なんでイギリス人はみかんを「サツマ」と呼ぶの?②薩摩藩と英の「薩英戦争」

 

始めの一言

「日本の住民は、性質温良にすて礼儀を重んずることはなはだしく、戦に臨みては勇敢、国法厳にして、犯したる者は毫も仮借するところなし
(ウィリアム・アダムス 江戸時代)「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」

 

この「ウィリアム・アダムス(三浦按針)」という人は、ぜひ覚えておこう。
日本に来た最初のイギリス人と言われている人。
さらに、「イギリス出身の武士」という不思議な人物でもある。

 

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三浦按針の像(ウィキペディア)

 

みうら‐あんじん【三浦按針】

[1564~1620]日本へ来た最初の英国人といわれるウィリアム=アダムズ(William Adams)の日本名。オランダ船リーフデ号の水先案内人として慶長5年(1600)豊後(ぶんご)に漂着、外交顧問として徳川家康に仕え、相模三浦郡に所領を与えられた。

(デジタル大辞泉の解説)

 

家康は、さらなる慰留の意味もあってアダムスを250石取りの旗本に取り立て、帯刀を許したのみならず相模国逸見(へみ)に采地も与えた。

また、三浦按針(”按針”の名は、彼の職業である水先案内人の意。姓の”三浦”は領地のある三浦半島にちなむ)の名乗りを与えられ、異国人でありながら日本の武士として生きるという数奇な境遇を得たのである。

(ウィキペディア)

 

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イギリスのスーパーで売られている、「Satsuma(サツマ)」というみかん。

 

今回の内容

・サラリと前回の内容
・薩英戦争
・戦って芽生(めば)える友情

 

・サラリと前回の内容

はじめに、前回の内容をサラリと確認したい。

「もう読んだ」という人は先に進んでくれたし。

「イギリスでは、ミカンのことを『Satsuma(サツマ)』って呼んでいるんだよ」
イギリス人の友人からそんな話を聞いた。
「サツマ」は、江戸時代にあった薩摩藩のこと。

なんでイギリスでは、ミカンをサツマと呼ぶんだろう?
不思議に思って調べてみたら、ロンドンで暮らしている日本人のブログを見つけた。

なんのことはない、日本の温州みかんのことなんですけど、
なんでSATSUMA?と、謎だったんですが、
一年くらい前に職場にあった新聞の特集記事で初めて知りました。

幕末期に薩英同盟が結ばれた折に友好の証として薩摩藩から英国に苗が贈られた事に由来するんだそうです。
反対に英国から薩摩藩に贈られたのがバークシャー種の豚で、
これと在来種を掛け合わせたりして改良されたのが現在の黒豚なんだって~。

「サツマ」というみかん

 

幕末に、薩摩藩とイギリスで友好関係が成立した。
このときに薩摩藩からみかんの苗がイギリスにおくられたことがきっかけとなって、今のイギリスではミカンを「サツマ」と呼ぶようになったとかいてある。

たしかにイギリスと薩摩藩はとても良い関係だった。
でもその友好関係は、薩摩藩の藩士がイギリス人を斬り殺したことから始まっている。

それが、生麦事件のこと。
この生麦事件のことは前回書いた。

今回は生麦事件でイギリスが激怒したことから。

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明治の日本軍が持っていたイギリスの国旗。
大連(中国)の博物館にあったもの。
イギリスが日本に協力していたということ。

 

・薩英戦争

生麦事件でおそわれた側のイギリスは、黙っていられない。

薩摩藩に対して、賠償金とイギリス人を殺傷した藩士の引き渡しを要求する。
でも、薩摩藩がこれを拒否してしまう。

ここから薩英戦争が始まる。

薩英戦争

1863年、生麦事件の報復のため、イギリス艦隊が鹿児島沖に来航して交戦。

(日本史用語集 山川出版)

 

薩摩藩とイギリスとの戦争では、どちらが勝ったか?

