インドで平和を考えた⑩「核は絶対ダメ、すぐにでもなくべき」VS外務省「そうでもないんじゃない?」

 

日本は島国で、長い間外国との交流が少なかったせいか、「日本の常識は世界の非常識」という言葉をよく耳にする。

しかし、「この日本の常識は、世界でも常識として通用するだろう」とボクが思っていたのが、核兵器についてのこんな考えだ。
「核兵器は平和の敵だ。すぐにでもなくすべきだ。」

しかし、これは国によっては必ずしもそうではない。
「いつかはなくしていくべきだが、今は平和と安全を守るために必要だ」、「国際社会で大国になるために必要だ」と考える国もある。
ここまでは前回までに述べてきた。

 

国によって歴史や地理的位置、価値観も異なるのだから、核兵器への認識も違って当然なのかもしれない。
「外国では、その国にとって何が正しいかは、その国人が考えて決めることだ。ボクが考えていたことが外国人の考えと違っていても、それは当然といえば当然だ

 

そう思っていたのだが、実は日本の外務省も、「核兵器はいらない、今すぐにでもなくすべきだ」というボクの考えよりは、これらの国と似た認識をしているらしい。

 

外務省のHPに「第63回国連総会『核兵器の全面的廃絶に向けた新たな決意』決議」というものがある。
そこでは、次のような文を見ること文を見ることができる。

核兵器のない平和で安全な世界を実現するために、すべての国が核兵器の全面的廃絶に向け、更なる実際的及び実効的措置をとる必要性を想起し、かかる措置をとる決意を新たにし

 

日本は国連総会で、「核のない平和な世界」を実現しようと、「すべての国から核兵器をなくしていこう」という決意を世界に示している。

日本が日本の主張をすることは自由だが、世界の国々がそれをどう受け止めるかはその国の自由で、実際にどう行動するのかもその国が決めることだ。

 

現実には、「日本の主張を尊重して、核をなくそう」と、国連の常任理事の米英仏中ロが率先して核兵器を手放そうとする動きはまったくない。

 

それどころが、「決意を新たにしている」日本の近くにある北朝鮮では、核開発の動きが進んでいるし、韓国でも「核武装するべきだ」という声が強くなっている。日本は、北朝鮮のこの動きに対して経済措置を行っているが、これがどれほど効果的かは分からない。
しかし、日本ができることといえば、ここまでだろう。

 

世界の核保有国に、核兵器を徐々になくしていくように「主張する」「新たな決意を示す」「経済制裁をする」といったこと以上に何かできるのだろうか?

それ以上踏み込んだことをしたら、「内政干渉」になって、その国から反発を受けてしまいかねない。現に、経済制裁については、北朝鮮から反発が起きている。

 

その点、イスラエルは違う。
イスラエルは、日本では絶対にあり得ないようなことをする。
例えば、1981年に実施した「バビロン作戦」という作戦行動がそれだ。

このとき、イラクが「平和利用のため」と主張して、原子力開発を進めていたのだが、イスラエルはイラクの言い分を信じず、その原子炉を戦闘機で空爆して破壊している。

イラクが核兵器を持つ危険性があるとして、イスラエルが『専制的自衛』目的を理由にイラクに先制攻撃を行ったものである(ウィキペディア)

 

このことは、以前、この記事でも書いた。

 

イスラエルの「嫌われる側の論理」③ ~恐怖と怯えからくる強さ~

日本が、周辺の国で核開発の動きがあっただけで、自衛隊機を送ってその施設を爆撃してしまうことなどできるはずがない。それを北朝鮮にしたら、どれほどの騒ぎになるのか想像もできない。

 

今まで言ってきたことと重なってしまう部分もあるが、日本は「核のない世界の実現」に向けて、このようなことも訴えている。これも、同じく外務省のHPにある。

核兵器が使用される危険性を最小化し、核兵安全保障政策における核兵器の役割を低減させる必要性を強調する

 

この外務省の文章にある「核兵器の役割」というものは、「核兵器をもっていることで、戦争を防ぐことができる」という役割のことだろう。要するに「核による抑止」のことだ。
これは、前にボクが話を聞いたインド人と同じで、「オレの国を攻撃したら、おまえの国に核を落とすぞ」ということを示すことで、他国が自分の国に手を出せない状況を作り出すことだ。

このことは、この記事で書いてきた。

キューバ危機とその後のデタント~平和について③~

 

日本政府が、その「役割を低減させる必要性を強調する」と言っているということは、現時点では、核兵器には「役割がある」「役に立っている」と、その有用性を認めていることになる。

 

日本は国内では、核兵器を否定して非核三原則をもっているものの、他国が核兵器の必要性を感じていて、それを保有していることは認めている。
認めるも何も、外国が核兵器を放棄するかどうかは、その国が決めることであって、日本にそんな権利も力もないのだから、当然といえば当然だ。

 

核兵器を「絶対ダメだ!」と、頭から否定することはなく、「『その役割を減らしていきましょう』と、他国に訴えることが大事だ」ということが、安全保障の専門家による現実的な認識なのだろう。

 

「核兵器は平和にとって絶対の敵だ。すぐにでもなくすべきだ!」と考えていたボクにとっては、日本が核兵器の役割を認めていることは意外だった。
また一人仲間を失った感じだ。
というか、自分の考えを勝手に「日本の考え」としていたこと自体、間違っていたのだけれど。

 

しかし、これならどうだろうか?

「平和の敵は、戦争(武力衝突)だ。戦争に『良い戦争』も『悪い戦争』もない。すべての戦争は悪であって、絶対にしてはならない」

ボクは戦争について、こうも考えていた。
これも、ボクが行った国では必ずしもそうではない。
それに、国連もこんな考えはしていない。

ボクの考えと国連の認識を比べるというのも、身のほど知らずではあるけれど、国連がこう考えていないということは、ボクにとってはまたもや意外なことだった。

それについては次回述べる。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。