【世界よ、これが日本だ】日清戦争の原因・欧米列強の反応

 

19世紀後半、それまで鎖国政策をとっていて、日本の少し後に開国した朝鮮では、激しい権力争いが展開されていた。
弱肉強食の帝国主義の時代で、近代化を成功させ、国力をつけないと他国に支配されてしまうっつーのに。
倒産の危機にある会社の中で、誰が社長になるかでモメテルようなものだ。

このころ国王・高宗の王妃である閔妃(ミンビ、びんひ)と、義理の父親(高宗の父親)である大院君(興宣大院君)が朝鮮の統治権をめぐって火花を散らす。
閔氏に力があったころ、彼女は日本の支援を受けて西洋式の軍隊である「別技軍(べつぎぐん)」を新設するなど開化政策を進めていた。
でも1882年に首都・漢城(ソウル)で、大院君に扇動された兵士らの反乱がぼっ発、15人ほどの日本人が犠牲になる惨事「壬午軍変」が起きた。
…という記事をこのまえ書いたのだよ。

朝鮮の壬午軍乱:日本人を激怒させた、閔妃と大院君の争い

 

この騒動で朝鮮は大混乱におちいる。
すると清(中国)は「チャンスはいま!」とばかりに親日派勢力を追い出してしまう。そして清朝の有力者である李鴻章は朝鮮国王と同レベルの存在になり、朝鮮に対する支配を強め露骨に「属国化」していく。
一方、朝鮮での影響力を確保したい日本としてはこれが気に入らず、清を「敵」と認識する空気が濃くなっていった。

福沢諭吉は「我東洋の政略は支那人の為に害しられたり」と述べ、清国は日本が主導すべき朝鮮の「文明化」を妨害する正面敵として論及されるようになった。

壬午軍変

朝鮮の首都・漢城で暴徒の襲撃を受ける日本公使館

 

朝鮮の支配を強めたい清と、それを排除したい日本。
両者の対立は頂点に達して1894年(明治27年)のきょう7月25日、日本艦隊と清国艦隊が激突する「豊島沖海戦」が起きて日清戦争が始まった。
初戦となった豊島沖海戦の結果は、当時世界一の最速を誇る艦・吉野を有する日本の圧勝。
清軍では戦死者1100名を出し、巡洋艦など2隻が沈没した一方、日本軍では死傷者も沈没艦もなし。まさにノーダメ。
日本にとっては「圧倒的じゃないか、我が軍は」のセリフがピッタリの戦いだった。

日清戦争は日本の勝利に終わって、伊藤博文と李鴻章らが講和条約である下関条約を結んだことは、中学生の歴史の授業で学んだとおりだ。
これで日本は清にこんな約束をさせた。

・朝鮮から手を引き、朝鮮が独立国であることを認める。
・遼東半島や台湾を日本に割譲する。
・賠償金として二億両を支払う。

これによって完全な独立国となった朝鮮は、それを記念して現在のソウルに「独立門」を建てた。

 

独立門

 

腐ってもタイ。
没落傾向にあったとはいえ、大きな国土や兵力を持っていた清を、欧米列強は「眠れる獅子」と呼んでその潜在能力を高く見積もっていた。
だから小国の日本が清を撃破したことは、衝撃を持って欧米列強に受け入れられた。

 

小さなサムライが巨人のような清軍兵士を倒すの図。
イギリスの風刺漫画雑誌「パンチ」に掲載されたもの。

 

日清戦争での日本の勝利について、アメリカの歴史家はこう書く。

日本からみれば、この戦争は完全な成功だった。西洋列強は喝采し、日本における彼らの『特権』を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本国天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。

「アメリカの鏡・日本  (角川ソフィア文庫) ヘレン・ミアーズ」

 

これで日本の実力は欧米列強に認められ、「一人前」とみなされた。
認めさせた日本は、悲願だった不平等条約の撤廃を勝ち取っていく(『特権』を相次いで放棄)。
一方の清はその反対で、国内からもダメ出しをくらい、1911年の辛亥革命へとつながっていった。

 

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清軍の兵士

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。