日本=ケンシロウ説④「秀才」の由来、新羅・長安と比べた日本

 

はじめの一言

「日本料理そのものが既に特別な一章を成すに足るものを持っている。料理は主として自然なままの状態である。栄養があって美味しい刺身のように生ではないにしても、常に明瞭、簡素、純粋の状態で饗されるがゆえに、ヨーロッパ人にとっては実に喜ばしく、驚きくべきもがあり(ブルーノ・タウト 昭和)」
「ニッポン 講談社学術文庫」

 

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今回の内容

・日本=ケンシロウ説
・「秀才」という言葉の由来って?
・日本人の「学習能力の高さ」
・新羅に比べて
・長安の文化に比べて

 

・「日本=ケンシロウ」説

北斗の拳のケンシロウの強さは、「学習能力」にある。

自分より強い人間と戦って経験値をつみ重ねていって自分も強くなる。
そんな「学習能力」の高さが強さの理由だった。

そんな北斗神拳の奥義に、「水影心(すいえいしん)」がある。
これは、一度戦った相手の技を身につけて自分のものにするというもの。
これも、ケンシロウのすぐれた学習能力をあらわしている。

 

日本の「強さ」の理由もこのケンシロウの強さの理由と同じ。

「相手の良さを身につけて、自分のものにする恐るべき学習能力」

ということで、「日本=ケンシロウ説」が成立する。
たぶん。

 

 

歴史上、日本の学習能力の高さをしめしたことは2つある。

1つ目は、奈良・平安時代に中国に学んで国を発展させ、律令国家にしたこと。

2つ目は、明治時代に西洋に学んで富国強兵を成功させ、近代国家(立憲国家)にしたこと。

2つとも北斗神拳の奥義「水影心(すいえいしん)」のように、外国の良いところを自分のものにしている。

 

・「秀才」という言葉の由来って?

日本が遣唐使をおくって中国からいろいろなことを学んでいた時代、同じように、新羅(韓国)も唐に留学生をおくってさまざまなことを学んでいた。

日本より近いせいもあるのか、留学生の数は日本よりも多い。

下は中国の中学生用の歴史教科書の記述。

隋朝と唐朝の初年、朝鮮半島の国家はみな中国と往来があった。7世紀後期、新羅と唐朝は頻繁に往来した。唐朝の外国人留学生では、新羅人が最も多かった。

(中国の入門歴史 明石書店)

 

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新羅の都「慶州」のお寺

 

同じ唐に学んでも、日本と新羅とでは「唐から何を受け入れたか?」ということが違う。

たとえば、新羅は日本が採用しなかった「科挙(かきょ)制」を取り入れている。

科挙《唐》

科目試験による官僚登用制度。隋の制度を継承したうえ、唐は科目として進士のほか秀才・明経などの諸科を設けた。

(世界史用語集 山川出版)

 

この科挙に受かれば、国の役人になることができる。
だから、今でいう「国家公務員試験」のようなもの。

 

ところで、上の「秀才」という文字を見て「あれ?」と思わなかった?

今の日本人が「頭がいい人」の意味で使う「秀才」という言葉は、ここから生まれたという。

秀才

2 中国で、科挙の試験科目の一。のち、科挙に応じる者および合格者をさすようになった。また、明・清時代には府・州・県学の在学生を称した。

3 律令制の官吏登用試験科目の一。また、その試験に合格した者。

(デジタル大辞泉)

 

新羅はこの科挙という試験制度を唐から取り入れている。

新羅は唐朝をまねて科挙制を採用して官吏を選抜し

(中国の入門歴史 明石書店)

 

「科挙を取り入れるか、取り入れないか?」という違いが、その後の日韓の歴史を大きく分けることになった。

 

遣唐使が学んでいた長安(今は西安)

 

・日本人の学習能力(新羅に比べて)

科挙では受け入れの違いはあったけど、日本も新羅と同じように唐から律令を学んでいる。

ただ日本と新羅の「学習能力の高さ」には、次のような違いがあった。

この時期の中国を中心とする東アジア諸国では共通して、律令に基づく国家統治体制が構築されていたといわれることもあるが、唐と同様の体系的法典を編纂・施行したことが実証されるのは日本だけである

(ウィキペディア)

 

日本との引き合いに出してしまって、新羅さんには本当に申し訳ない。

 

西安で食べた餃子
中国では水餃子が多い。

 

・日本人の学習能力(長安の文化に比べて)

以前の記事で、「京都は唐の都だった長安をモデルにしてつくられた」ということを書いた。

でも正直、「当時の日本の文化は、世界的な大都市だった長安には遠くおよばないだろう」と思っていた。

でも、どうやらそうではなかったらしい。

「戦後日本を代表する東洋史学者(ウィキペディア)」である宮崎定一氏は、唐の文化と奈良時代の日本文化とを比べてこう言っている。

奈良朝の文化はけっして田舎文化ではない。
もし大きさのうえで若干劣るとしても、その品質の点では当時の長安文化にくらべていちじるしい遜色はなかったに違いない。

違いないというのは、本場の長安文化はことごとく滅亡してなにも残っていないため、日本に残っている現物と比較しようにも方法がないからである。

ただし貴族文化の特質上、法隆寺を唐の長安のまん中に建て、正倉院の御物をそのまま唐の宮殿の中にならべても、他にひけをとることはけっしてなかったに違いない

(大唐帝国 宮崎定一)

 

「本場の長安文化はことごとく滅亡してなにも残っていない」という部分は、実際に西安(かつての長安)に行くとよく分かる。

かつての「長安」を感じるために西安に行ったけど、そこにあったのはただの中国の地方都市で古都の風情はハッキリ言ってない。

 

 

これは「朱全忠(しゅぜんちゅう)」が悪い。

904年に、朱全忠が長安にいた官僚や居住者を強制的に洛陽に移動させたために、長安が廃墟となってしまった。

未練を断つために、長安を徹底的に破壊し、壊した宮殿、邸宅の木材は渭水から東へ流しました。
大唐の長安はこのとき、地上からすがたを消したといってよいでしょう。
(中略)大雁塔や小雁塔だけが、壊しにくいだけの理由でそのままにされ、辛うじて現存しています。

(中国五千年 陳舜臣)

 

中国の歴史では激しい争いがたくさんあったため、古くからあるものが多く残ってはいない。

そのことを受けて、宮崎定一氏はこう書いている。

それを思うと、千何百年前の実物がそのまま残っている日本寺院や宝物は、なみだが出るほどありがたいものなのである。

(大唐帝国 宮崎定一)

 

これは自分が西安に行った感想。
古都「長安」の情緒じょうちょを感じたいのなら、西安ではなくて京都に行った方がいい。
中国は日本より長い歴史があるけれど、日本の方が歴史ある建築物がよく保存されている。

 

日本は建物の面で当時の中国とひけを取らなかったようだけど、「国力」という面ではどうしても唐にはかなわない。
「日本史研究 山川出版」には、「社会の発達の段階が、唐と日本では格段の差があった」とある。

でも、日本のはるか上のレベルのいた「先生(隋や唐)」に学んで国を大きく発展させたご先祖様には「すごい」の一言しかない。

この優れた学習能力を別のものに例えるなら、ケンシロウの「水影心」ぐらいしか思い浮かばない。

だから、やっぱり「日本=ケンシロウ説」は正しいのではないか?

 

隋の都だった洛陽の食堂

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。