【無名偉人】ヘレン・ケラーを感動させた、中村久子の生き方

 

そうか、きょう3月8日は「国際女性デー」か。
1904年のこの日、ニューヨークで起きた婦人参政権を求めるデモにちなんで、国連が3月8日を「International Women’s Day」にした。
女性の権利を主張するのはいいとしても、料理系ユーチューバーがカレーレシピで「男性なら1人前、女性なら2人前分あります」と言うと、「男女の違いで量を決めるな!」「女性差別だ!」と炎上するいまの日本はチョット行き過ぎ感。
さてそれは置いといて、「国際女性デー」にちなんで今回は中村 久子(ひさこ)というスゴイ人を紹介しよう。

 

先月、テレビ番組の『Japan’s Got Talent』で、生まれつき右手の指が無いギタリストの山田元気さんが登場した。
「僕のギタープレイの特徴は、指がない分骨が当たるので太い音がでること」と語る山田さんの演奏を聴いて、審査員のGACKTさんも「右手はハンデではなくて与えられたギフト」と拍手をおくる。

そんな山田元気さんの演奏がこちら。

 

 

中村 久子(ひさこ)は1897(明治30)年に、いまの岐阜県高山市に生まれた。
そこは雪深くおっそろしいほど寒いところで、久子が2歳になると左足に凍傷ができ、それが左手、右手、右足と移っていって、高熱と激しい痛みに襲われたが久子は何とか耐え抜いた。
でも、それが原因で壊死(えし:細胞が死滅すること)となり、そままでは体全体に広がって死ぬ危険があったため、考え抜いた家族は久子の両手・両足の切断を決める。
この出来事が彼女の運命を決定づけた。

不幸は友人を連れてやってくるというが、7歳の時に父が病気で亡くなる。
その後、祖母と母によって育てられた久子は編み物ができるようになった。
大正時代に両手両足を失った人が生きていくという、令和の日本人には想像できない困難な状態でも久子は自立を決意する。

その心意気はよし!
でも、具体的にどんな仕事ができるのか?
彼女は見世物小屋で「だるま娘」として自身を“見世物”にして、腕(たぶん肘から先)を失った体で、裁縫や編み物をする芸を客に見せて生活費をかせぐ。
(このへんの生き方は山田元気さんに通じる。)
そんなポジティブな姿勢や考え方がステキな出会いを引き寄せたらしく、久子は結婚して子供を授かった。
夫に先立たれた後も、久子は必死に働いて子供を育てる。

「恩恵にすがって生きれば甘えから抜け出せない。一人で生きていかなければ」と決意した障害者の久子は、実際に、国から保障を受けることは一度もなかった。

1937(昭和12)年に、1歳のころ病気で目・耳・口の機能を失い、世界的に有名な政治活動家で講演家になったヘレン・ケラーが来日する。
「三重苦の聖女」と呼ばれた彼女は久子と会って、口と指の無い腕で使って作った日本人形をプレゼントされると、「私より不幸な人、私より偉大な人」と感動した。

 

ヘレン・ケラーのために作った人形を持つ久子

 

晩年は講演活動などを行って日本中の障害者に勇気を与え、健常者を啓蒙した久子はこんな話をする。

「人の命とはつくづく不思議なもの。確かなことは自分で生きているのではない。生かされているのだということです。どんなところにも必ず生かされていく道がある。すなわち人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はないのだ。」

この女性が教科書で取り上げられたという話は聞いたことが無いし、いまの日本では“無名”と言っていいほど知名度は低いが、中村久子は間違く偉人だ。
「男性なら1人前、女性なら2人前」に怒り出す人とは生きてるステージが違う。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。