新しい見方や価値観との出会い方 ⑥ 天皇と中国皇帝との違いから


 

この前、中国人と話をしていたとき、中国の皇帝と日本の天皇は、まるで違う存在であることに気づいて、驚いた。

 

中国人と話をしていると、ときどき、「旧中国」と「新中国」という言葉を聞く。
いろいろな中国人に聞くと、この違いは、おおよそ、次のようなものらしい。
新中国とは、「中華人民共和国」が成立した1949年から現在の中国のことで、旧中国とは「中華人民共和国」が成立する前までの中国のことをさす。

 

その古い中国(旧中国)の象徴が、「皇帝」という存在になる。
皇帝という絶大な権力者とその周りのごく一部の人間だけが良い思いをするような世界。
他の何億という中国の民衆は、支配されて苦しい生活をさせられるという社会構造が、「旧中国」なのだという。

 

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中国の皇帝は、日本でいえば天皇にあたる。
どちらも、英語にしたら「エンペラー」になる。
でも、中国人の話を聞いていると、皇帝と天皇とでは、役割がかなり違っている。

 

ボクが友だちの中国人に明治維新のことを話していたとき、彼女がボクにこう質問をした。
「何で、日本は明治維新のときに、天皇をなくさなかったのですか?」
この質問には、すぐに答えられなかった。
というか、質問の意味が分からなかった。
むしろ、「何で、天皇を廃止する必要があったのか」が分からない。

 

彼女は、こう言う。
「中国では、辛亥革命ときに皇帝を廃止しましたけどね」

「辛亥革命」
1911~1912 清朝を倒し、中華民国を樹立した革命
(世界石用語集 山川出版)

12年1月、孫文を臨時大総統とする中華民国の建国が宣言され、2月、袁世凱の活動により清朝皇帝が退位した(同書)

 

19世紀後半になると、イギリスやフランスといった西洋の国々が中国に現われるようになった。
そして、中国が西洋の国に取られてしまうのではないか、という危機感をもつ中国人がたくさんあらわれた。

 

この辺の事情は、日本も同じ。
西欧諸国のアジア進出(侵略)により、日本人も、「日本が外国に奪われてしまうのではないか?植民地になってしまうのではないか?」といった危機感を募らせていた。

 

こうした情勢下で、日本も中国も、国を失わないために、国を大きく変える必要に迫られた。
西洋の国に対抗するために、国を近代化しなければいけなかった。

 

しかし、日中は、ここからが違った。
日本は、明治維新の大改革が成功したのだけれど、中国は、国内の改革がうまくいかなかった。

 

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中国では、国を変えるために、「洋務運動(ようむうんどう)」や「変法(へんぽう)」という改革運動を試みた。
これらの運動は、日本でいえば、明治時代の「富国強兵運動」や「憲法を制定し立憲君主国となった」という動きに近い。

 

でも、中国のこの二つの改革運動は、失敗してしまう。
このとき「変法」の運動の失敗には、いろいろな原因がある。
でも、それを「皇帝がいるから、ダメなんだ」ということに求める中国人が出てくる。

 

変法のときに、日本のように中国にも憲法を導入しようとした。
しかし、そうすると、皇帝も憲法を守らなければならず、今までのように強大な権力で国を好きなように動かすことができなくなる。

 

そこで、変法を行うと、「それでは皇帝の力が小さくなってしまう」と、西太后(せいたいごう)らの反発を招いてしまった。
そして、西太后らによる「戊戌(ぼじゅつ)の政変」というクーデターが起きたことで、変法は失敗に終わってしまう。

 

国を失う危険が迫りつつある中で、「誰が中国の支配者か?」ということで争うというのは、もう末期的だ。
沈みゆく船で、「誰が船長か?」でケンカするようなもの。
中国の国内がもめようが、西欧諸国が中国に迫りつつあるという現状はまったく変わらない。
西洋に中国を奪われないためには、中国はどうしても変わらなければいけなかった。

 

この変法の失敗から、「皇帝がいたままでは、中国を変えることができない」と考える人たちがたくさん出てくるようになった。
彼らは、皇帝を変えるのではなくて、「皇帝が人々を支配する」という中国の政治体制そのものを変えなければいけない、と考えるようになった。

 

そして、孫文が1911年に辛亥(しんがい)革命を起こし、これを実行した。
これにより、中国最後の皇帝溥儀(ふぎ)が退位することで、中国から皇帝がいなくなった。

 

