韓国と台湾では圧倒的に違う、日本や歴史への見方

 

同じ過去を持っているのに、日本人からすると「なんでこんなに?」と不思議に思うほど、現在の台湾と韓国の認識は違っている。

まずは台湾の歴史を見てみよう。
日本は1895年に日清戦争で勝利し、下関条約を結んで清から台湾を譲り受け、終戦の1945年まで統治した。
そのはじめは困難の連続で、たとえば先日の11月14日には、1907年に北埔(ほくふ)事件がおきている。
台湾の北西部・北埔で大規模な暴動が発生し、日本人の警察官や市民など57人が殺害された。
日本(台湾総督府)はこれに大きな衝撃を受け、山間部に住む原住民への対応を変えた。(理蕃政策
しかし、1930年には最大の抗日事件である霧社(むしゃ)事件が発生。
日本の統治に反感を持っていた原住民が襲撃をおこない、130人以上の日本人が殺された。
日本はすぐさま武力で鎮圧し、原住民に700人ほどの死者をだす。

次は韓国の歴史だ。
日本は先ほどの下関条約で、清に朝鮮の独立を認めさせた。
これによって朝鮮は自由になり、現在のソウルに独立門が建てられる。
しかし、1910年に日本へ併合され、朝鮮半島は終戦まで日本の一部になっていた。
この間、朝鮮でも抗日運動はあったけれど、北埔事件や霧社事件のような大規模なものは一度もなかった。

ということで、韓国と台湾は日本に統治された共通の歴史を持っている。
でも、現在では、韓国でその期間が「日帝強占期」、台湾では「日治時代」と呼ばれているように、まったく違う認識を持っている。
韓国では自国を被害者、日本を加害者と位置づけていて、統治時代を「暗黒期間」とする見方が一般的だ。
台湾の考え方はそうではなく、日本統治によって社会が近代化したと日治時代をポジティブに評価する意見もある。

 

北埔事件では、日本に味方する台湾原住民もいて、彼らは霧社事件をおこした原住民を攻撃している。

 

台南に「Hsu Hsu」という台湾人がいて、観光や日治時代の情報をSNSで発信している。
彼が最近、茨城県那珂(なか)市の市長をはじめとする一行が台南市を訪れたと報告してくれた。
那珂市と台南市は2024年に姉妹都市になる予定で、それについて意見交換をしたらしい。
「Hsu Hsu」さんによると、両市を結びつけたのは台南市にある飛虎将軍廟だ。

「神様となって地元の皆さんに祀られている元大日本帝国海軍航空隊杉浦茂峰少尉の出身地は水戸市ですが、母親の出身地の那珂市もこのきっかけで数年前から台南市と交流し始めました。」

飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう)は、日本で言うなら神社のような場所で、旧日本軍の軍人である杉浦茂峰(しげみね)が神として祀られている。
これが縁になって、杉浦の出身地である水戸市は台南市と姉妹都市関係を結んだ。
そして来年(明年)には、杉浦の母親が生まれた那珂市も同じように、台南市と“血縁関係”になることが台湾の新聞で報じられている。

 

 

一方、2年前の読売新聞には、こんな記事が載っていた。(2021/12/13)

慰安婦象徴の少女像が設置10年…官房長官「このまま放置できない」

2015年の日韓慰安婦合意で、ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像(韓国では少女像)については、韓国政府が「解決されるよう努力」すると約束した。
これは像の撤去を指す。
それにもかかわらず、像は1ミリも動かないから、このとき松野官房長官は「このまま放置することはできない」と強調した。
日本政府の立場は現在も同じで、「国と国の約束を守ることは国家間の関係の基本だ」と韓国政府に撤去を求めている。
でも、このところ尹(ユン)政権との間で日韓友好が進んでいて、日本をそれを優先しているから、自分からこの像の問題を提起する気配は見られない。

 

韓国側はこれを「平和の少女像」と呼ぶけれど、日本にとってはまったく違う。

西日本新聞の記事(2019/2/26)

「少女像」日韓の地域交流に影 姉妹都市に苦情相次ぐ、対応に苦慮

日韓合意で両政府が慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」で合意し、韓国の少女像は撤去されるはずだったのだけど、実際にはそれ以降、像が全国各地で建てられるようになった。

「国と国の約束を守ることは国家間の関係の基本」という考え方は国民も同じだから、日本では反韓感情が高まる。
そんな世論を背景に、松山市は「市民の理解が得られない」という理由で中学生を韓国へ派遣する計画を取りやめ、秩父市も職員の相互派遣を中止した。
このとき、韓国の都市と姉妹関係にあった日本の各都市が対応に頭を悩ませる。

ただ、上の記事の中で、国際政治を専門とする韓国の教授が、「少女像が各地に設置されていることを、全面的に正しいと思っている人はそれほど多くないはず」と話している。
かといって、像の設置に反対すると叩かれるから、韓国では、この動きを傍観する人が多かったらしい。
「韓国政府が問題をここまで放置したことは、やや無責任だと感じる」という教授の意見には賛成だ。

 

台湾では旧日本軍の軍人が神として祀られていて、それが縁になって、台南と姉妹都市関係になる日本の都市が増えている。
一方、韓国では少女像が各地に設置されたことで、日本の都市は友好交流ができなくなった。
このように、台湾と韓国は同じ日本統治の過去を持っていても、歴史や日本に対する認識は真逆と言っていいほど違う。
日本はそれによって台湾と仲良しになり、韓国とは、「このまま放置できない」や「市民の理解が得られない」という壁ができた。
かといって、日本がそれをどうこうできるわけじゃないから、傍観するしかない。
ただ、過去は変えられないとしても、現在と未来は教育しだいで変えられると思うのだけど。

 

飛虎将軍廟では一日に2回、杉浦の神像に「君が代」と日本海軍の軍歌の「海ゆかば」を聞かせている。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。