【ケンカ上等】尊敬→軽視、日本人の中国観を逆転させた事件

 

1281年のきょう6月23日、日本が再び大ピンチにおちいった。
1274年の「文永の役」で撃退された後、元の皇帝フビライはこの敗戦を最大級の屈辱、まさに「会稽之恥」(かいけいのはじ)にして復讐の機会を待つ。
日本をたたき潰し、この恨みを晴らしてやる!と「報仇雪恥」(ほうきゅうせっち)の思いで皇帝は軍を立て直すと、また日本征服を命じモンゴル軍がやってきた。
出陣する前、圧倒的な大軍を見て高麗人の僧・冲止は余裕たっぷりにこう言った。

「元軍は一瞬のうちに日本軍の軍営を打ち破り、勝報は朝夕のうちに伝わるだろう」

鎌倉武士はこの侵略に震えたかもしれないが、積極的に前へ出て戦う。
モンゴル軍が北九州にきたその日の夜、小船で近づいて斬り込み、敵兵を斬って船に火をつけダメージを与えた。
こうした日本軍の果敢な攻撃と、後に「神風」と呼ばれる暴風雨によってモンゴル軍はまたも撃退されてしまう。
まったく想像できなかった自軍の壊滅を見て、鄭思肖という中国人はこう詠んだ。

「20万人は白骨山の上に置き去りにされ、海を渡って帰る舩がなく、倭人のためにことごとく殺される」

あれはやっぱり負けフラグだったか。

 

現代の中国人はこの遠征についてどう思っているのか?
あの戦いによって中国は舐められるようになったと、日本人の中国観を変えるターニングポイントになったという見方があるらしい。
中国メディアの騰訊が「日本は元の時代から中国を軽視するようになった」という内容の記事を掲載した。
サーチナ(2021-08-01)

日本人は「中国を軽んじている!」、こうなったきっかけは「あの戦いだ」=中国

古代は世界的な先進国だった中国に遣隋使や遣唐使を派遣して、すぐれた政治制度や思想などを学んでいたころ、平城京や平安京にいた日本人は中国を「理想郷」のように思って、あこがれる気持ちが強くあった。
いまでも京都へ行くことを「上洛」というのは、隋や唐の都だった洛陽にちなんでいる。

現代の中国人からみると、いまの日本人は「中国を軽んじている」と感じるらしい。
それでこの中国メディアは元寇の後から、日本は中国を軽く見るようになったと主張する。
日本人が中国に敬意を持っていたのは宋の時代までで、元になると日本の態度は「一変した」という。
2回戦って2回とも勝ってしまったのだから、当時の日本人が中国を「ザコ」とまではいかないまでも、「大したことはない」と思ったのは当然だろう。
さらに、経済が発達して文化のレベルも上がって、もう日本は中国に依存しなくなった。全体的に日本の国力が上がったため、中国の重要性や存在感が低下したと記事は指摘。
また元はモンゴル人の国だったから、日本人には北方の異民族に対する軽視もあっただろうと。

そんなことから、元寇で日本を守ることができたのが、中国を軽視するきっかけになったと記事はいう。

 

この見方は新しいものではなく、戦前の東洋史学者・内藤湖南も同じ指摘をしている。
宋を滅ぼした元の軍を日本が撃退したことで、中国という国が日本人にあまりありがたみがなくなつた、そして日本はとても偉いのだと思うようになったという。

【元寇の衝撃】日本人の、中国や自国に対する見方が一変

 

実際、元寇のビフォー・アフターで中国に対する日本人の印象は激変して、かなり舐めた態度をとるようになる。
元が滅んで明の時代になると、皇帝(太祖)は日本の皇族の懐良親王(かねよししんのう)に書を送り、中国に朝貢して臣下になれと、武力をチラつかせながら高圧的に迫った。
すると親王は皇帝に挑発的な手紙を送り返す。

それを懷良親王が見られて、戰爭をするならしようといふ手紙をやつたのです。此時の手紙は日本で言へば、蒙古襲來の時に取つた態度よりも、よほど激しい態度であります

「日本文化の独立 (内藤 湖南)」

 

元寇のときは、皇帝の手紙に鎌倉幕府は返事をしなかっただけなのに、皇族とはいえ、わずかな領土しか持っていなかった懐良親王は売られたケンカを堂々と買っている。
中国軍なんて恐れるほどではない(なんぞ恐るるに足らんや)、もし日本に負けたら、中国が恥をかくことになるぞと親王は皇帝に言う。
懐良親王の返信に激怒した皇帝は激怒して日本を攻めることを考えたが、元寇の失敗からそれは止めたという。
それにしても中国皇帝に「来るなら来い」と、ここまで舐めくさった手紙を出した日本人なんて他にいないだろう。
二度の勝利が日本人の心理に与えた影響は本当に大きかった。

忘れられない屈辱という「会稽之恥」、必ず敵を倒して恨みを晴らすという「報仇雪恥」ではなくて、怨みのある者にも寛大な態度でにする「報怨以徳」(ほうえんいとく) の精神を中国皇帝は日本に対して持つべきだった。
そうすれば日本人から、「喧嘩上等」と言われるまで軽視されなかったと思う。

 

 

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1 個のコメント

  • > 皇族とはいえ、わずかな領土しか持っていなかった懐良親王は売られたケンカを堂々と買っている。
    懐良親王って、武士を従えて自分の世を作ろうとしたが失敗した後醍醐天皇の息子、南朝の人ですよね。彼が主に活躍したのは、九州で南朝勢力を拡げたこと。
    その経歴を考えると、中国(明)に対しても強気に出るのは、まあ当然と言えば当然ではないでしょうか。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。