【仏教ちがい】スリランカ人が日本人僧に怒りを覚えたワケ

 

日本人とスリランカ人の共通点には、島国に住んでいてお米を主食としているところがある。
価値観や考え方の面でいうとどっちも仏教の影響が強いから、全国のどこに行ってもお寺を見ることができる。
海外に住んでいても、仏さまに手を合わせる気持ちに変わりはない。
ということで日本に住んでいる知人のスリランカ人は、日本の文化を知る、気晴らしの旅行、功徳を積むといったことを目的に時間があるとよくお寺へ参拝に出かける。
その話を聞いていたら、以前あるお寺で、あってはいけないモノを目にして衝撃と怒りを覚えたという。
それは何なのか?

 

そのことを書く前に、スリランカ人がショックを受けた前提となる仏教の基本を確認しておこう。

世界の仏教は大きく分けると日本、韓国、中国などの「大乗仏教」とスリランカ、タイ、カンボジアなどの「上座部仏教」の2つがある。
それぞれの国にいろいろな考え方があるとしても、どこの国や地域でも、仏教徒は次の「五戒(ごかい)」を守らないといけない点は同じだ。

不殺生戒(ふせっしょうかい):生き物を殺すな。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい):他人のものを盗むな。
不邪婬戒(ふじゃいんかい):夫婦以外の人とHすんな。
不妄語戒(ふもうごかい):嘘をつくな。
不飲酒戒(ふおんじゅかい):アルコールはダメだからな。

この中でも「不殺生戒」が仏教では特に重視されている。
日本の歴史ではこの教えに基づいて、7世紀に天武天皇が牛・馬・犬・猿・鶏を食べることを禁じた「肉食禁止令」をだした。

 

仏教徒としてそんなの常識。
そう考えていた知人のスリランカ人が静岡県のあるお寺へ行った時のこと。
入り口で靴を脱いで、建物の中へ入って畳敷きの部屋を歩いていると、まるで旅館にいるようでスリランカのお寺とはまったく雰囲気が違う。
でも、仏像が安置されていたり、お供え物があるところは母国と変わらない。
そんなお寺の中を歩いていると、部屋の隅っこに、見慣れた小さな箱が置いてあるのが目に入る。
「まさか‥。いやそれはないだろう」 と半信半疑でよく見ると、それは間違いなく、自分がアパートの部屋に設置した「ごきぶりホイホイ」だった。

自分のような一般市民の仏教徒なら、たまに日本人の友人も来るし、あのおぞましい生き物を除去するのは仕方ない。
でもスリランカの仏教僧なら、害虫であってもその生命は尊重しないといけないのに、このお寺ではそれを奪うためのアイテムが当たり前のように置いてある。
ここのお坊さんは不殺生戒を破って、その姿を信者に見せることに何のためらいも感じていないらしい。
そう言われてみれば、

「あれはダメですよ~。ありがたみが吹っ飛んで、そこへ来て祈った意味がなくなるじゃないですか」

と知人が言うのも納得。
あまりに俗な商品で仏教の戒律にも反していて、お寺にとってはかなり場違いだから、彼のような真面目な仏教徒からすると謙虚な気持ちがすぐに消えてしまうのは理解できる。
逆に考えると、肉フェスの会場へ行ったら、肉食反対のデモがあって動物の死骸の写真を見せられるようなものか。
やる気が一気に失せる。

これは仏教のお寺として間違っていると思った彼が、知り合いの日本人に聞いてみると、

「いやいやいや、ゴキブリが出るようなお寺なんて行きたくないですよ。そんな評判がたったら、お寺の経営も危ない。生き物を殺しちゃいけないのは分かりますけど、やっぱり来てくれる人のことを考えたら、ホイホイを置くのはアリです」

と否定された。
それで彼は、この国では仏教寺院であっても不殺生戒より、カスタマーファースト(顧客第一主義)が優先されるのだと知る。
「ホイホイのあるお寺より、ゴキブリが出るお寺のほうがいいですよ」というスリランカ人の意見は、たしかに仏教としては正しいのだろうけど、日本人の共感を呼ぶことはない。
そんな知人の怒りに触れて、スリランカ旅行で日本語ガイドから聞いた話を思い出す。

 

スリランカの正月では仏さまへのお供え物はマスト。

 

そのガイドは以前、スリランカの仏教を学びに、日本からやってきたお坊さんの一行を案内したことがある。
ある朝、ホテルのロビーに集合した時、その中の1人が元気のない顔をしているのが気になって、「どうかしましたか?」と聞くと、その坊さんはこんなことを言う。

「じつは昨晩、蚊がうるさくてあんまり眠れなかったんですよ。蚊取り線香を買いたいんで、今日のどこかでお店に寄ってくれますか?」

自分は僧ではないけれど、腕に蚊がとまったら「バチン!」とたたかないで、フッと息で吹き飛ばす。
そんなガイドはこのリクエストに言葉が無くなる。
スリランカの仏教を知るために日本からやって来たのに、そのいちばん大事な教えを破って、しかもまったく気づいていない。
「それは仏教僧としてどうなのでしょうか?」と言いそうになるも、まわりのお坊さんがニコニコ話をしているのを見ると、彼らにこの言葉はまったく問題ないらしい。それでこの場は日本人の価値観を受け入れて、「分かりました。見つけたら寄ります」とガイドは静かに言う。

 

仏教僧が蚊やゴキブリを殺すことは、スリランカ人的には認められないことかもしれない。
でも、害虫を野放しにすることは日本人の衛生観念が許さない。
(たぶん)参拝者のためにホイホイを置いたお寺や、最後は相手に合わせたガイドのようにお客さまは神様でもある。
仏教には、苦しみの根源で克服すべき煩悩として、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)「三毒」があるという。
この瞋恚は怒りの心で、これが人間にとっての毒になる。
知人のスリランカ人には、日本のお寺で怒りをコントロールする術(すべ)を学んで、少しでも悟りの境地へ近づいてほしい(テキトー)。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。