日本人の感覚や価値観からすると、サンバのリズムはいいのだけど、「ヴァンダリズム」は受け入れられない。
芸術や宗教、文化をぶっ壊す野蛮な行為をヴァンダリズムといって、この言葉は5世紀にローマ帝国をめちゃくちゃにしたヴァンダル族に由来する。
自分たちの価値観を唯一正しいものと考えて、ほかの価値観を全否定する。
アフガニスタンでイスラム過激派のタリバーンが、世界遺産にもなっていた巨大仏を爆破した行為がそんなヴァンダリズムだ。
5~6世紀につくられた人類の遺産が一瞬で消え去る。
今月3日、神戸でそんな事件が発生。
ムスリム(イスラム教徒)のガンビア人が「(神は)イスラム教のアッラーしかいない!」と叫んで神社のさい銭箱を蹴ったり、近くのお地蔵さんを破壊したという。
こんなヴァンダリズムにネットの反応は?
・信仰は好きにせい
他人のもの壊すな
・さすがにこれは国に帰れとしか言えない
・イスラムはイスラム圏で固まってた方が平和だわ
・寛容に反対する人にも寛容になるべきとか唱えてた人見てる?
・他国にきてこんなする宗教と相いれるわけない
2014年にもサウジアラビア人のイスラム教徒が東京・浅草寺の仏像を壊して器物破損の容疑で捕まった。
「アッラーのほかに神は無い」というのがイスラム教の絶対原則だ。
聖典クルアーン(英語読みでコーラン)にはこんな言葉があって、仏像や神像などに祈る偶像崇拝も厳禁されている。(タウヒード)
言ってやるがよい、「天と地をすべ治めるものは誰か。」言ってやるがよい、「アッラーだ」と。言ってやるがよい、「それなのに、お前たち、(アッラー)を差し置いて、他の(偶像)どもを神と仰ぐことにしたのか。自分自身に対してすら良くすることも悪くすることもできないようなものどもを
だからといって、異教の像を破壊していいことにはならない。
それはイスラム教徒がよく知っている。
愛知県の新城市にはハイキングコースがいくつもあって、これまでインドネシア人、バングラデシュ人、トルコ人、インド人のイスラム教徒をそこへ連れて行った。
彼らの反応を見ると、この仏像に違和感を感じる人が多い。
一段高い仏像には頭部が無いから、これを不思議に思ったムスリムから「首無し」の理由を何度も聞かれた。
イスラム教の歴史ではこうやって偶像のカオなどを破壊するヴァンダリズムがあったけど、日本でそんな話は聞いたことない。
信仰の面でも、日本では無宗教の人がほとんどで宗教の違いを気にしない。
いろんなところで見る仏像にはお供え物があって大切にされているから、こんな無残な仏像があるとどうしても気になるらしい。
この理由はボクも知らないから、そんな時は、誰かが憎悪を持って意図的に破壊したのではなくて、時間の経過で自然に頭部が落ちたのだろうとイスラム教徒に言っておく。
そうすると、「ならよかった。ひょっとしたら、ここへきたムスリムが壊したかと思いましたよ」と安心するトルコ人がいたから、ほかの人も同じことを思ってボクに確認したかもしれない。
日本人のボクとしては、疑問を感じるポイントは別のところにある。
仏像が頭を失った理由よりも、この像やほかの仏像をバックに、イスラム教徒が笑顔で写真を撮っていることが気になった。
仏像を壊すのは論外として、イスラム教徒が異教の偶像を見て、こんなカジュアルに写真を撮っていいのだろうか?
それをたずねるとバングラデシュ人とインド人のムスリムは、これは石を削って作った像で文化や芸術の意味しかないから、博物館や美術館で作品と一緒に写真を撮るのと同じでまったく問題ないという。彼らに言わせると、むしろ石の形を変えただけのこの像に、神や魂が宿っていると考えることが反イスラム的。
なるほど。
では以前、サウジアラビア人のムスリムが浅草寺の仏像を壊したことをどう思うか聞くと、2人はこんな話をする。
その人はイスラム教をよく理解していません。
イスラム教は異文化を尊重する宗教で、クルアーンには、他人(非ムスリム)が大切に思っているものを侮辱してはいけないと書いてあるんですよ。
本質的にはただの石や木に「神聖性」を認めて、それに敵意や憎悪を感じることはイスラム教徒として間違っています。
だから、そういう蛮行には一切支持も共感もできません。でも、もしその行為を善意として解釈するなら、彼は仏像を壊すことで、人々が”間違った教え”を信じていることに気づかせようとしたかもしれません。
でも、無宗教で文化として仏像を大事にしている日本人が多いですし、それは本当に無意味で邪悪な行為ですよ。
このところ日本に住むイスラム教徒は増加傾向にあって、いまでは20万人を超えたといわれる。
1999年に比べると、全国で15カ所だった礼拝所(モスク)も110カ所以上にまで増えた。
日本にいるほとんどのムスリムは日本の文化を尊重し、日本人と仲良く生活したいと考えている。
なのに例外的なアホがとんでもないことをすると、「イスラムはイスラム圏で固まってた方が平和」「他国にきてこんなする宗教と相いれるわけない」とひとまとめに批判されるから、彼らとしてはド迷惑極まりない。
「ならよかった」とトルコ人がやや神経過敏になっていたことには、こんな背景があったのかも。
だから、「過激派のことは嫌いでも、私たちのことは嫌いにならないでください!!」というのが在日ムスリムの思いのようだ。
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