タージマハルを知りましょ① 目的とは・世界の評価・インドの歴史

 

始めの一言

(日本の浮世絵に影響されたゴッホが)
「日本人は素描をするのが速い、非常に速い、まるで稲妻のようだ、それは神経がこまかく、感覚が素直なためだ(ゴッホ 幕末)」「日本絶賛語録 小学館」

 

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今回の内容

・タージマハルの目的
・タージマハルを世界はどう見たか?
・タージマハルが建てられるまでのインドって?

 

・タージマハルの目的

17世紀前半の時代、日本ではいえば3代目将軍徳川家光がいたころ、インドのムガル帝国皇帝「シャージャハーン」は悲しみにくれていた。

最愛の妻であった「ムムターズマハル」が、まさに亡くなろうとする寸前であった。シャージャハーンは、病床の妻に、こんなことを言ったという。

 

「お前にかえてどんな皇妃も迎えはしないし、お前の他にどんな女も私の心に住ませはしない。
また、この世でいちばん美しい棺のなかにお前の亡骸をいれ、後々の世まで誰ひとりいまだ他で目にしたことがないような大理石の美しい墓廟の中に葬ってやろう」
(タージマハル物語 渡辺建夫)

やがてムムターズは、亡くなってしまった。
シャージャハーンの右の眉を確認したかは知らないけど。

シャージャハーンは悲しみにくれた。

彼はあまりに熱愛していたため、彼女の生きている限りは他の女性を見ることもなく、その死後は自らも死のうとしたほどです。(ムガル帝国誌 ベルニエ)

 

皇帝シャージャハーンの妻へのこの誓いを守るために、「世界で最も大きく美しいお墓」と言われるタージマハルがつくられることになった。
ちなみに、シャージャハーンとは「世界の王」という意味だそうだ。

 

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・タージマハルを世界はどう見たか?

17世紀にインドを訪れたフランス人の旅行家「ベルニエ」は、エジプトのピラミッドを「ぶざまな石の塊や石の山積み」と酷評したのに対し、タージマハルをこうたたえている。

 

「世界の驚異に数えられるにふさわしい墓」
「これを世界の七不思議の中に入れるべきだと思います」
(ムガル帝国誌 ベルニエ 岩波文庫)

 

ベルニエがインドを訪れたのは、17世紀のこと。
でも、このベルニエの考えには、今でも世界中の人たちが共感しているらしく、2011年には「新・世界七不思議」の一つにもあげられた。
ちなみに、他の6つは、以下のとおり。

 

中国の「万里の長城」
イタリアの「コロッセオ」
ヨルダンの「古代都市遺跡群ペトラ」
ブラジルの「コルコバードのキリスト像」
ペルーのインカ帝国遺跡「マチュ・ピチュ」
メキシコのマヤ遺跡「チチェン・イッツァ」

 

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個人的には、アンコールワットも選んでほしかった。
残念!

 

タージマハルは、日本で一番知られているインドの建築物で、インド観光で欠かせない目玉でもある。
でも、その割には、ここに行ったというインド人にはなかなか会わない。
「日本人が何でそんなにタージマハルが好きなのか分からない」と、日本人のタージマハル熱に驚くインド人には、けっこう会う。

 

・タージマハルが建てられるまでのインドって?

このタージマハルについて詳しく書く前に、タージマハルが建てられる前の時代背景を、インドの雑学を交えて書いていきたい。

まずは、「インド」という国名について。

 

インド

自国ではバーラト(タ)。
はじめてアーリア人が国家をおこしたときのバーラタ王の名に由来するといわれている。(地名の世界地図 文藝春秋)

 

なんと!
インド人は、インドを「インド」と呼ばないのか!
じゃあ、「インド」って地名は、誰がつけたのか?

 

インドは、インダス川のサンスクリット語名sindhu「水、大河」に由来する。ペルシア語のHinduを経て、アレクサンドロス大王の遠征でギリシア語Indosとなった。(同書)

 

ギリシャから遠征して、インドまでたどり着いたアレクサンドロス大王がつけたという。
ということで、「インド」はギリシア語ね。
これが、その瞬間になる。

 

私としは以下、インドス川から東の地域をインドと呼び、そこに住む人びとをインド人と呼ぶことにしよう。
(アレクサンドロス大王東征記 下 岩波文庫)

 

でも、現在のインド人は「インディア」と英語で呼ぶことが多いらしい。
「バーラト」でもいいけど、それは公式の名称で、ちょっと古い感じがするという。

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インドを代表する住民「野良牛さん」
が、実際には野良牛ではない。

 

タージマハルは、「インド・イスラーム文化の代表建築物」と呼ばれている。
インド文化とイスラーム文化が合わさった建築物になる。

 

でも、「インド・イスラーム文化の融合」というなら、料理もそうだ。
タンドールチキンはインドにはなかったイスラーム料理だし、「ナン」はペルシャ語になる

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「画像提供 どっかのカレー屋さん」

 

もともと、インドの大地にいたのは、ヒンドゥー教徒たちだったけど、タージマハルを建てた時代のインドを支配していたのは、「ムガル帝国」というイスラームの帝国になる。
このムガル帝国の名は、「モンゴル帝国」から来ている。

 

ムガル帝国1526~1858
インドのほぼ全域を支配したイスラーム王朝。名称はモンゴル帝国に由来する。バーブルにより建国され、第3代アクバルから第6代のアウラングゼーブまでが最盛期であった。
(世界史用語集 山川出版)

 

タージマハルは、デリーから車で3、4時間ほどのところの「アグラー」という都市にある。
このアグラーという都市名は、ここに出てくるムガル帝国3代目の皇帝「アクバル」の名からつけられたという。

 

アクバルが建てさせ、自らの名を取ってアクバラーバードと名付けた(ムガル帝国誌 ベルニエ)

 

この「アクバラーバード」が、現在の「アグラー」になったらしい。

デリーの右下に「アーグラ」がある。
電車を使えば、日帰りで行くことができる。

 

ちなみに、さっきの記述で出てきた6代目皇帝「アウラングゼーブ」は、タージマハルを築いたシャージャハーンの息子になる。
このアウラングゼーブのときまで、ムガル帝国が最も栄えていて、後は、だんだんと弱くなっていく。
これには、タージマハル建設で、お金を使い過ぎたことが原因の一つとされる。

 

そして、1858年にインド大反乱が起きるも、これが失敗してムガル帝国は滅亡することになる。
その後は、イギリスのヴィクトリア女王がインド皇帝となった。
南アフリカにある「ヴィクトリア・フォール」という滝も、この女王に由来する。

 

デリーに都が移るまで、アグラーはムガル帝国の首都であった。
このことから、インドの「京都(古都)」と呼ばれることがある。

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「インドの京都」の名に恥じないアグラーの
落ち着いて秩序ある街並み

 

次回は、タージマハルの建物について。

 

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「インド・カテゴリー」の目次 ②

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ピラミッドを知りましょか?初めて見た日本人・目的・名前の由来とか。

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ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。