ほんじつ11月11日は日本では「ポッキーの日」、韓国では「ペペロの日」、そして中国では「独身の日」になっている。
東アジアではこんな感じに商業的な日なんだけど、世界にとってこの日には特別な意味がある。
1918年11月11日に第一次世界大戦終戦が終わったことから、この日は「第一次世界大戦休戦記念日」になっているのだ。
ベルギー、フランス、アメリカなどでは祝日で、この大戦で亡くなった人たちを追悼するイベントが行われる。
くわしいことはこの記事をどうぞ。
日本よ、これが世界だ!ポッキーの日は第一次世界大戦の休戦記念日
第一次世界大戦は、それまで人類が経験したどの戦争とも違う。
「史上初の世界戦争」という意味でもそうなのだけど、航空機、毒ガス、戦車、機関銃、潜水艦といった新兵器が使われたことで、犠牲者の数は空前絶後のレベルにまで跳ね上がった。
このとき日本はイギリスやフランスなどの協商国のメンバーとして参戦し、同盟国(ドイツ、オーストリア、オスマン帝国など)と戦ったわけだが、いまの日本人にとって11月11日といえば「ポッキーの日」で、「第一次世界大戦休戦記念日」を知ってる人はどれだけいるのやら。
ということでこれから、あの大戦が日本に与えた影響について書いていこう。
欧米人の視点から言うと不謹慎で不愉快なんだが、日本は”とってもラッキーマン”だった。
明治が終わって大正時代が始まったとき、日本人はどんな考え方をしていたのか?
当時の社会の空気は、元号が変わった直後の新聞(萬朝報)から見えてくる。
「我々新人は、最早明治の人ではない。大正の人だ。我々の舞台は大正である」
もはやわれわれは明治の日本人ではない。新しい時代を生きる人間なのだ。
具体的にいうと、明治にあった武士道や軍国主義の気風を否定する。
「大正の新なる御代に於て、武士道、軍人政治をいふものあらば、我々は決して之を許して置かぬ」。
でもこんな日本の決意と関係なく世界情勢は動いていて、大正3年(1914年)に第一次世界大戦が始まって7年(1918年)まで続いたことはさっき書いたとおり。
協商国の一員として参戦した日本は、主にイギリスやフランスの輸送船団を護衛する任務をおこなった。
連合国軍の兵員70万人を輸送するとともに、ドイツ海軍のUボートの攻撃を受けた連合国の艦船から7000人以上を救出。連合国側の西部戦線での劣勢を覆すことに大きく貢献し、連合国諸国から高い評価を受けた。
イギリス兵を救出した日本の駆逐艦
もちろん犠牲者は出た。
でもなんせ戦場が遠かったから、大きな戦闘に巻き込まれることはなく、ロシア170万人、フランス135万8000人、イギリス90万8000人という戦死者に対して、日本は300人と比較にならない。
ヨーロッパから見たらノーダメージに等しい日本は、大量の武器などを売って大もうけすることができたのだ。
好景気を背景に大正時代の日本では、それまで上流階級のものとされていた高価な洋服を一般国民も買うことができるようになり、「モダンボーイ」、「モダンガール」を略して「モボ・モガ」という若者文化が生まれた。
こんなオシャレで自由なスタイルが大正9年から昭和4年ごろに流行する。
ショートヘアーで露出度の高い服を着るモダンガール
昭和40年代の日本人。
と言われても信じてしまいそうだけど、これは昭和3年のモダンガールズ
「もはや明治の人ではない。われわれは大正の人、新しい日本人だ」というのも納得。
鎌倉のビーチを歩くモガ
女優の筑波雪子
「日本の喜劇王」と呼ばれた榎本健一(エノケン)
美容院、カフェ、チェーン・ストアなどが登場したのが大正時代で、モダンボーイやガールたちは自由な格好をしてコーヒーを飲んだり映画を楽しんでいた。
それだけを見ると、いまの日本人とあまり変わらない。
もちろんそんなモボ・モガがいたのは都市部だけで、全国の庶民がみんなそうだったわけではない。
でも戦前の日本を、軍国主義に覆われた闇の時代、国民が政府に抑圧されていた時代と誤解している人も多いのでは?
日本がそうなったのは満州事変のあとからだ。
第一次世界大戦は世界的な悲劇だったけど、日本だけを見れば、こんな華やかな若者文化を生んだのだ。
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