英独に支配されたタンザニアの歴史や認識を、韓国と比べてみた

先日、日本に住んでいるタンザニア人留学生(20代・男性)とガストに行って話をした。東アフリカに位置するタンザニアには悲しい歴史がある。1880年代にドイツに支配され、第一次世界大戦でドイツが負けると、今度はイギリスの植民地にされた。
彼と話していると、ボクの頭の中で、日本に併合された韓国の歴史と重なることが多かった。ということで、これから両国の歴史を比較しながら紹介していこうと思う。

 

 

ーー日本人が知らない間に知ってるスワヒリ語が「サファリ(safari)」。これは「旅行」って意味であってる?

そう。でもそれだけじゃなくて、「移動する」って意味もある。俺の親はヴィクトリア湖の近くの「ムワンザ」という都市に住んでいて、ダル・エス・サラームから1000キロぐらい離れている。そこへ行くことも「サファリ」だ。

ーーなるほど。帰省することも「サファリ」になるんだ。ところで、「ヴィクトリア湖」という名前を変える話はないの?

は? なんで、そんなことをする必要があるんだ?

ーーいや、インドやミャンマーではそんなことがあったから。
イギリスの植民地だったインドでは、独立後にイギリス時代に付けられた名称を嫌って、都市名がいくつも変更された。たとえば、英語の「ボンベイ」は現地の言葉の「ムンバイ」に変わり、同じように、マドラスがチェンナイ、カルカッタはコルカタとなった。
ミャンマーでも、イギリス時代のラングーンからヤンゴンへ変更した。

そうなんだ…。まったく知らなかった。

ーーヴィクトリア湖は、そこを見つけたイギリス人がヴィクトリア女王にちなんで付けた名前から、今のタンザニアでも、それを嫌って変更する動きがあるのかなと思った。

そんな話は知らない。ヴィクトリア湖はそのままでいいよ。誰もそんなことは気にしていない。

 

※他国に支配された「闇歴史」を除去する動きは世界的にあって、もっとも熱心にそれをしているのは韓国と思われる。
日本が韓国社会に残した建物や言葉などは「日帝残滓」と呼ばれ、それを精算する作業が今でもおこなわれている。残滓は「残りカス」という意味。
日本時代、おそらく明治天皇にちなんで付けられた「明治街」という地名は、独立後に「明洞」に変更された。
ちなみに、通貨単位の「ウォン」も日帝残滓のひとつ。

 

インド人だって英語を使っていて、タンザニアと同じく公用語になっている。彼らは、それを気にしないのか?

※日本のサイトでは、インドで英語は「準公用語」と説明しているものが多い。でも、英語版ウィキペディアの説明によると、英語は「official language(公用語)」とされている(Indian English)。

ーーむしろインド人はそれを強みにしている。
国内にはさまざまな言語があるから、英語が使えると生活がしやすくなるし、今はボーダーレスの時代だから、インド人にとって英語力は高性能の武器になる。たとえ植民地時代の負の遺産でも、役立つものは手放させないんじゃないの?

多民族国家のタンザニアの事情もそれと同じだ。植民地支配はもう過去の話だから、それは歴史として学んで未来に活かせばいい。現在のタンザニアに利益をもたらすなら、由来が何であっても使えるものは使うべだ。

ーーインド人も英語風の都市名は嫌うけど、英語は役立つから使っている。

だろ? 感覚や程度が違うだけでインド人もタンザニア人も同じだ。歴史に感情を混ぜてはいけない。そうすると国益を失ってしまう。

ーーそれは同感。インド人から、「原子爆弾を2発も落とされたのに、なんで今の日本人はアメリカが大好きなんだ?」って何度も聞かれた。つらい歴史でも、どこかで区切りをつけないと先に進めなくなる。

ムアンザの港や鉄道はドイツかイギリスが建設した。都市が発展するなら、ためらわずそれを使うべきだ。

 

※日本人の立場で言うときっと怒られてしまうが、韓国の人たちは「歴史に感情を混ぜてはいけない」ということが苦手。
先ほどの「日帝残滓」がその集合体で、どこまで取り除くかは主観によって違うから、韓国人の中でも意見が分かれる。
学校では「修学旅行」という言葉を日常的に使ったり、応援するときには「ファイティング」と言ったりする。しかし、それらは日本語に由来するから、「学校、教育、科学など、近代化後にできたほぼ全ての言葉が日帝残滓になる」と戸惑う校長もいた。

朝鮮日報の記事(2019/07/09)

京畿道教育庁「修学旅行やファイティングも日帝残滓」

 

エジプトを流れるナイル川はヴィクトリア湖を水源としている。

 

※日本人にとって超覚えやすいスワヒリ語に「マジ」がある。これは水のことだから、SNSに「マジでマジ?」(=本当に水?)とネタにする人もいた。

ーー高校生のころ、世界史の授業で習った「マジ・マジ反乱」が忘れられない。1905年にタンザニアでそんな反乱が発生して、ドイツ軍との戦闘や病気、飢えなどで7万人〜30万人が死亡した。
今のタンザニア人はこれを恨みに思わないの?

