1992年までヨーロッパに存在していたユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、世界的に見ても多様性にあふれる国で、それを表すこんなフレーズがある。
「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」
具体的に書くとこんな感じ。
7つの国境:イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、アルバニア
6つの共和国:スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア
5つの民族:スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人
4つの言語:スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語
3つの宗教:正教、カトリック、イスラム教
2つの文字:ラテン文字、キリル文字
1つの国家:ユーゴスラビア(連邦国家)
日本は反対で多様性はあまり無く、とても同質性の高い国だ。
国境は1つ(海岸線)で、国内にある共和国は、広島にある「お好み共和国」みたいなネタしかない。
民族は大和民族、アイヌ民族、琉球民族がいるけれど、まとめて日本民族と呼ぶことがあるから、これなら1つだ。
言語は日本語の一強で、アイヌ語は消滅の危機にある。
宗教は神仏混交だから、「日本教」として1つとカウントしよう。
文字はひらがな・カタカナ・漢字の3つで、国家は1つ。
もちろん、上の内容は考え方によって違いは出てくる。
日本政府は先住民をアイヌだけとしているが、国連は琉球民族も先住民としている。
また、ユネスコでは言語と方言を区別しないで、「言語」で統一しているから、その見方によると、日本には8つの言語があることになる。
(消滅の危機にある言語・方言)
とにかく世界的な視点に立つと、日本は人・言語・宗教がどこも「ほぼ同じ状態」で、多様性に富んでいたユーゴスラビアとは真逆なのだ。
きょう10月3日は、1929年に「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」が国名をユーゴスラビア王国に変更した日らしい。
この国は、国王の下にさまざまな民族の国民をまとめようとしたが、前身の「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」という国名からして、すでに分裂フラグは立っていた。
ユーゴスラビア王国は、1941年に国王が亡命したことで事実上消滅し、43年にユーゴスラビア連邦人民共和国が成立した。
この連邦国家はチトーという指導者の、それこそチート級のカリスマ性によって1つの国として統一されていた。
だから、彼が死ぬと、シンボルを失ったユーゴスラビアは一直線に崩壊へ向かう。
冷戦が終結した後、民族や宗教間の対立が激化し、もはや誰も収拾できないカオス状態になり、1991年についにユーゴスラビア紛争が始まった。
元々は同じ国民だったにもかかわらず、1995年には、第二次世界大戦後のヨーロッパで起きた最大の大量虐殺である「スレブレニツァの虐殺」が起きた。
圧倒的なカリスマだったチトー(1892年 – 1980年)
かつてのユーゴスラビアは、現在では6つの共和国が独立し、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、北マケドニアに分かれている。
2008年にセルビアから独立を発表したコソボは、国連に加盟していないものの、日本やアメリカなどから独立が認められている。コソボの立場はちょっと複雑だ。
ユーゴスラビアでは、民族や宗教の違いが原因となって紛争がぼっ発し、国内はバラバラに引き裂かれてしまった。
いっぽう、日本は島国だから、国の成り立ちや背景はまったく違う。
日本史でも対立や戦いは何度もあったけれど、ユーゴスラビア級の激しい分裂は一度も経験していない。
あえて言うなら、1868年の戊辰戦争の時期はあぶなかった。
薩摩、長州、土佐藩などの新政府軍と、旧幕府を中心とする軍が戦い、戊辰戦争は日本の近代史における最大の内戦となった。
この戦いのハイライトが江戸開城だ。
江戸城が攻撃される直前、勝海舟と西郷隆盛が話し合い、江戸城を新政府軍へ平和的に明け渡すことが決まった。
幕府側は戦わずして、降伏を決めたことになる。
もし、幕府側が江戸城に立てこもって、新政府軍と徹底的に戦っていたら?
江戸の町は破壊されて民間人に多くの死傷者が出て、どっちが勝ったとしても、大きなダメージは避けられない。
となると、日本の全体か一部が、ヨーロッパの植民地状態にされる可能性は十分あった。
勝海舟が江戸城の無血開城を支持したのは、何よりも日本国を優先したから。
おれが政権を奉還して、江戸城を引き払うように主張したのは、いわゆる国家主義から割り出したものさ。三百年来の根底があるからといったところで、時勢が許さなかったらどうなるものか。
かつまた都府(首都)というものは、天下の共有物であって、けっして一個人の私有物ではない。
江戸城引き払いのことについては、おれにこの論拠があるものだから、だれがなんといったって少しもかまわなかったさ
「氷川清話 (講談社学術文庫)」
戊辰戦争で新政府軍が掲げた錦の御旗(模写図)。
この旗の敵が賊軍になる。
日本にチトーはいなかったが、古代から続く天皇がいた。
勝海舟の言う「国家主義」や「天下の共有物」にも、天皇の存在が深くかかわっている。
新政府軍も旧幕府軍も互いに相手を敵と見なしていたが、天皇の家来という立場では同じだったから、どちらも朝敵にだけはなりたくなかった。
だから、新政府軍が天皇の支持を得て官軍になると、「賊軍」となった旧幕府軍は動揺し、戦意を失う者も出てきた。
この旗によって、各地の藩が続々と新政府軍の味方になり、戊辰戦争は終結に向かう。
国内が2つに分かれて徹底的に戦っていたら、どっちが勝ったとしても、結果的には日本国が敗北していたはず。
その後は明治天皇を中心にして、かつての敵同士がタッグを組んで、日本を近代国家へ導く。そして、日清・日露戦争に勝利し、日本は第一次世界大戦後に世界五大国の1つとなった。
このことは、同質性の高い国が持つ強みと言える。
多様性にあふれていて、一つの器に収まりきらなくなり、6つの共和国に分裂してしまったユーゴスラビアと日本では、国の成り立ちや歴史がまったく違うのだ。
スレブレニツァのような悲劇も日本にはない。
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