戦争と障害:パラリンピックの歴史や由来、マークの意味って?

 

日本は金メダル13個、銀メダル15、 そして銅メダルを23個の計51個を獲得し、きのうの閉会式で終了したパラリンピック。
せっかくなんで、その由来や歴史なんかについて書いていきましょうかね。

 

〇歴史

障害者によるこのスポーツの祭典の始まりは、実は戦争と深い関係があった。
1948年7月28日、ロンドンオリンピックの開会式と同じ日に、ロンドン郊外の病院(ストーク・マンデビル病院)で16人の車イスに乗った戦傷者によるアーチェリーの大会が開かれた。
「手術よりスポーツを」の理念で、彼らのリハビリテーションとして始められたこの小さなイベントが現在のパラリンピックの起源になったという。

ストーク・マンデビル病院には当時、第二次世界大戦で脊髄(せきずい)を損傷した軍人が入院していて、リハビリを専門とする科があった。
そこで先ほどの入院患者による競技大会が毎年おこなわれるようになり、1952年には「国際ストーク・マンデビル競技大会」という国際イベントに発展し、1960年のローマ五輪で第9回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された。
これが現在、第1回パラリンピックと呼ばれているものだ。

もともとは第二次世界大戦の戦傷者によるスポーツイベントだったから、戦争とパラリンピックには深い関係がある。
それは現代でも同じ。
2001年にアメリカで「911テロ(アメリカ同時多発テロ)」が起こり、アメリカの「テロとの戦い」が始まってから、パラリンピックでは元軍人の選手が増えてきたのだから。

 

これがパラリンピックのシンボルマーク

赤・青・緑の3色はそれぞれ「心・肉体・魂」を表している。
以前は青・赤・黒・緑・黄の5色だったのが、オリンピックと区別するためにこの3色へ変更された。
これで緑が白だったら、中国思想の五行と同じですね。
3本の線は「スリー・アギトス」と呼ばれ、この曲線は選手の動きをイメージしている。
*アギトとはラテン語で「私は動く」の意。

 

〇由来

なぜ障害者による国際スポーツ大会は、パラリンピックといわれるのか?
「ンピック」はオリンピックのことで、焦点は「パラ」だ。

まず国際ストーク・マンデビル競技大会を「パラプレジア(Paraplegia:対まひ者)のオリンピック」と考えて、「パラリンピック(Paralympic)」と前回の東京五輪のときに呼んだ。
だからこれは日本で名付けられた愛称。

でもその後、大会が大きくなるにつれて、いろいろな障害のある選手が参加するようになり、「対まひ者のオリンピック」のパラリンピックでは現実と合わなくなってきた。
そこで言葉はそのまま、解釈だけを変えることにする。
「もう一つのオリンピック」という意味で、ギリシア語のパラ(沿う、並行)とオリンピックを結びつけた造語と再解釈し、1988年のソウル大会から「パラリンピック」が正式名称となっていまに至る。
ちなみにこのパラは英語のパラレル(平行)と同じ語源だ。

 

ということでパラリンピックの歴史や由来、シンボルマークの意味について、おわかりいただけただろうか。

参照:「日本パラリンピック委員会」のホームページ

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。