きのう行われたサッカー日本対モンゴル戦は衝撃的だった。
大迫選手がハットトリックをきめるなど日本の攻撃陣が大爆発し、14-0という別のスポーツのような異次元の勝利を収めた。
ちなみにネットでは得点差に応じてこんな表現がある。
2-0 危険なスコア
3-0 大差ないスコア
4-0 アーセナル的危険なスコア
5-0 夢のスコア
6-0 無慈悲なスコア
7-0 炭鉱スコア
~中略~
12-0 トヨタスコア
13-0 医大スコア
前代未聞の14-0をどう表すかはまだ正式決定していないけど、暫定的にモンゴルスコアかドルジスコアと言われている。
*中継の副音声に元・横綱朝青龍のドルジさんがいたから。何という巻き込まれ事故。
昨夜、ネットにこんな声がこだました。
・モンゴルになんの恨みがあるんだよ
・14-1なら、相撲の14勝1敗みたいでよかったのに
・日本がアジアで最強すぎるから試合する意味ねーな
・じゃあサッカー日本代表は相撲でモンゴルに勝てるの?
・アディショナルタイム3分で3得点て何やねんww
日本がモンゴルを相手に、ここまで圧倒的な勝利を収めたのは13世紀以来では?
まえに韓国人と一緒に静岡市にある清見寺というお寺に行ったとき、江戸時代に日本を訪れた朝鮮通信使が残したこんな漢詩を発見。
韓国は漢字を”廃止”したから、日本語を学んだ彼なら少し読める文字があるぐらいで、「普通の韓国人じゃ何も読めませんよ。中国人が書いた文章と思うんじゃないですね」とのこと。
現代の日本人でも300年ほど前の日本人の文章を見ても、意味は分からないとしても、一切読めないということはない。
少なくとも平仮名があれば、それが日本語の文ということはわかるはず。
この漢詩をきっかけに彼から、中国に対する日本の「距離感」についての質問をうける。
古代の日韓はともに中国(隋・唐)を”師”として漢字や文化、政治制度などを学んでいたけど、日本はいつごろ中国から離れて独自の道を進むようになったのか?
この見方はいろいろあって、人によって答えも違う。
日本が中国に対する見方を大きく変え、むしろ”優越感”を感じるようになった大きな転換点として、このとき彼に13世紀の元寇を挙げた。
モンゴル・高麗などの連合軍が1274年の文永の役と1281年の弘安の役の2回襲ってくるも、日本が撃退した歴史的大事件。
あの戦いの勝利の理由についていまの日本ではよく、鎌倉武士の奮闘や暴風雨のためといわれている。が当時は「日本の神が守ってくれた」とマジで考える人も多くいて、われわれの祈りが通じたからと神社やお寺は幕府に恩賞を求めた。
要因はどうあれ、日本がモンゴル・高麗軍を退けたことは間違いない。
弘安の役について中国の歴史書『元史』には、「10万の衆、還ることの得る者、三人のみ」という記述がある。
10万の兵士のうち、中国に戻って来られたのは3人だけだった。
昔は10万:3で、きのうは14:0。
でもさすがにこの文章は盛っているだろうけど、それでも、考えられない大敗北を喫した当時の中国人の精神的ダメージは伝わってくる。
こ敗戦で中国の日本への見方はガラリと変わって、「強くて恐ろしい日本人」というイメージが形成され日本脅威論が浮上してきた。
のちの明の皇帝・朱元璋は日本の懐良親王(かねよししんのう)に明への朝貢と倭寇の鎮圧を、軍事力をチラつかせて要求する。
ところが懐良親王は中国の圧力をはね返し、もし明軍が攻めてくるなら迎え撃ってやる!といった内容の書を送り返した。
日本の『無礼な』態度に皇帝激おこ。
この返書に激怒した朱元璋であったが、クビライの日本侵攻の敗北を鑑みて日本征討を思い止まったという。
モンゴル型兜(かぶと)
当然、日本でも中国に対する見方が一変する。
戦前の東洋史学の権威・内藤湖南は、中国(宋)を滅ぼしたモンゴル軍を日本が撃退したことで「ここに面白い現象が起っているのであります」という。
支那といふものが日本人に取つてあまり有難くなくなつた、そして其支那を亡ぼした所の蒙古をも日本が神の力で退けたのですから、日本はよほど偉いのだといふので、其神の保護を受けるといふことはよほど偉い事に思はれただらうと思ひます。
「日本文化の独立 (内藤 湖南)」
*「支那」は中国のこと。現代では侮蔑語になるからこのことばはNG。
大国としての中国のイメージは完全に失墜した。
これは同時に、日本人が自国を改めて見直すきっかけとなり、日本に対する見方もよりポジティブなものに変化した。
*神国思想を参照のこと。
戦いの勝利が日本人に大きな自信と影響をあたえて、中国に対する見方が激変したことは韓国人にもすんなりと理解できた。
とはいえそれはおもに軍事面での話で、日本人は儒教などの中国文化に対しては敬意を持っていた。
以上のことは7~800年前の出来事で、いまの日本人とは直接関係ない。
サッカーの試合で勝ったというのはそれ以上でも以下でもなく、それだけのこと。
「日本がアジアで最強すぎるから試合する意味ねーな」というのも1日で忘れないと、そのうちきっとイタイ目をみる。
元寇での勝利も大事だけど、戦いが終わったあと、戦死した日本の武士とモンゴル・高麗の兵士を平等に供養した当時の日本人の考え方も忘れちゃいけない。
敗者への敬意はいまの日本人も大切にしないといけない。
元寇で亡くなったすべての人を追悼するために、北条時宗が創建した円覚寺(鎌倉)
特定の国に対する見方が一変したとしても、死者の魂に頭を下げる日本人の価値観は変わらない。
おまけ
1275年、元の皇帝の意思で日本に降伏勧告に来た元の使節・杜世忠(とせいちゅう)の一行は、日本に上陸するとすぐに捕まり、鎌倉に送られて龍口刑場で斬首された。
彼らを供養する五輪塔がいまでも常立寺にある。
2007年に朝青龍さんなどモンゴル出身の力士が参拝すると、それ以来、大相撲の藤沢巡業のときにはモンゴルの英雄を表す青い布が塔にかけられるようになった。
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この問題は、モンゴル、中国、満州、(北朝鮮を含めた)高句麗と、地域的な区別がややこしいので、なかなか簡潔・適切には表現できそうにないですね。ここでの筆者の考えだって、誤解されやすそうですし。