キューバ危機とその後のデタント~平和について③~


 先のインド人の「核兵器をもつことが戦争開始を思いとどまらせる抑止(よくし)力になる」という言葉で、思い浮かんだのは、1962年の「キューバ危機」だ。
「核の抑止論」という考えが世界に広まったのは、この出来事がきっかけだろう。


「キューバ危機」

「米ソ間の戦争が危惧されるにいたった、キューバを巡る対立
(世界史用語集)」

 

 この用語集では、「対立」とさらりと書いているけど、実際には、本当に深刻な事態だった。

「世界中の人々が、核による第三次世界大戦の予測に恐怖しました
(アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書 村田薫)」

 

「第2次世界大戦以降、人類はこれほど危険な瞬間を生きたとはない(キューバの歴史 明石書房)」 

 

 このキューバ危機は、ソ連がキューバにミサイル基地を建設しようとしたことがきっかけで起きた。
キューバにミサイル基地が完成して、そこにソ連のミサイルが配備されれば、アメリカにとって一大事になる。

 それは、「アメリカの都市に核弾頭が打ち込むことができるミサイルを配備したこと(アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書 村田薫)」を意味し、「核ミサイルがいつ飛んでくるか分からない」という恐怖がアメリカ国民を襲うことになる。

 この事態は、先ほどの「アメリカにとって一大事」という表現では生ぬるく、アメリカという国家存亡の危機だ。当然、ケネディ大統領が、このソ連の動きを黙認するはずがない。

 このとき、アメリカが猛反発し、キューバにソ連のミサイルを運ばせないように、海上封鎖を行った。
結局、ソ連のフルシチョフ第一書記がキューバの基地建設を撤回することで、世界は、大戦争を免(まぬが)れることができた。 

 世界中の人たちが、ほっと胸をなで下ろしただろう。
キューバのカストロ首相を除けば。

 カストロは、核ミサイルをアメリカに打ち込むべきだとソ連に伝えていた。

「カストロは、フルシチョフがミサイルの撤去を決めたことをラジオで知って激怒し、鏡をたたき割って八つ当たりをした
(核時計零時1分前 NHK出版)」

 

 このときの米ソ首脳が抱えたストレスは想像もできない。
自分の判断一つで、世界を崩壊させる危険があったのだから、このキューバ危機の間は、アメリカのケネディ大統領もソ連のフルシチョフ第一書記も眠れない夜を過ごしたのだろう。

 

 「対立する両陣営が核武装していたという事実は、ケネディにさらなるストレスをかけた。アメリカの軍艦とソ連の軍艦が交戦といった小さな事件が、何千万という人々の死を招くかもしれない。その悪夢は、たえずケネディを苦しめた。ソ連の核弾頭がアメリカの都市に一発着弾しただけでも、南北戦争時の二倍にあたる五〇万人以上の犠牲者が出る
(核時計零時1分前 NHK出版)」

 

 これと同じ恐怖をソ連のフルシチョフも感じていたはずだ。

 皮肉なことに、この世界的な危機がきっかけとなり、米ソの関係は改善されることになった。両国の間で何かが起きたときには、米ソの両首脳が直接話をすることができるように、ホットラインが結ばれたのだ。

 そして、この後、核軍縮の流れが世界的に広まる。
1968年には「核拡散防止条約(NPT)」が結ばれ、「米・ソ・英・仏・中」以外の国が核兵器を持つことを禁止された。

 

 これら五国は、いずれも国際連合の常任理事国だ。
それ以外の国には「核保有を禁じる」というのは、自分たちを「特別扱い」しているようにも見えるが、仕方ないのだろう。

 世界的な核軍縮の流れはその後も続き、70年代のデタント(緊張緩和)に結びついた。

デタント

 

「1970年代の米ソ間で進められた核軍縮などの対立緩和(世界史用語集)」

 キューバ危機のときに、米ソ両国が核戦争を覚悟したことが、結果的に、核兵器がもつ恐ろしさを両国に実感させることになり、その後の世界的な核軍縮という動きにつながっている。

 本当に、歴史は何が起きるか分からない。

 「相手と本気でケンカしたことで、かえってその人と仲が良くなった」みたいな。


投稿者: kokontouzai

今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。

コメントを残す