はじめの一言
「人や環境が清潔この上ないといった状態は、何も金持ちだけに付いて回るものではなく、貧者のお供もする(シドモア 明治時代)」
「逝きし日の面影」
「紙」について話すなら、この人を無視してはいけない。
「蔡倫(さいりん)」という古代の中国人で、今でも日本の高校の世界史の教科書にのっている。
蔡倫
?~121頃
製紙法を改良した後漢の宦官。105年和帝に紙を献上した。
前漢代の遺跡から銅鏡の包装紙が出土しているため、彼は以前から存在した製紙法を改良した人物とされている。(世界史用語集 山川出版)
蔡倫(ウィキペディア)
20年ぐらい前に世界史を学んだ人は、蔡倫は「製紙法を発明した人」と習ったと思うけど、最近はちがうのだ。
蔡倫はあくまで製紙法を「改良した人」ということになっている。
新しい事実が分かることで、歴史はどんどん変わっていく。
鎖国やカースト制度という言葉も、今の歴史教科書から消えている。
歴史の知識もアップデートしないと。
さて中国で生まれた製紙法が日本に伝わったのは、7世紀の始めごろとされる。
*下の「紙抄き」は「かみすき」。
610年 (推古18年)。
高句麗の僧、曇徴(どんちょう)が墨とともに日本に製紙法を伝えたと言われています(しかし、それ以前に紙抄きが行われていたという説もあります)。
伝播当初、使われていた材料は「麻」でしたが、その後「コウゾ」や「ガンピ」などの植物も原料として使われるようになり、紙を抄く方法にも独自の改良が加えられ、日本オリジナルの“和紙”として発展していくこととなります。
上の文でちょっと注意してほしいところがある。
この部分。
「高句麗の僧、曇徴(どんちょう)が墨とともに日本に製紙法を伝えたと言われています」
たしかに以前は、この説が有力だと考えられていた。
でも最近では、曇徴が日本に製紙法を伝えたとう話は「かなり、あやしい」と疑問視視されている。
そのことには留意してほしい。
そのことは次回で書いていきます。
やっぱり歴史も、「最新版」にアップデートすることが大事ですね。
中国で誕生した製紙法は、いつどこに伝わっていったのか?
中国の製紙法は、8世紀(751年)のタラス河畔の戦いによってイスラーム圏の国に伝わっている。
タラス河畔(かはん)の戦いとは、中国(唐)とイスラーム教の国(アッバース朝)との戦いのこと。
この戦いそのものより、これによって中国の製紙法がイスラーム圏に伝わった(西伝)したということが重要。
製紙法が西方に伝播した戦いとして有名である。
(ウィキペディア)
タラス河は、現在のキルギスという国にある。
世界史ではこのことを、「製紙法の西伝(せいでん)」といっている。
*下の「紙漉工」は「かみすきこう」。
中国製紙法技術の西アジアやヨーロッパへの伝播。
751年のタラス河畔の戦いののち、捕虜としての紙漉工を通じて製紙法が伝えられ、8世紀後半にはサマルカンドやバグダードに製紙場が作られた。(世界史用語集 山川出版)
中国の製紙法がイスラーム圏をとおって、12世紀ごろヨーロッパに伝わった。
製紙法は、発明から約1000年後の8世紀にようやく西アジアに伝わります。その後エジプトを経て、地中海沿岸に広がっていきました。
ヨーロッパへ製紙法が伝わったのは紙が発明されてから1400年も後の12世紀以降と言われています。
ヨーロッパに製紙法が伝わることによって、社会はどのように変わったか?
その一例として、キリスト教の聖書をたくさんつくることができるようになったことがあがられる。
このことが、のちに宗教改革やルネッサンスを生み出す大きな要因になっている。だから製紙法がヨーロッパの歴史・文化・思想に与えた影響はとんでもなく大きい。
紙の広がりについては、ここに分かりやすい地図がある。
この地図を見ると、サハラ砂漠より南の国は製紙法が伝わったルートに入っていない。
だから以前の記事で書いたマリをふくめ、西アフリカに紙をつくる技術が伝わったのはかなり遅かったのだろう。
西アフリカ国々の識字率が低い理由のひとつには、このことがあると思う。
ところで製紙法が伝わる前、ヨーロッパではどんなものに文字を書いていたのか?
一般的に羊皮紙という羊の皮に文字を書いていた。
エジプトではパピルス(Paperの語源)の茎を使った紙が使われていたが扱いや保存に適さず、ローマ時代からは羊の皮をなめした羊皮紙が使われるようになり、ヨーロッパ中世にはほとんどそれが使用されていた。
羊皮紙は価格が高く一般の庶民に書物が普及することはなかったが、製紙法が伝わり、印刷術が知られるようになった14世紀には、書物が普及し、知的水準を一挙に高めた。
ということで、日本で昔から識字率が高かった理由のひとつに「歴史の早い段階で製紙法が中国から伝わったこと」がある。
おまけ
日本では、7世紀の始めに(飛鳥時代のころ)に中国から製紙法が伝わっている。
そして平安時代になると、日本人は「紙のリサイクル」を始めたという。
紫式部や清少納言が活躍した平安時代。
この頃には、日本で「古紙の抄き返し」という使用済みの紙のリサイクルが行われていたとされています。当時は高価だった紙を大切にするだけでなく、平安の人々はエコな生活を既に実践していたのですね。抄き返した紙は、“薄墨紙(うすずみがみ)”と呼ばれていました。 当時はまだ墨を抜く技術が未熟で、再生された紙に墨色が薄く残っていたためです。
さすが「もったいない精神」の日本人ですね。
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