このことは、紀元前221年に秦の始皇帝が「皇帝」を名乗ってから、約2100年にわたって中国で続けられていた「皇帝による支配」が終わったことを意味する。

しかし、そこまでしなければ、中国は変わることができなかった、ということでもある。

 

この辺の事情が、日本では正反対になる。
中国と同じく、近代化を目指した日本は、徳川幕府を倒したが天皇をなくすことはなかった。
そんな議論すらなかっただろう。
天皇をなくすどころか、1867年には「大政奉還」が出されて、天皇が政治の権利を回復している。

 

 

「大政奉還」
15代将軍慶喜が朝廷へ政権を返上したこと。1867年10月、土佐・安芸両藩が土佐前藩主山内豊信を通して慶喜に大政奉還を建白。朝幕二元体制に限界を感じていた慶喜は、10月14日、これを受け入れて上表した(日本史用語集 山川出版)

 

政治の権利が天皇に戻ってくることは、1192(1185)年に、源頼朝によって政治の権利を将軍に奪われてから、約700年ぶりのことになる。

 

ボクは今まで、明治維新のときに天皇がいたことはあまりに当たり前のことで、「何でこのとき、天皇を廃止しなかったのか?」などと考えたこともなかった。
天皇をなくすどころではない。
日本では「王政復古の大号令」を出して、天皇が中心となる昔の政治体制を復活させていることから、明治の国内改革を始めている。

 

この日本の流れは中国とは正反対だ。
中国では、辛亥革命で皇帝をなくして別の政治体制にしなければ、国の改革を始められなかった。
皇帝をなくさないと、中国は変えられなかったのだ。
こうした中国人の視点から明治維新を見たら、天皇を残したまま国の近代化を成しとげた日本が不思議に見えても、不自然なことではない。

 

聖書には、「新しい酒を古い革袋に入れる」という言葉がある。

「新しい内容を古い形式に盛り込む。多くの内容も形式ともに生きないことをいう(大辞泉)」

「新しい酒は、新しい革袋に入れなければいけないように、新しい国づくりは、新しい政治制度で行なわなければいけない」、と考えるこは、自然な考え方だ。

 

しかし、日本は「古い革袋(政治体制)」のままで、国内の改革を成功させ、憲法を制定してアジアで初めての近代国家にもなった。

中国人の彼女の認識では、「中国では、近代化のためには、皇帝は取り除かなければいけない邪魔者であった」というものであった。

 

こうした認識をしていれば、日本では、天皇がいたにもかかわらず、近代化に成功したことは一見、奇妙なことになる。
実際には、明治天皇がいたからこそ、明治の近代化が可能だったわけで、天皇がいなかったら、明治の成功は考えられない。

 

結局、天皇も皇帝も英語にしたら共に「エンペラー」にはなるけれど、役割はまったく違うということなのだろう。

 

ボクも、明治維新や辛亥革命について、簡単には知ってはいた。
けれど、その国の変革期において、「中国では皇帝を廃止したのに、なぜ、日本では天皇をそのままにしたのか?」といった話を、今まで聞いたことはなく、彼女の見方は興味深いものに感じた。
天皇について、アメリカ人やイギリス人に聞いても、それぞれの立場や考え方から答えてくれるから、自分が知らなかったような価値観や見方を知ることができる。
「こんな見方や考え方があるのだな」と、感心することもある。

 

外国に行ったり外国人と交流するのなら、日本人にないような価値観や見方に触れてみたいと思う人は多いと思う。
外国を歩いたり、外国人と話をしたりするだけでも、カルチャーギャップはあるし、価値観の違いも感じる。

 

ただ、ボクの経験から言わせてもらえると、日本や日本人のことなど、「日本的なもの」を外国人に話すと、それに対する彼らの反応から、自分とは違った価値観や見方などに触れられることが多い。

 

もちろん、外国人にいつも、こんな固い話をしていることはない。
富士急ハイランドに行ってジェットコースターで叫んだり、イチゴ狩りをしたりすることもある。
時間でいえば、こうして遊んでいることの方が多い。

 

でも、たまに相手からの日本の疑問に答えたり、こちらから日本や日本人について話したりすることで、交流の密度は濃くなったし、いろいろな発見ができて楽しくなったと感じる。
これが、前にボクがみなさんに、「『日本』や『日本人らしさ』を外国人に説明することが大切ですよ」とおすすめした理由になる。

 

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投稿者: kokontouzai

今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。

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