戦前、日本は黄金期を迎えていたが、1921年のきょう11月12日におこなわれたワシントン会議から、国際社会において影響力を失っていく。そして、一度国は「滅亡」した。これからそんな歴史について書いていこう。
日本、世界五大国へ
日本は明治維新の成功により、アジア初の近代国家となり、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争に勝利したことで、欧米列強の見方は一変した。
アメリカの歴史学者ヘレン・ミアーズは、国際社会における日本の評価について次のように書いている。
日清戦争のあと、欧米はこの生徒の卒業を認定し、一八九九年に「不平等条約」最後の条項が書き改められた。
列強は特権を返上し、日本は高校卒業証書をいただいて大人の仲間入りをした。
そして日露戦争で、日本は大学卒業論文を見事に書き終える。「アメリカの鏡 (角川oneテーマ21) ヘレン・ミアーズ」
そしてこの後、第一次世界大戦で戦勝国となった日本は、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアとともに世界五大国の一国となった。
ワシントン会議
日本の勢いや栄光が頂点に達し、黄金期を迎えたのはおそらくこの時だろう。しかし、1921年のワシントン会議から、その地位を失っていく。
この会議は、アメリカが日本を狙い撃ちにしたようなものだった。
当時、世界的に軍事力をできるだけ均等にし、パワーバランスを保つことで平和が実現すると考えられていた。イギリスなどは戦後復興のために軍事費を削減する必要性を感じ、ワシントンで五大国が参加する海軍軍縮会議が開かれた。
結果からいうと、この会議によって、主力艦の保有比率がアメリカとイギリスが5、日本が3と決められた。
では、このワシントン会議がアメリカ・イギリス・日本に与えた影響をみていこう。
世界的大国となったアメリカ
第一次世界大戦でアメリカは連合国に大量の物資を供給し、大儲けした。また、アメリカは各国に金を貸し、戦後は戦勝国となって発言力を増し、イギリスやフランスを上回る経済大国となった。
1920年代、アメリカ社会は発展し、「永遠の繁栄」と表現された。
アメリカはワシントン会議を通じて、戦後の世界におけるリーダーシップを確立した。
戦後、自分と同じように連合国に戦争に必要な物資を提供し、大儲けした日本が邪魔になると考えた。出る杭は打たなければならない。
そのため、日本の軍事力を削減することを狙い、主力艦はアメリカ海軍の6割しか保有させないことに成功。これで、太平洋地域でのアメリカ海軍の優位性を確保することができた。
衰退する大英帝国
イギリスは大英帝国として、19世紀には世界で唯一の超大国という圧倒的な存在感を持っていた。しかし、第一次世界大戦で勝者となったものの、その国力は大きく消耗し、経済的な困難に直面した。
ワシントン会議で、イギリス全権のアーサー・バルフォアが「イギリスは世界最大の海軍国としての伝統的地位を放棄する」という声明を出したことから、イギリスの疲弊ぶりがうかがえる。
イギリスはこの会議を機に日英同盟を解消し、アメリカとの連携を重視するようになった。このころには、大英帝国の衰退がはじまったとみていい。
不満を高める日本
日本にとって、ワシントン会議は大きな試練だった。アメリカやイギリスと同じレベルの軍事的地位を確保することはできず、海軍の勢力拡大も不可能となり、計画変更を余儀なくされる。
これはアメリカの策略であることは明らかだっため、日本政府はアメリカへの敵対心を抱くようになった。また、国内ではワシントン条約を結んだ政府に対し、軍部の不満が高まっていく。
結論
第一次世界大戦とワシントン会議の結果、アメリカは世界秩序において圧倒的な影響力を手に入れ、イギリスはその海軍国家としての地位を失った。
そして日本は英米と対立し、その後それが深刻化していく。そして会議から10年後、太平洋地域における日本の利益を守るためにはこれしかないと判断し、1941年に真珠湾攻撃を仕掛けて戦争が始まった。
その結果は誰でも知っている。

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