相手は1840年のアヘン戦争で、清(中国)を撃破しているイギリスだ。
薩摩藩だけでかなう相手ではない。

と思いきや、薩摩藩はかなり良い戦いをしている。

薩摩方は鹿児島城下の約1割を焼失したほか砲台や弾薬庫に損害を受けたが、人的損失は最小限にとどまり、陸戦隊の上陸を一歩も許さずに艦隊を横浜に追い返すという予想外の善戦を見せた。

(ウィキペディア)

 

 

でも、このときイギリスは「本気の戦争」をするつもりはなかった。

「薩摩藩を地上から消してやる!」なんてという強い気持ちがあったわけではない。

イギリス国内にはこの戦争に反対する人たちがたくさんいて、イギリス軍や政治家はこの声を無視できなかった。

イギリス国内においては、英国艦隊の行動を批難した住民の抗議集会などがあり、各地で批難の決議や書簡が政府や報道機関に寄せられています。

交戦時に砲台を壊滅する必要はあっても、市街地を焼き払い、一般市民に多大な被害を与える行為は許せないとの声であり、人道的な立場からの深い同情の念が示されたものでした。

イギリス艦隊が、再び鹿児島砲撃に向かわなかったのは、こうしたイギリス本国の事情があったからだといえます。

薩英戦争に対するイギリスの反響

 

このときのイギリスは、ベトナム戦争でのアメリカにかさなるところがある。

1970年代のベトナム戦争では、アメリカ国内で戦争に反対する多くの市民が抗議活動をしていた。
ベトナム戦争を終わらせたのは、ベトナム人の粘り強い戦いだけではない。
アメリカ国内の反戦の声も、終戦を後押ししていた。

 

でもそれは1970年代のこと。

イギリスでは1860年代に、一般の民衆が軍部に抗議していた。
民主政治の成熟さをしめしていると思う。

イギリス革命によって、人類史上初めて立憲君主制を確立した国はチョイと違う。

 

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ベトナム人の首都「ハノイ」

 

・戦って芽生える友情

この薩英戦争の結果は、「両者痛み分け」という感じ。

双方ともかなりの被害を受け、講話が成立。薩摩は攘夷の無謀を理解し、講和後に両者は接近した。

(日本史用語集 山川出版)

 

「講和後に両者は接近した」というのは、お互いに戦って相手を知ったことで仲良くなったということ。

「おまえ、なかなかやるじゃねえか」
「ああ、おまえもな」

という、書くのも恥ずかしいほどのマンガ的な展開があった。

薩摩藩からイギリスにミカンの苗がおくられたのはこのころだろう。

「おまえ、ミカンでも食べないか?」
「ああ、ありがとよ」

きっとそんなことがあったのだと想像する。

 

それから約140年たった今では、ロンドンのスーパーで「Satsuma(サツマ)」が売られている。

イギリス人にその理由を聞いてもわからなかった。
薩英戦争を知っているイギリス人なんてほとんどいないのだろう。
日英同盟すらイギリスでは知られていない。

日本でも、ミカンがイギリスで「サツマ」とよばれているなんて、ほとんどの人は知らない。
 

 

今回の復習

・1863年、生麦事件の報復のため、イギリス艦隊が鹿児島沖に来航して交戦は
なに?
・1840年、清(中国)とイギリスとの間でおきた戦争はなに?
・この戦争でイギリスが獲得した領地はどこ?

 

答え

・薩英戦争
・アヘン戦争
・香港

 

おまけ

日本の温州みかんが英語で「SATSUMA」と呼ばれている理由として、イギリスの新聞記事を紹介した。

「幕末期に薩英同盟が結ばれた折に友好の証として薩摩藩から英国に苗が贈られた事に由来する」というもの。

だけど別の説も見つけたので、あわせて紹介しておきます。

出水郡東町が発祥の地とされる温州みかんは、外国ではSatsuma(サツマ)と呼ばれています。 初めて温州みかんが外国に渡ったのは、1876年(明治9年)ジョージ・ホール氏がフロリダへ苗木を送っています。

温州みかんがSatsumaと呼ばれるようになったのは、1878年当時米国の日本大使だったバン・バルケンベルグ氏夫人が鹿児島の方に頼んで温州みかんの苗木を故郷に送ったことに由来します。

現在、フロリダ州とアラパマ州にSatsumaという町があります。 ヨーロッパでも温州みかんのことをサツママンダリンと呼んでいます。

Satsumaの由来

どっちが正しいのだろう?

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。