その前にちょっといいか? われわれタンザニア人にとってはあれは反乱ではなくて戦争だから、「マジ・マジ・ウォー」と呼ばれている。でも、海外であの出来事は「リベリオン(rebellion)」とされていて、ウィキペディアにも「Maji Maji Rebellion」という項目名がある。
その見方は否定しないが、タンザニア人の立場と違うことは理解してほしい。

ーー失礼した。昔、インド人にも同じ注意をされた。1857年に起きたイギリスに対する戦いを日本語では「インド大反乱」、英語では「Indian Rebellion」と呼んでいる。でも、インド人にとってあれは誇らしい「独立戦争」で、教科書にもそう書いてあるらしい。

「マジ・マジ・ウォー」については、人びとは独立を求めたわけではなくて、ドイツの過酷な政策に怒って戦いをはじめたわけだから、あれは独立戦争とは違う。当時の貧弱な武装でドイツ軍に勝てるわけがない。先ほど「戦争」と言ったけど、より正確に言えば「大量虐殺」だ。

ーー「マジ・マジ・ウォー」ではドイツは意図的に飢餓状態をつくり、戦闘行為より、餓死させられた人のほうが圧倒的に多かった。だから、あれは「虐殺」で、今のタンザニア人が恨みに思っても当然だと思う。

 

※以前、韓国の歴史教科書を読んでいたら、日本統治について「人類史上、最悪の植民地支配だった」といった表現があって驚いた。そんな主張をする韓国メディアもあるから、これは韓国では一般的な認識だろう。
しかし、現実は違う。
ヨーロッパ諸国はインドやアフリカで人権無視の統治をおこない、万単位の虐殺が何度もあった。韓国は日本に併合されて主権を失い、人びとは屈辱的で苦しい思いをしたことは事実でも、日本はヨーロッパのような残酷行為はしていない。しかし、韓国人の被害感情はきっとアフリカ人より強い。

 

日本時代に、釜山のビーチで海水浴をする市民。

 

ベルギー国王レオポルド2世に支配されていたコンゴでは、労働者がノルマを達成できなかった場合、罰として身内などの手足が切断された。
写真の父親は、ゴムの収穫が少なかったため、切り落とされた5歳の娘の手と足を見つめている。
「人類史上、最悪の植民地支配」とはこういう状態を指す。

控えめて言って最悪:ベルギー国王がコンゴ人に科した“罪と罰”

 

歴史と感情は分けて考えるべきだけど、その2つを完全に分離することは無理。マジ・マジ戦争のことを思うと、タンザニア人としてドイツへの憎しみや怒りをたしかに感じる。だからこそ、歴史に感情を混ぜないようにする努力をしないといけない。
でも、あれによってドイツは厳しい植民地政策を改めて、もっとタンザニア人に配慮した統治に変更したから、彼らの犠牲は無駄にはならなかった。

ーー過去は変えられなくても、違った見方や解釈をすることはできる。

そう。ドイツやイギリスに憎しみを感じても、それは一瞬だ。歴史を学ぶ目的は、特定の人や国に深い憎悪を持たせないためでもある。

ーーそれはアグリー、100%同感。

 

※1919年、朝鮮半島で日本の統治に対する抵抗運動が発生し、韓国では「三・一(独立)運動」と呼ばれている。当時、日本は「暴動」とみなしていたが、今では韓国側と同じ「三・一運動」と呼んでいる。
上のタンザニア人は国の内外で2つの名称があることを認めていたが、きっと韓国では違う。もし日本人が「三・一反乱」と呼んだら、韓国の人たちは「違う見方もある」と素直に受け入れることはなく、きっと引くほど反発する。

この三・一運動とマジ・マジ戦争には共通点がある。この出来事を受けて、日本は韓国統治の考え方を変え、朝鮮の人たちに自由や権利を認めるようになった。具体的には、憲兵警察制度を廃止して取り締まりをゆるめ、(無条件ではないが)集会や言論、出版の自由を認めた。

 

絞首刑に処される前に撮影されたマジ・マジ戦争に参加した人たち。首に鉄製の鎖が巻かれ、野生動物のような扱いを受けている。

 

 

アフリカ 「目次」 ①

アフリカ 「目次」 ②

【白人の責務】アフリカ・中東で直線の国境が多い悲しい理由

アフリカから貧困がなくない理由 「国に貧しさが必要だから」

旅行会社のツアーで出会うのはプロ少数民族。もはや忍者村

アフリカ人と黒魔術(呪術)①魔法の薬や水で”無敵”になれる!

【英雄ケニヤッタ】キリスト教徒の白人がアフリカでしたこと

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

コメント

コメントする

目次