【白人の責務】アフリカ・中東で直線の国境が多い悲しい理由

 

ほんじつ5月25日は「アフリカデー」やでー。
1963年のこの日、アフリカ各国が協力し、平和的に発展していこうとアフリカ統一機構(いまのアフリカ連合)を発足させた。

でこの反対、アフリカが大分裂し、のちの貧困や争いの原因となったのが20世紀のはじまる前後、帝国主義の時代にヨーロッパが行った「アフリカ分割」だ。
1880年代~1912年までの間、自国の利益のためにヨーロッパ各国がアフリカの土地や支配権を奪い合った。
結果、リベリアとエチオピアを除く全アフリカがベルギー、イギリス、フランスなどのヨーロッパ7か国(現EUの主要国メンバー)によって分割された。
なんというか、倒れた象に四方八方からオオカミが襲いかかるような。

さて、アフリカの地図を見てほしい。
アフリカには直線やそれっぽい国境がたくさんある。
その理由はなんだろう?

 

 

答えは、現地の人たちが話し合って適当に直線を引いたから。
アフリカは広大で人がごみごみしてないから、わかりやすく無人の野に直線を引いたわけだ。

という単純な理由ではない。
アフリカの国境で直線が多いのは、帝国主義時代の絶対的な強者だったヨーロッパ列強が話し合い、アフリカの地図に引いた線がそのまま現実の国境になったからだ。

タンザニアとケニア、エジプトとリビア、エジプトとスーダンなどアフリカにあるまっすぐな国境線は、現地に住む民族や宗教などに関係なく、ヨーロッパの国が自分たちの都合や利益によって線を引いた結果。
これがのちの貧困や民族紛争の原因になった。

「みんなで団結して発展しよー!」「おー!」というアフリカ連合の理念の真逆が、ヨーロッパによるアフリカ分割だ。

 

上の地図を見るとイエメン・オマーン・サウジアラビアや、シリア・イラク・ヨルダンなど中東でも直線の国境線が多い。
理由は言うまでもなく、弱肉強食の時代、これらの国はヨーロッパの肉食獣に食べられるだけの存在だったから。
アフリカや中東の地図を見ていまのヨーロッパ人は何を思うのか。

 

イギリスを代表する小説家で詩人のキップリング (1865年 – 1936年) のように、”未開の人間”に文明を与え、正しい方向に教え導くことが「白人の責務」であると言うヨーロッパ人はいまはいない。差別主義者か頭のおかしい人間でもない限り。

でも内心ではどうだろう?
イギリスの首相だったマーガレット・サッチャー氏は1988年にヨーロッパの政治家に向けて、かつてヨーロッパ人が世界の多くの土地を植民地化し、”文明開化”したことについて、「まことにすばらしい勇気と才覚の物語でした」と言ってのけた。

いまでも心の中、奥底か片隅には、こんな考え方のあるヨーロッパの政治家もいるのでは。

 

 

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1 個のコメント

  • > アフリカの国境で直線が多いのは、帝国主義時代の絶対的な強者だったヨーロッパ列強が話し合い、アフリカの地図に引いた線がそのまま現実の国境になったからだ。

    アフリカに関しては、確かにその通りです。
    だけど、「世界で一番長い直線の国境を持っている国」と言えば、それはアメリカ合衆国ですね。特に、カナダとの国境(米国本土の北側国境、およびアラスカ州の東側国境)なんて、ほとんど直線です。米国の場合、そればかりか、国内の州と州の区切りも直線が多いです。
    その理由はだいたいアフリカと同じです。でもアフリカの方が、地元の人々が国を返してもらっただけ「まだマシだ」と考えることもできそうです。米国大陸に白人がやって来る前、元から住んでいた人々は国を返してもらった訳じゃありません。どっちかと言うと、逆に狭い地域に閉じ込められている状態。
    オーストラリアもまあ、同様なんですが、あの国は内陸の国境がありません。

    なのでアフリカの人々は、そのような「幸運」を無駄にしないよう、自分たちで平和を維持して、自国をより発展させてほしいものです。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。