ヘレン・ケラーという人は知っていた。
忠犬ハチ公という犬も知っていた。
でも、「ヘレン・ケラーが忠犬ハチ公のファンだった」という話は知らなんだ。
ということで今回は、忠犬ハチ公とヘレン・ケラー、さらにその関係について知っていきましょう。
ハチ
ハチは1923年(大正12年)に生まれて、1935年(昭和10年)に亡くなった。
日本で一番有名な犬、と言っても間違いじゃない。
ハチは東大(東京帝国大学)の教授をしていた上野英三郎氏のペットで、上野氏が出かけるときには、渋谷駅までよく一緒に行っていた。
でもあるとき、上野氏は急死してしまう。
それを知ったハチは、わき目もふらず号泣したという。
ということはなく、その後もハチは渋谷駅前で上野氏を待ち続けていた。
このハチの姿が新聞で紹介されて、人々の心を打つ。
死んだご主人様を待ち続ける姿に、日本人が涙しないわけがない。
その姿から、「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった。
ハチの生涯は、「Hachi Dog’s Tale(HACHI 約束の犬)」というハリウッド映画になっている。
日本映画のリメイクだけどね。
1980年代に来日したヴィッキーというプロデューサーが、ハチ公の話を知って感銘を受けた。
そこから映画製作へとつながっていく。
ウィキペディアによると、主演したリチャード・ギアさんはこんな状態。
大の愛犬家である主演のリチャード・ギアは、この映画の脚本を読んだ際、涙が止まらなかったという。
リチャード・ギアさんの涙腺を崩壊させた犬
ヘレン・ケラーについては言うまでもないだろう。
お笑い芸人・西川きよしの奥さんで、タレントとしても活躍している・・・。
おっとそれは西川ヘレンさんだった。
でも、西川ヘレンさんとヘレン・ケラーにはこんなつながりがある。
ヘレンという名は、本人によれば親が敬愛していたヘレン・ケラーに由来する、とのこと
「西川ヘレン」
ヘレン・ケラー(ウィキペディアから)
ヘレン・ケラー(1880年 – 1968年)は、アメリカの教育家で社会福祉活動家だ。
1882年、1歳のときに病気で聴力と視力、そして言葉を失った。
これ以降、ヘレンの人生から音と光が消えてしまう。
彼女は言葉を話すことができず、身振り手振りでまわりの人に意思を伝えていた。
光を失ったヘレンは、サリヴァンという光を手に入れる。
20歳の家庭教師サリヴァンが指文字や言葉を教えたことで、ヘレンは他人と会話をすることができるようになった。
その後ヘレンは障害をかかえながらも、その経験をもとに「わたしの生涯」という本を書いたり、精力的に講演活動をおこなったりして、多くの人に障害者の存在を紹介する。
「障害をかかえながら」というより、自身が障害者だったからこそ、障害者のために生きようと決意したのだろう。
ヘレン・ケラーはアメリカ政府から、もっとも名誉とされる「自由勲章」を授与された。
彼女は教育だけではなくて、婦人参政権運動や公民権運動といった政治活動にも力を入れていた。
人生には、「なんで自分がこんなヒドイ目にあうんだ!?」ということがある。
自分に起きた悲劇や困難を運命ととらえ、そこから自分の使命や生きる目的を見い出した人は強い。
ヘレン・ケラー(左、8歳のころ)とサリヴァン(ウィキペディアから)。
世界各地に足を運んで、ヘレン・ケラーは障害者について話をしていた。
その中で日本を訪れている。
そして、忠犬ハチ公の話を耳にした。
時事通信社の記事(2018/01/25)にそのことが書いてある。
東京・渋谷駅で帰らぬ主人を待ち続けたハチ公の物語に感銘を受け、1937年の初来日の際には「秋田犬が欲しい」と関係者に頼んだ記録が残っている。
ヘレン・ケラーはハチ公ファン=来日時「秋田犬欲しい」
ヘレンはハチ公のファンになって、秋田犬(ハチは秋田犬)をアメリカに連れて帰っている。
でもこの秋田犬は、次の年に事故で死んでしまった。
「ヘレン・ケラーが悲しんでいる」と知った日本側は、別の秋田犬を贈っている。
くわしいことは外務省のホームページに書いてありまっせ。
まー、ここまではいい話なんだけど、ヘレン・ケラーは横浜でサイフを盗まれてしまった。
でも、それを知った人たちから寄付金が寄せられて、結果的には、盗まれた額の10倍以上になったという。
忠犬ハチ公の像に触れるヘレン・ケラー
秋田犬のファンになった海外の有名人はヘレン・ケラーだけじゃない。
ロシアのプーチン大統領も秋田犬が大好きだ。
日本から贈られた「ゆめ」という秋田犬を連れて、記者会見の場に現れたこともある。
くわしいことは、CNNの記事(2016.12.14)を見てください。
人種と民族の違い。黒人の日本人(民族)がいて「ふつう」の時代
日本人の苦手な人種の話①外国人との会話で「黒人」をどう言うの?
コメントを残す