知り合いのアメリカ人は日本の小学校で英語を教えていたことがある。
授業中、生徒から「好きな日本料理は何ですか?」と聞かれて、彼女は笑顔でこう答えた。
「ラーメンです。アメリカにいたときから食べていましたけど、やっぱり本場のラーメンは違います。」
すると、生徒たちから「それはおかしい」と異論・反論が噴出。
生徒の感覚ではラーメンは中国料理だが、彼女はラーメンを日本料理と認識していた。アメリカでは一般的にそう思われているらしい。
答えを言うと、ラーメンは中国由来の日本料理だ。
中国でもそう考えられていて、ラーメンは「日式拉麺」と呼ばれる。
では、日本の国民食であるこの麺料理の「ラー」の意味って何だろう?

韓国のラーメン屋
韓国でもこれは日本料理とされている。
「ラーメン=拉麺」説
ラーメンの語源としてよく知られているのが、中国語の「拉(ラー)」。
拉=引き伸ばす
面=麺
つまり、「手で引き伸ばした麺」=拉麺(ラーメン)という説だ。
しかし、これは有力な説とされ、一般的にラーメンの由来としてよく言われているが、決定打ではない。
実際のところ、ラーメンの語源には諸説あり、どれが正しいかは分かっていないのだ。
「おかみさんの優しさから生まれた」説
ラーメンの由来にはほかにも、「優しさから生まれた」という説がある。
NHKの番組『チコちゃんに叱られる!』で紹介されたもので、ざっくりいうと、こういう話だ。
大正時代、北海道大学の近くで、女性が小さな食堂を開いていた。
店には中国人留学生もよく訪れていて、中国人シェフが作る「肉絲麺(ロースーメン)」が人気だった。
ところが問題があって、日本人客はこの料理をこう呼んでいたのだ。
「しなそば」
「シナ」がNGワードである理由
当時は一般的な呼び方だったが、「支那(シナ)」という言葉には複雑な歴史的背景がある。
これは「秦」に由来し、英語の「チャイナ」と語源は同じだから、もともとは中立的な言葉だった。
戦前・戦中、日本では中国を「シナ」、中国人を「シナ人」と呼んでいたが、この言葉には中国人への蔑視や侮辱のニュアンスが込められていたため、中国人は「支那」という言葉を嫌うようになった。
現在、テレビやラジオで「支那」は放送禁止用語になっている。たとえ悪意がなくても、特に中国人に向かってこの言葉は使ってはいけない。
詳しいことは以下の記事をどうぞ。


台湾人が日本へ旅行に来たとき、これを見た途端、不機嫌そうな顔になった。
「ラー」という言葉が生まれた瞬間
店にいる日本人の客が「しなそば」と呼んで、中国人留学生がそれを聞かされる。
この状況に、食堂のおかみさんは心を痛め、「しなそば」に代わるいい呼び名はないものかと考えていた。
そんなある日、転機が訪れる。
料理が完成すると、中国人シェフがこう言っていた。
「好了!(ハオラー)=できたよ!」
この言葉を聞いたおかみさんは、「ラーって響き、何かいいな」と思ったことから、ロースーメンが「ハオラーメン」に変わり、さらに「ラーメン」になった。
日本人や中国人の客にも受け入れられ、店から「しなそば」という言葉は消えていき、「ラーメン」が定着した。
そのため、『チコちゃん』では、「ラーメンの『ラー』はおかみさんの優しさから生まれた」と紹介していた。
その後、ラーメンという言葉が週刊誌やテレビCMで取り上げられるようになって、全国的に広がったという。
ただ、この番組では「ラーの由来には、拉(ラー:引く)という説もある」とも言っていた。
ラーの由来には諸説あるけれど、個人的には物語性のある「おかみさんの優しさ説」を推したい。
後日談
この記事を書いた後、札幌市北区がHPで、ラーメンの命名について説明しているのを見つけた。(札幌の味、そのふる里をたずねて-竹家のラーメン)
それによると、麺を引き伸ばすことから、「拉麺」と書いてラーメンと読ませたことが主な理由で、「好了(ハオラー)」の発音は二次的な理由になっている。
美食家も語る「料理に必要なもの」
最後に、日本を代表する美食家の「北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)」の言葉を紹介しよう。
この人は伝説的な人物で、マンガ「美味しんぼ」の海原雄山のモデルにもなった。
そんな「食の巨人」である魯山人は、料理は知識だけでなく、愛情でつくるものと強調している。
実際、料理といいますのは、好きでつくるというのでなくてはなりません。それが趣味であります。ただ知って美味くつくるという知識だけではなく、温かい愛情で楽しみながらやるという気持であります。
「日本料理の基礎観念 (北大路 魯山人)」
こんなことからも、ラーメンのラーの由来は「おかみさんの優しさから説」を推したい。
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