韓国紙の朝鮮日報が「甲午」という日清戦争について書いた本を紹介している。(2020/01/26)
この甲午とは1894年のことで、この年に朝鮮では、政府の重税や役人の賄賂や収奪に苦しんでいた民衆が立ち上がって大規模な内乱が起きた。
高校の世界史でならう「甲午農民戦争」の始まりだ。
この内乱を自力で鎮圧できなかった朝鮮政府は清に援軍を求めると、天津条約を根拠に日本も出兵する。
朝鮮半島でにらみ合っていた両軍が戦争を始めるのは時間の問題だった。
その日清戦争について朝鮮日報の書評にはこう書いてある。
中国が侵略に遭った戦争だった。にもかかわらず、中国に同情する報道を西洋メディアに見いだすのは難しい。日本が世論戦争でも勝利したからだ。
日本は文明、中国は野蛮と評していた西洋メディア
満州事変とその後の日中戦争なら、まだ百歩ゆずってわかるけど、さすがに日清戦争は日本の侵略戦争ではない。
このことは別の記事で書くつもりだけど、興味のある人は海上自衛隊幹部学校のコラムを見てみよう。
強大な大陸勢力が朝鮮半島を支配した時には、例えば元冦などの大きな脅威を受けてきました。
戦争朝鮮半島の安定は、日本の安全保障に必須であったのです。
現代の韓国人や中国人には不満だろうけど、このとき西洋メディアは日本を文明国、中国を野蛮な国と評した。
この戦争で日本側は100人以上の従軍記者を招いたり、アメリカ人のメディア専門家に宣伝戦争の総指揮をまかせたという。
日本側のこんな情報戦略によって、「西洋の各メディアはおおむね、日本を文明、中国は野蛮とする視点で報道した」と上の書評にある。
西洋人は江戸時代から明治初期の日本を「野蛮な国」、「劣等国」と見ていて、対等とは思っていなかった。
江戸時代に不平等条約を結ばせて、明治になっても改正を拒否したのがその表れ。
日本としては“文明国”というイメージを持たせたかったから、西洋メディアに従軍を認めたのだろう。
ただ、日本が清に負けていたら意味はない。
世論戦争はオマケで、すべては日本の勝利の上に成り立っている。
いまから100年ほど前の国際社会では、特に欧米人の視点では戦争に勝つ国を「文明国」とする見方があった。
力のない国は植民地にされても仕方がないというのが当時の考え方で、これは現在の価値観から批判しても意味はない。
日清戦争についてアメリカの学者ヘレン・ミアーズがこう評価している。
日本からみれば、この戦争は完全な成功だった。西洋列強は喝采し、日本における彼らの『特権』を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本国天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。
「アメリカの鏡・日本 (角川oneテーマ21) ヘレン・ミアーズ」
日清戦争の前、日本では欧米諸国との不平等条約を改正するねらいで「欧化政策」を進めていた。
日本の政府高官やその妻が西洋式の服を着たり食事をしたり、ダンスをしたりしたけど、西洋人からしたらしょせんは「猿まね」で話にならない。
ちょっと前まで日本は江戸時代で、ちょんまげ頭に刀をさした侍が街を歩いていたのだ。
そんな日本人がいきなり西洋人になるなんて無理にきまってる。
西洋化に必死な日本人は、欧米人にとっては噴飯もの。
西欧諸国の外交官もうわべでは連夜の舞踏会を楽しみながら、その書面や日記などにはこうした日本人を「滑稽」などと記して嘲笑していた。
鹿鳴館
上の鹿鳴館に代表される欧化政策は大失敗だったけど、日清戦争の勝利は西洋列強に日本の力を認めさせることに成功した。
一方、負けた中国は国力をうしなって、イギリスやフランスなどの半植民地状態となった。(中国分割)
弱肉強食の帝国主義という国際ルールをつくった欧米諸国の目には、日本が文明国、中国は野蛮国に映ったはずだ。
でも思想家の岡倉天心(おかくら てんしん)の見方は逆で、戦争で勝った国を文明国とする西洋の価値観に嫌悪感を感じていた。
岡倉 天心(1863年 – 1913年)
日本人の美意識や文化を英語で紹介した「茶の本」で、岡倉は西洋人の見方をこう批判する。
西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。
「茶の本 (岡倉 天心)」
“鎖国”状態で超絶平和だった江戸時代、日本人は茶道や浮世絵、歌舞伎などいろいろな文化を楽しんでいた。
欧米諸国はそのころの日本を「野蛮」と言い、日清・日露戦争で勝利すると称賛をおくり、日本を「文明国」と認めて不平等条約の撤廃に応じた。
第一次世界大戦で勝った側についていた日本は戦後、世界の五大国の一国として指導的な国になる。
西洋的な見方を国際基準として妄信することを拒否した岡倉天心の主張はこうだ。
もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。
「茶の本 (岡倉 天心)」
戦争を好む文明人になるくらいなら、芸術や文化を大事にする野蛮人でいたほうがいい。
まあこの意見には共感できるけど、こんなことを言えるのも、日本が戦争に勝てたから。
もしロシアに負けて植民地になっていたら、天皇の存在は許されなかっただろうし、 日本の文化も一体どれほど残っていたのか。
西洋の文化を身につけようとしたらバカにされて、戦争に勝ったら尊敬を得られるのが当時の西洋人の常識や価値観だった。
いまのヨーロッパでは武力行使をするアメリカを野蛮と思い、平和や文化を大事する国を文明国とする見方が多い。
時代がやっと岡倉天心に追いついた。
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>上の鹿鳴館に代表される欧化政策は大失敗だったけど、日清戦争の勝利は西洋列強に日本の力を認めさせることに成功した。
そうですかね? 確かに日清戦争の勝利によるところは大きいですが、鹿鳴館に代表される欧化政策によるところも大きかったのでは? 何より、自国民を啓発し猛勉強させて自信をつけさせるのには役立ったと思いますよ。急ごしらえの欧化政策がなかったら、日清戦争での勝利も、欧米列強に認めてもらえることもなかったはず。決して大失敗ではないでしょう。
>いまのヨーロッパでは武力行使をするアメリカを野蛮と思い、平和や文化を大事する国を文明国とする見方が多い。 時代がやっと岡倉天心に追いついた。
そうかなぁ? そこまで楽天的に見られないです。現代ヨーロッパ諸国が米国を野蛮と言うのは、どう転んでも力では自分達が米国に勝てないことを認識したからにすぎない、(少なくとも現在では)単なる負け惜しみであると私は思います。本音は違うんじゃないですか? 相変わらず欧米人の力に対する信奉は強い。
またそれが、資本主義のもとでの経済成長力の根源でもあるから、一概に良し悪しの評価はできないですが。
個人の感想は自由ですから、異論反論いろいろあると思います。
いろいろな文化を尊重する鹿鳴館の考え方はいまの時代にちょうどいいです。
>相変わらず欧米人の力に対する信奉は強い
この指摘は興味深いです。
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