北市長,台湾省政府主席を歴任し,1984年副総統,1988年1月蒋経国総統の死去により,総統に就任。

「百科事典マイペディアの解説」

マハティール(ウィキペディアから)

マレーシアの政治家で第4代首相

開業医から政治家に転じ、欧米諸国ではなく、日本の経済成長を見習おうというルックイースト政策をはじめ、長期に及ぶ強力なリーダーシップにより、マレーシアの国力を飛躍的に増大させた。

「ウィンドウズ」

 

おまけのおまけ

日本が世界に誇る修学院離宮。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。