【イスラム冒涜】日本人にはいらない欧州の“表現の自由”

 

ヨーロッパの歴史の中で生まれた「表現の自由」は現代の日本でも重要な考え方だけど、日本人ならやっぱり、日本の伝統的な価値観を優先した方がいい場合もある。
今回は「宗教の侮辱」に関連してそのことについて書いていこう。

イスラム教徒を指すアラビア語の「ムスリム」という言葉は、アッラー(神)に絶対服従する者という意味になる。
7世紀、預言者ムハンマドがアラビア半島の洞窟で瞑想をしていると、天使ジブリール(ガブリエル)が現れ、アッラーからの言葉を伝えた。
このようにして伝えられたアッラーの意思は、聖典クルアーン(英語読みでコーラン)に記されている。
*日本では「コーラン」が一般的なので、ここではその表現を使うことにする。

イスラム教徒にとってコーランはとても重要で、アッラーの”一部”のように神聖視されている。
だから、2001年に富山県で「コーラン廃棄事件」が起きた時には全国のイスラム教徒が激怒した。

この年の5月、県内に住むパキスタン人が経営する店の前で、コーランが刃物で切り裂かれて捨てられているのが見つかった。
これが始まりだ。
すぐに全国各地でイスラム教徒による抗議デモが行われ、駐日パキスタン大使館は外務省に事件の徹底的な捜査と再発防止を求めた。
外務省はこの事件に関して、イスラム教徒の感情が傷つけられたことに遺憾の意を表明し、当時の小泉首相は国会で答弁を求められ、「イスラムおよびイスラム社会に対する理解増進に努める」と述べた。

列島を揺るがしたこの事件の犯人は20代の女性だった。
仲の悪かった父親を困らせるために、このアホガールが騒ぎを起こそうとしたら、宗教に対する無知から、予想以上の大炎上に発展してしまったらしい。
イスラム教へのヘイト(憎悪)とは無関係で、幼稚な動機だったことも分かり、騒ぎはすぐに収束した。

知人のイギリス人は小学生のころ、学校で宗教について学ぶ授業があって、イスラム教やユダヤ教など世界的に有名な宗教の歴史的背景や教えについて知った。
欧米ではイスラム教徒も多く住んでいて、人々は宗教に対する基本的な知識を持っている。
イスラム教徒に対してコーランを破り捨てば、次に何が起こるか誰でも想像できるから、こんな露骨な宗教への冒とく事件が起こる先進国は日本だけだろう。
そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。

多文化共生では日本のはるか先を行き、「お手本」と称賛する人もいたスウェーデンで、コーランを焼いたり踏みつけたりする動きが出てきた。

ニューズウィーク日本版(2023/07/05)

スウェーデンのNATO加盟はほぼ絶望的に──コーラン焼却「合法化」の隘路

トルコとの関係が悪化し、昨年からスウェーデンでは反移民、反イスラム教徒のデモが各地で発生して、コーランが何度も燃やされた。
そして今年の1月、トルコ大使館前で行われたデモでコーランが焼かれたことで、トルコを含むイスラム教を尊重する国々が激怒し、スウェーデンに猛抗議をする。
スウェーデン警察は「治安上の理由」から、デモはいいとしてもコーランの焼却は禁止した。
一般的な日本人の常識や感覚からすると、イスラム教への侮辱や冒とくを許さないこの決定は妥当だろう。

ところが、スウェーデンの裁判所は「治安上の理由はデモの権利を制限できない」と判断した。
警察の決定よりも「表現の自由」が優先され、コーランを燃やす行為は合法とされてしまったのだ。
そして今から2週間ほど前、イスラム教の重要な祭りの日に、モスク(礼拝所)に多くの信者が集まる前で、一人の男がメガホンでイスラムを批判する演説を行い、コーランを燃やして踏みつけた。
イスラム教を侮辱したこの男はイラク難民だったというから、多文化共生社会の実現は本当に難しい。

これはスウェーデンの司法が認めた合法な行為だったから、男が罪に問われることはなく、逆に、怒りに駆られてたイスラム教の信者が警官に取り押さえられた。
こんなスウェーデンの法の支配や表現の自由が、イスラム教徒に受け入れられるはずない。イランやイラクなどのイスラム国で抗議活動が発生したのも当然だ。
スウェーデンの首相は「合法だったが適切でなかった」と認めたが、コーランの焼却を禁止することはできない。
その結果、いまスウェーデンはかなり困った立場に立たされている。
NATOへの加盟はスウェーデンの悲願で、そのためにはトルコの同意が必要だったのに、自国の「表現の自由」によってその夢が実現する未来は見えなくなった。

 

一方、日本ではあれ以来、コーランを侮辱するような事件が起きたという話は聞かない。
スウェーデンはそんな行為を「表現の自由」の範囲内に認めてしまったから、歯止めをかけることが難しくなった。
『魏志倭人伝』には、弥生時代の日本人(倭人)につい「争いごとも少ない」と記されている。
今回の宗教冒とく事件のように、日本人は欧州式の権利や自由よりも、伝統的な考え方である「和を以て貴しとなす」を尊重し、自己主張は抑えた方が場合もある。
自分の権利を優先し、相手の大切なものを侮辱して争いを引き起こすことは、日本人の価値観には合わない。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。